第34話 セドニアの海戦2
「近いな……」
ロスターナ公国の海将ドリンフェルドは忌々しげに吐き捨てた。
それは敵の漣国艦隊ではなく、後方の帝国海軍のことだった。
ロスターナの艦隊は横隊を組んで進んでいる。このまま漣国艦隊が射程内に入れば、二手に別れた艦隊はそれぞれ右と左に回頭して進路を変えつつ、強力な舷側砲を一斉射撃する構えだった。
だが、帝国艦隊はロスターナの艦隊行動に掣肘を加えかねないほど接近してきている。
「何のつもりだ。やつらをもっと退がらせろ」
しかし副官は肩をすくめた。
「さっきから指令は出していますが、応じる気配はありません。どうします、一緒に帝国艦隊も沈めますか」
まったく表情を変えずに後続の混成艦隊を睨み付ける。
「副官、冷静な顔で冗談を言うのは止めてくれ。本当にやりたくなって来る」
もう一度合図を出させ、ドリンフェルドは行く手に迫る漣国艦隊に目をやった。彼らが進んでくる海域は小島が多く存在している。機動力で勝る漣国の艦隊にはいいが、鈍重な帝国艦を抱えるこちらには不利となる。
「出来るだけ、島が無いこの海域で戦いたいが……。どうだ、急進して帝国のやつらを振り切れないか」
副官は彼我の距離を目測し、今後必要な艦隊行動を計算したうえで、不可能だと結論づけた。
「結局、回頭している最中に追いつかれるでしょうね」
「仕方ない。帝国のやつらに知性が有ることを期待しよう」
「現在、漣国艦隊との距離120公海里。間もなく舷側砲の射程距離に入ります」
索敵を行っていた測距士から報告が入る。
「よし、全艦に伝達。回頭せよ!」
ロスターナ艦隊は進行方向を左右に分かれ、敵艦隊に船腹を向ける形を作っていく。
「舷側砲、弾込め!」
「照準急げ!」
指令と復唱が艦隊を飛び交う。
「距離、100公海里!」
初弾でどこまで叩けるか…。ドリンフェルドは唇を引き締める。
決然と右手を振りあげ、指令を下した。
「全艦、砲撃開始!」
☆
「爺様、ここは縦隊で行くべきではないのか」
白炎が意外そうな顔で、舳先に立つ鷲 蒼牙に呼びかけた。
敵からの砲撃が予想される以上、前方投影面積の少ない複数列縦隊で進んだ方が安全なのは確かだった。
だが老将はふふっと笑った。
「やつらもそれは承知の上だろう。外装の強靱な大型艦を外に並べ弾除けに使え。一気に帝国皇帝の船を沈めるのだ」
白炎も苦笑するしかなかった。
「まったく。爺様よ、年相応に慎重になられたらどうだ」
「ああ。儂も、もう百年ほどしたら落ち着くかもしれんな」
蒼牙は豪快に笑った。
「よいか、船が危うくなれば、迷わず船を捨てて他の船に移れ。砲撃を躱して接近戦になれば、勝ちは我がセレンのものだ」
おおーっ、と声があがった。蒼牙は満足げに頷いた。
☆
艦船の構造はロスターナとセレンでは大きく違った。
ロスターナの艦は比較的横幅が広い。これは砲を主力とする武装によるところが大きかった。喫水線の少し上に強力な砲を据えたロスターナ艦は、砲撃時の反動に耐えるために幅広の艦型となっているのだ。さらに艦底には左右方向への安定を増すための大きなフィンが取り付けられている。
一方セレンの艦船は比較的細身のものが多い。艦砲も装備しているが、それはたいてい甲板に設置されている。それによって重心が高くなり、砲撃時の安定性が大きく失われるが、その分数多くの櫂を備える事ができるので、機動性が増している。
そしてセレンの戦艦には、海上から見えないところに大きな特徴があった。
船底の竜骨から前方に向けて、
艦船同士の格闘戦となった場合、その衝角を敵の船腹に突き立て、破壊するのだ。
これは高機動性を誇るセレンの船にのみ可能な戦法だった。
相手艦の船腹に衝角が突き刺さったままでは、敵艦の沈没に巻き込まれるだけだからだ。多数の櫂を備え、風に頼らず航行ができるセレン艦ならずしてこの特殊な攻撃方法は使いこなせなかった。
☆
「三番艦被弾。航行不能の模様!」
「十七番、艦長が重傷。副長が代行するが、浸水により速度上がらず!」
「二十九番艦、喫水線付近に被弾、沈没します!」
蒼牙のもとに次々に報告が入る。その全てが被害の報告だった。
「やるな。さすがロスターナ、見事な狙いだ」
老将は大きく息をついた。だが、彼はまったく動揺していなかった。
「ひるむな、速度をさらに上げよ。これだけの好敵手はざらにおらぬぞ。愉しめや、者ども!」
セレンの船乗りたちも獰猛な笑い顔を見せた。
☆
「くそっ、邪魔をするな!」
怒鳴ったのはロスターナの海将、ドリンフェルドだった。
一斉砲撃からさらに方向転換し、セレン艦船と対向するはずだったのだが、帝国軍の艦船が前線に進み出てきた事により思うように操艦ができなくなっていた。
何とか方向転換をしようとするロスターナ艦の前に、強引に帝国の巨大艦が割り込んで来る。
「進め! 我らの手で漣国艦隊を沈めるのだ」
帝国の旗艦では宦官が興奮して叫んでいる。初戦の攻勢を全面的な勝利と思い込んで突撃を命じたのだった。
ロスターナ優勢で始まったセドニア海戦だが、ここに来て一挙に混沌の度を深めていった。
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