第七話 lonely heart

「誰かを真剣に好きになったことってある?」

ベッドの中で、いきなり彼女が訊いた。まだ余韻も醒めきらないうちに……。

「そりゃーあるさ」

「そう、でも女なんか信用してないでしょう?」

「…………」

「やっぱしね」

「なんでそう思うんだ?」

「なんだかそんな気がしたから……」

僕の心を探っているような、そんな彼女の態度が僕を不快にさせる。

僕らはそんな関係ではないだろう? 僕になにを求めている?

愛情? 優しさ? セックス?

ほんの少しの優しさとセックスしか彼女に与えられない。僕は愛とかそういう厄介なものには深入りしたくないんだ。

いつも心のセキュリティが自然に作動して、人と『 心の距離 』を空けようとする、どうしてだろう?

僕にも分からない……。



  【 piano 】


あなたの細いその指が

鍵盤に触れる時

弾きだされる旋律


わたしの躯を包みこむ

この胸に愛が充ちてきたら

心の琴線が震えだす


ねぇ愛してるといって……


こんなに想っていても

掴めないあなたの心

寂しさで萎れてしまう


あなたが奏でる音符には

悲しい音色が混じっていて

わたしの胸を絞めつけから


ねぇ愛してるといって……


なにも欲しがらないから

もっとわたしを求めてよ

あなたを感じて生きていたい


女は楽器この肢体を

あなたがかき鳴らせば

愛は切ないため息で果てる



「あなたはわたしと話してるとき、肝心なことは聞き流そうとするよね? うちの夫もそうなんだけど……」

「それで……」

「聴こえないのか、聴きたくないのか、どっちなの?」

「……ちゃんと聞いてるよ」

そう答えると、彼女は小さな声で、

「嘘つき」

とだけいう。

「きみだって、人のいうことを信じてないじゃないかっ!」

ちょっとイラっとして僕は言い返した。

「女を抱いても、愛してくれないのね?」

「君だって、身体を許しても心を許すことはしないくせに……」

「…………」

「そんなことで愛は構築されない」

「……そうね」

「愛はもっと……」

「もっと……?」

「深いんだ!」

思わず叫んだ言葉が痛い。


「……わたし捻くれてるから、ごめんなさい」

そういって僕の頬に謝罪のキスをする彼女がいじらしい。その身体をギュッと抱きしめたら切なさが込みあげる……心のセキュリティが解除されてしまった。

「僕だって、失敗者だから……」

「失敗者? 挫折者じゃなくて?」

「うん……挫折までいかない……なんとなく不運で思うように生きられない人間なんだ……だから用心深いかもしれない」

「だから、女にも執着したくないのね?」

「たぶんそう、裏切られるのが怖いから……」


おそらく(女を信じられない)僕という人間の臆病さが、過去の恋愛の失敗の原因だったかしれないと思い当たった。

どういう訳か、心の奥を吐露してしまっている。こんな話をしても仕方ないのに……どうしたんだろう、僕は。

もしかしたら、必要以上に彼女に対して関心を持ってしまったのか?

しょせん、他人の女ではないか。僕は心の中で彼女の存在を打ち消そうとする。



  【 oneself 】


有刺鉄線を張り巡らし 

囲いの中でわたしは 

小さなプライドを守っていた

感情に触れたモノには 

鉄の棘で傷つけた


人の言葉に耳を塞ぎ 

空想の世界で呼吸していた

小さな砦の中では

自分の声しか聴こえてこない

孤独な魂は震えていた


寂しさから縛ろうとした 

弱さからすがろうとした

そして……

振りまわし 優しいあの人を

疲れさせてしまった


道の途中に立ち止まり 

行くべき道に迷っている

『 自分なんかいらない 』 

そう呟いて ぬかるんだ道を 

一歩だけ前に進む……



静かに雨が降り続く。

湿気のせいで重くなった空気と布団が裸のふたりを包みこんでいる。なにも喋らなくなった彼女の呼吸が、時おり夜のしじまに溶けていく――。


僕らはこうやって肌を合わせていても、心は遠い。


「わたし……」

「ん?」

「いっぱい恋をしたよ、離婚もしたし……男と女は捨てたり、捨てられたり……だね」

ふーっと切なげにため息を漏らす。

彼女の人生がどんなものだったか知らないけれど、彼女なりに懸命に生きてきたんだろう。

僕らはもう若くはない、だからいろんな傷を持っている。時々、そこから血が流れだす。

「人を捨てるってことは存在を否定すること……それはいなかったと思うことなんだろうか? 必要ではないと思うことなんだろうか?」

彼女が自問するように呟く、その声に僕も自答しようとして、

……雨の音しか聴こえない夜、ぼんやりと闇の中で答えを探してみた。


   失ったモノ 戻らない そう思ってた

   失ったモノ 必要ない そう誓ってた


「わたしを捨てた男がそう詩に書いてたわ」

「そっか、存在を否定して、感情を切り捨てようとしているんだね」

「ええ、その言葉でわたしの愛は否定されて……捨てられたもの」

「失ったモノって君の『 愛 』ってことなんだ?」

「そう、彼の言いなりにならなくなって、そのことで彼はフラストレーションをつのらせて、わたしに怒ってたから。情は深いけど、もの凄く焼き餅やきな男だったから……」

「愛情と相手を縛る兼ね合いって……難しいよね」

「いつも監視されているようで息苦しかった。彼の愛が重すぎて逃げ出したかった……」

「……そっか」

「自由のない愛は耐えられない」

「……だね」

「それでも懲りずにまた誰かを好きになってしまう」

「あははっ」

「ひとりぼっちでは生きられない」

「うん……」

「ひとりは寂しい」

「…………」


彼女の生温かな息が僕の頬にかかる。こんなに傍にいても心はひとりぼっち。



  【 lonely heart 】


『 寂しい 』とあなたがいう

こんなに傍にいるのに

なにがそんなに寂しいの


君に逢えないと寂しい

君を待ってる時が寂しい

君の心が見えなくて寂しい

そう言って子供みたいに拗ねた


愛されていても

愛されていなくても

人は寂しいんだね


ひとりは寂しいくて

誰かの心に寄り添うけれど

寂しくないと思えたのは錯覚で

すべてを独占できるわけではない


好きなのに寂しい

好きになればなるほど寂しい

心はいつもひとりぼっち


寂しいと言われて

そう分かった瞬間が一番寂しい

私たち愛し合ったんじゃなくて

孤独を舐め合ってただけなんだろうか

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