第25話 ゴスメル軍 対『神の剣』

「大丈夫かい、アルシェ」

 声を掛けられ、振り向いた少女は微かに笑みを浮かべた。

「師父さま……」

 僧衣の男が、穏やかな表情で彼女に頷きかける。


「この男は、もはや助からない深傷を負っていた。お前は、最後の慈悲を施したのだよ。神のご意志にそっているのだ。安心しなさい」


 彼女は剣を鞘に納め、膝をつく。

 自らが命を奪った男のために、胸の前で十字を切った。


 その少女、アルシェ・ジャンダルムは『神の剣』と呼ばれている。

 圧倒的に劣勢だったタルカス軍が、分裂する事もなくゴスメル公国に対抗出来ているのは彼女の存在が大きかった。

 彼女は、神の加護がタルカスにあると信じる人々の偶像アイドルであり、最前線で戦う戦士だった。


 ☆


 ここオルティアは、何度もゴスメルの掠奪を受けていた。

 その度に街は焼かれ、人々は避難せざるを得なかった。ただ、本格的な戦闘状態にはならず、ゴスメル軍も短期間で撤退していた。

 そしてまた、住民はこの街に戻り再建を始める。その繰り返しだった。


 数ヶ月前、小高い丘に建てた物見台の鐘が鳴らされた時、住民がうんざりしながらも、手慣れた様子で避難の準備を始めたのもそのためだった。

 どうせまた、すぐに奴らは居なくなる。住民の誰もがそう思った。


 だが彼らが見た物は、いつもの小部隊ではなかった。

 騎馬と歩兵を取り混ぜたゴスメルの正規軍が街道を埋め尽くして進軍してきたのだった。

 オルティアは、強固な石壁で囲まれた教会を残し破壊し尽くされた。


 ゴスメル軍はそのまま公都ライエルへ向かう。抵抗する間もなく、小さな都はゴスメル軍によって完全に包囲された。

 タルカス公は各地に救援を求めたが、それに応じる国は無かった。

 


 ゴスメルの公王が死去し、末弟が後を継いだことが、このゴスメル軍変貌の理由だった。


「宿敵タルカスをこの地上から抹殺するのだ」


 その新公王はすぐにタルカスへの軍事行動を命じた。武人としての評判をもたないこの男が、軍部へのご機嫌取りとして最弱国タルカスを狙ったのは明らかだった。長年、小競り合いを繰り返していたため、彼の言う宿敵という表現もあながち間違いではなかったけれど。


 包囲され陥落目前だった公国の都ライエルを救ったのは、義勇軍を率いて敢然と戦場に現れた、アルシェ・ジャンダルムだった。


「わたしは神の声を聞いた」

 彼女はそう宣言し、見事な戦術でゴスメル軍を分断し、包囲から公都を開放した。

 その後も戦い続けた彼女は、遂に戦線をこの国境の町まで押し戻すことに成功していたのだった。

 

 彼女は軍事の基礎も知らなかった。だがその戦術は理に適い、敵軍を翻弄した。

「全ては聖書に書かれているのだ」

 つねにアルシェはそう言った。

 彼女の言葉に、住民は歓喜した。


 タルカスの正規軍も彼女の下に集結し、防衛線はようやく強固なものになりつつあった。


「あなたは不思議な方ですね」

 アルシェは僧服の男の横に立った。


「聖書の言葉から戦術を見つけ出すなんて。あなたこそ神の使いなのではないでしょうか、ヘンシェルさま」

 その男は、見えない目をアルシェに向けた。それは、かつてのゴスメル公子、ヘンシェルだった。

「神は誰にも味方しないよ。たとえ自分を信じるものに対してもね。過度な期待はしないことだ」


 その言葉にアルシェは唇をとがらせた。

「またそんな事を仰って。その言い方だけは許せません」

「ああ。すまない。だから、ご飯抜きは勘弁してくれ、アルシェ」

 ふふっ、と二人は顔を見合わせて笑った。


「あら?」

 アルシェは空を見上げた。その声に緊張感が混じる。

「ヘンシェルさま。あれは」

「何が見える、アルシェ」


「大きな……金色の鳥が、こっちへ向かっています」

 そうか。ヘンシェルは頷いた。


「やっと来たようだな。『武装史官クロニクル』エルセス・ハークビューザー」





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