第32話 漣国艦隊、発進

「き、貴様。なぜ……」

 皇帝はその男を見て言葉を失った。

 白銀の髪を後ろに流した年齢不詳の男は、全く表情を変えないまま、玉座に座る皇帝に向かい頭を下げた。

「死んだのではなかったのか……」


 ”永世宰相”と呼ばれるその男は、冷ややかな視線を皇帝に浴びせた。

「私の首を落とされましたな、陛下」

「あ、ああ」

「その後、心臓を取り出されましたか」

 それは、報告を受けていなかった。皇帝はぶるぶると首を振った。

「では、私の身体を焼かれましたか」

「い、……いや。そんな事はさせておらん」


「お優しいことだ。温情に感謝致します」

「あ、ああ。そうか、ああ……」

 皇帝の目は既に焦点を失っていた。痙攣を起こしたようにその身体は震え、玉座の上で皇帝は失禁していた。

 皇帝は、改めて永世宰相の恐ろしさを知ったのだった。


漣国れんこくへ出兵をお命じになったとか……」

「はあ、ああ、そうだ。命令した。儂が命じた」

 皇帝は問われるまま、譫言のように言葉を吐き出し続けた。もはや、催眠術にかかっているような口調と表情だった。


「では、陛下。この戦、ぜひ御自おんみずから出座なさるべきでしょう」

「……わかった。予が、親征することにする」

「王妃どのもお連れくださるよう」

「もちろんじゃ。我らは何処までも一緒だから……」


 宰相は頭を下げた。目を細め、口角が少し上がっていた。

 それが、満足げな笑みだと誰が気付いただろう。


 ☆


 青い海原に白い航跡を残し、無数の帆船が東へ向かっていた。

 この当時としては最大級の軍艦が舳先を並べている。一部の旧型艦を除き、その殆どがロスターナ海軍のものだった。


 ぎょう 白虹はくこうが楽観視していた帝国側最大の海軍国、ロスターナがその序盤から参戦してきたのだった。


「帝国と心中するつもりなのか、ロスターナは」

 エルセス・ハークビューザーは意外だった。

「いや。まさか、あの方がそんな事を考える訳は無いが」

 自問しては首を振る。

 ロスターナ公主ファネルは当代随一の名君と呼ばれる。その彼女を軍務長官シーガー・ロウが支えているのだ。みすみす自滅への道を歩むとは思えない。


「ほう。やはり面白い女だな、ロスターナ公は」

 白虹から報告を受けた海王、しゅう 蒼牙そうがは楽しげに笑った。

「どうします、爺さま。戦いますか」

 孫の白炎はくえんがからかうように言った。


「そうだな。やってやろうではないか。ここらでセドニア内海はセレンのものである事を示しておくのもいいだろうからの」

 白炎は呆れたように両手を広げた。

「そうは言っても、爺さま。手強いですよロスターナは」

「知っておるとも。油断ならぬ相手よ。やつらの実力は身に染みておるわ」


 そして、エルセスの方を振り向いた。その表情はまったく年齢を感じさせない。この一大海上帝国、セレンを築きあげた梟雄の姿がそこにあった。

 その鋭い視線に、エルセスは全身に鳥肌がたつのを覚えた。

「しっかり見ておくがいい、クロニクルよ」

 

「では出陣といこうぞ、白炎」

 海王は旗艦の舳先に立ち、右手をあげた。


「よし。全艦、発進!」

 鷲 白炎が命令を下す。

 セレン艦隊を構成する高速戦闘艦の舷側から突き出された櫓が一斉に動き始めた。


 この世界を二分する海軍国が、激突しようとしていた。





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