第33話 セドニアの海戦1

「あれを見るがいい。ロスターナの船が浮かんでいるぞ。だが、まるでゴミのようだな。足手まといにならなければいいが」


 甲板に出た皇帝は后の肩を抱き、高笑いした。すでに全身から酒とともに淫猥な匂いを発している。

 運河のような入り江からセドニア内海へ出たところで、待機していたロスターナ海軍と合流したのだ。


 この船は帝国の軍港に残っていた超巨大艦を急遽改装したものだ。きらびやかに飾り立て、帝国旗艦の威厳はあるが、その実、旧型のため船足は遅い。元が客船であったため、武装も貧弱だった。

 旗艦だけではない。帝国軍直属の艦隊を構成する船は、ろくに艤装も施されていない新造船のほか、各地で打ち捨てられていた沈没寸前の廃船まで混ざっている。


 すべて、一時代前の遺物といっていい。


「これは、まさに帝国そのものだな」

 なりはデカいが、中身は朽ち果てている。

 ロスターナ海軍を率いるドリンフェルド海将は、日に焼けた顔を歪めた。

「こんな連中と一緒に戦はできん。さて、どうしたものか……」


 旗艦で行われる軍議に出席したドリンフェルドだったが、彼の眉間のしわは更に深くなるばかりだった。

 こちらも苦り切った表情の、帝国征東将軍の横で延々と喋り続ける男がいた。爬虫類を思わせるその男は、耳障りな甲高い声で説明を続けている。


「なぜ、あんな者が軍議に出ているのだ」

 ドリンフェルドは小声で副官に訊いた。

「それが。あれが参謀長だとか」

 はっ、彼は引き攣った笑い声をたてた。


「あれはどう見ても宦官ではないか」

「皇帝陛下のお気に入りだそうです。それに、海軍の運用には通じていると、自分で言っているようですね」

「あれで、か」

 得意げに喋っている内容を聞く限りでは、海軍どころか船の基礎的な知識すら持っているのか怪しかった。


「思い上がった素人ほど危ういものは無い。ましてや、それが軍の指揮をとるというのか。身の程を知れ、だな」

「それが理解できていれば、あんな場には立ちませんよ」

 副官の言うことは、もっともだった。


「それで、結論はどうなのだ! 我々は貴君の自慢話を聞きに来たのではないぞ」

 たまりかねたドリンフェルドは声をあげた。

 顔色を蒼白にした宦官は、唇を震わせながら陣の配置を海図に示した。

 中央に帝国艦を置き、左右にロスターナ海軍を展開するつもりらしい。


「包囲殲滅戦略をとる。異存あるまい」

 その宦官は苛立ちを隠せず、高い声をあげた。


「だ、そうだ」

 呆れたドリンフェルドは副官を振り返った。

「いいんじゃないですか」

 副官の答えは意外なものだった。彼は皮肉な笑みを浮かべている。普段は冷静なこの男が見せる事のない表情だった。

「我々が包囲機動しているうちに、帝国艦隊は全滅してくれるでしょう」

 そうすれば思い切り戦える。


「おいおい。公主から帝国への協力を命令されているんだよ、俺は。さすがにそれは出来ないだろう」

「大変ですな、司令官というものは」

「分ってもらえて、嬉しいよ」



「再考をお願いしたい」

 ドリンフェルドの声に、宦官は表情を固くした。

「なんであるか。我が方策に不満があると言うのか」

 明らかに虚勢と分る傲慢な態度で指をさす。


 ちっ、とドリンフェルドは舌打ちした。我慢の糸が切れそうだった。頼む、と副官に声をかける。

 副官は表情を消して立ち上がった。


「まずは、我が艦隊の長距離砲を使用すべきでありましょう。ロスターナ艦隊を最前列に並べ、砲撃により敵艦隊に損害を与えた上で包囲陣形に移行すべきかと」


 先陣にロスターナ軍、後陣に帝国軍を配置し、砲撃後ロスターナ軍は左右に別れ漣国艦隊を包囲するのだ。


「よかろう。ドリンフェルドの意見を採用する。他にはないか」

 宦官は列席した艦長たちを見渡した。



「よく我慢されましたな」

 仏頂面のドリンフェルドを見て、副官は静かに声をかけた。

「まあ、俺も大人だしな」

「急に、十年くらい歳をとられたように見えます」

 ああ、そうだろう。彼はやっと笑みを見せた。


 ☆


「ほう、やはりロスターナが前面に出てきたか。そうでなくてはならん」

 望遠鏡を覗いていたしゅう 蒼牙そうがは満足げに頷いた。

 揺れる船の上でも、その姿勢は決して崩れない。


「だが後ろのあれは、何だ」

 エルセス・ハークビューザーは望遠鏡を受け取って、彼が言う方を見る。


「ああ。あれが有名な帝国海軍です。まだ、あんなに船が残っていたのですね」

 思わずため息をついていた。

 あれを船と呼べるのなら、だが。


「一番でかい奴は、これでもかと飾り立てて、見るに耐えない程に悪趣味だな。爺様よ、あれは皇帝の御座船ではないのか」

 蒼牙の孫、白炎が祖父を振り向いた。


「ふむ。まさかとは思っていたが、皇帝親征の噂は本当だったか」

 それはラグランジュ港にいるぎょう 白虹はくこうからもたらされた情報だった。

「よかろう。ならば、戦い方はひとつ」

 

 重武装のロスターナ艦に対し、セレンの艦船はよく訓練された機動性を誇る。


「奴らの懐に飛び込み、まずはあの不細工な神殿船を沈める。後はロスターナの連中と、思う存分艦隊戦を楽しもうではないか」

 

 突破せよ! 鷲 蒼牙は命令を下した。




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