第35話 海戦終結、そして

「最大戦速、一気に突き破れ!」

 鷲 白炎は敵陣中央を指し、咆吼した。

 セレン艦のオールがその回転速度を上げる。

「漕げ、漕げ、漕げ!」

 相互に交錯し、動きが止まった帝国とロスターナ艦の無防備な船腹に向けて急速に接近していった。


「なぜだ、なぜ奴らは向かってくる?」

 帝国軍旗艦の甲板に立った宦官は顔色を失った。ロスターナ艦の砲撃で相当の痛手を被ったと見えた漣国艦隊が更に速度を上げて接近してくる。


 一直線に進むセレン艦の目の前に、舷側を向けたロスターナ艦があった。砲撃を受けるも構わず突っ込む。

 激しい衝撃が両艦を襲い、海面が白く泡立った。

 水面下の刃、セレン艦の衝角ラムによって船腹を破壊されたロスターナ艦が浸水によって傾斜していく。

 セレン艦は敵艦に突き刺さった衝角を抜くため一旦後退したあと方向を転じ、次の獲物を狙う。

 だがそのセレン艦も、すぐに別のロスターナ艦の砲撃を受け大破した。


 帝国艦が進路を塞ぎ、思うように展開できなかったドリンフェルド海将率いるロスターナ艦隊だったが、ようやく体勢を整え始めた。

 元々、操艦技術では漣国艦隊と双璧をなすロスターナ海軍だ。敵味方入り乱れる狭い海域で、再度陣形を立て直すことに成功していた。

「被害は!」

「10隻ほどが沈められました。……帝国艦の被害報告も必要ですか」

 副官が冷静に答える。

「そんなものは不要だ。いや、皇帝の艦はまだ浮かんでいるか」

「そのようです」

 ドリンフェルドは、ちっ、と舌打ちした。


 皇帝の乗る巨艦は左右に砲艦を従えている。専用設計ではなく、廃艦寸前の大型艦の甲板に巨大な砲を何門も据えただけのものだが、船足が遅い分を火力で補おうという意図があった。

「あの大砲は使わないのですか」

 后にせがまれ、皇帝は目尻を下げた。

「もちろん使うとも。この世界最大の大砲の威力を見るがいいぞ」

 あれを撃て。指揮をとる宦官に命じる。


「お待ち下さい、前には帝国の僚艦が展開しております」

 征東将軍が慌てて止めた。皇帝はあからさまに不機嫌な表情を浮かべた。

「これだから将軍は……」

 宦官がわざとらしく首を振った。皇帝の前に跪き、媚びるような笑顔を向ける。

「艦載砲というものは上下に角度が付けられます。上を狙えば、味方の船は飛び越えて敵を攻撃出来るのです」

「ですが、その方法は……」

 宦官は征東将軍を睨んだ。

「お黙りなさい。皇帝陛下の御前ですぞ」



 砲艦に据えられた巨大砲の砲口が上がっていき、十分な角度をつけたところで固定される。

「準備ができました。それでは、陛下のご命令により発射いたします」

「よし。みておれよ」

 そう言って后を抱き寄せる。

「撃てっ!」


 前甲板の三門が一斉に火を噴いた。轟音と火花、そして黒煙が砲艦の甲板を包んだ。

「すごい」

 あまりの音と振動で后は座り込んでいた。失禁しているのかもしれない。

「どうじゃ、これが帝国の力だ」

 得意げに笑う皇帝の耳に、その異様な音が聞こえてきた。

 木材が軋み、砕ける音。それは隣の砲艦から聞こえている。


「あ、ああ……」

 悲鳴があがった。

 砲艦は船体中央で前後二つに折れ、中央部から沈もうとしていた。

 古く脆弱な構造の艦に限度を超える巨大砲を据え付け、さらに仰角を付けて発射したことにより、艦体がその反動に耐えられなかったのだ。


「に、逃げろ。撤退だ!」

 皇帝の目は、正気を失っていた。


 ☆


「どういう事だ。ロスターナ軍が退いていきます」

 甲板に立ったエルセス・ハークビューザーは望遠鏡を下ろし、鷲 蒼牙を振り向いた。その老人も不思議そうな表情だ。

「これからというところで、腑に落ちんな」


 セレン艦隊が捕獲した帝国艦隊旗艦に皇帝は乗っていなかった。ただ指揮官と思われる将官が重傷を負って残るだけだった。

「陛下は、高速艦で脱出された」

 征東将軍だというその男は、あの宦官め……と呟き、間もなく事切れた。


 最初から脱出用として用意していたその艦は、かつてセレンから鹵獲したものだった。多くの漕ぎ手を載せ、速度では他のセレンの艦に劣るものではなかった。

 真っ先に戦場を離脱していき、他の帝国艦は置き去りとなった。

 皇帝に付き従うのは后と宦官。それに少数の側近だった。


「帝都へは戻れん」

 皇帝は譫言のように繰り返した。彼の頭の中には、銀髪の男の姿が占めていた。永世宰相というその正体不明の男が。


「ロスターナへ向え!」

 ロスターナ公国を占領し、新たな帝国の出発点とするのだ、皇帝は調子の外れた大声で叫んでいる。その身体に后がすり寄った。

「陛下……」

 妖艶に細められた目に、冷たい光を浮かべ彼女は皇帝の身体をまさぐる。


「お、お……」

 皇帝の腹部には、彼自身の剣が突き刺さっていた。皇帝はその場に崩れ落ちた。

 后は血塗られた手を隠しもしない。傲然と言い放つ。

「陛下は乱心の末、自ら命をお断ちになった。皆、見ていたであろう」

 宦官をはじめ、側近たちはみな彼女の前に膝をついた。

 くっ、くっ、と彼女は笑った。


「これで帝国は、妾と、この子のもの」

 皇后ラコーニアはそっとお腹を撫でた。



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