第24話 タルカスの聖女

 少女は祈るように、両手の指を組み合わせている。

 だがその細い指で握るものは十字架ではなく、剣の柄だった。

 彼女は逆手に持った長剣を頭上高く振りかざし、そのまま一気に突き下ろした。


 低い呻き声とともに、彼女の顔に血飛沫がかかる。

 手の甲でそれを拭うと白い頬に赤茶色の染みが大きく拡がった。


 彼女は、息絶えて足元に転がる男を冷ややかな表情で見下ろしている。

 鎧の隙間から流れ出た血が、彼女のつま先を浸していった。


「ゴスメルの異教徒……」

 少女は感情のない声で呟く。その血に汚れた頬を涙が伝った。


 ☆


 セドニア海の南岸は、その西半分までがゴスメル公国の領土である。

 ただそれはあくまでも海岸沿いに限られ、内陸に広がる草原にはその支配は及ばない。広大な草原では、10以上もの騎馬民族がそれぞれの水場オアシスを拠点とし、彼らの暮らしを続けている。


 一方、海岸沿いに東行すれば、小さな港町を中心とした小国がある。

 タルカスというその国は、帝国の崩壊が続き各地で公国が独立していく中、ロスターナと並んで、今も帝国へ臣従する姿勢を変えていなかった。


 ロスターナがクロニクルシステムによって帝国と強固に結ばれているのに対し、タルカスにはそういう互恵関係はなかった。西の大国ゴスメルの脅威に対し、帝国にすがる事で、辛うじて存続していると云っていい。

 だが、その帝国の威光も衰えた。


 さらに、東からはセレンがその触手を伸ばしつつある状況では、交易を国の柱とするタルカスはセレンと衝突せざるをえない。そこでタルカスは、帝国に臣従しつつ、セレンとも貿易協定を結ぶという綱渡りのような手段をとるしかなかった。


 タルカスは、関税という名の貢納金をセレンに納めることによって、セドニア海を航行することができているのだった。


 そんなタルカスを特徴付けているものは、貿易立国としての国の成り立ちだけではない。

 この大陸では他に見られない宗教。一神教だった。


 この大陸では伝統的に多神教が信仰されている。

 帝国でも、複数の天上神それぞれに神話がつくられ、大小さまざまな神殿や祠に祀られている。そして皇帝自身も死後は、その神々の座に列することになるのだった。


 片や草原地方はそういった人格神ではない。太陽や、雨をもたらす雲、そして風といった自然そのものが神としてあがめられている。


 だがタルカスはそれとは全く違う。ただ一柱の神を絶対神とし、この世界のすべてはこの神によって創造されたとする。

 なぜタルカスにだけこう云った信仰が生まれたのかは定かでは無い。だが、十字架を神、救世主の象徴として日々を生きる彼らは、誰もが皆、死した後は神の国へ行くことができると信じていた。


 ☆


 タルカスとゴスメル公国の紛争はすでに長年に亘り続いている。

 発端はもちろんゴスメル公国の独立である。

 帝国はタルカス経由でゴスメル討伐の軍を送ったが、決定的な戦果のないまま撤退していった。現在では、残されたタルカスのみがゴスメルの地方軍と対峙するはめになっているのだった。


 タルカスの国都ライエルからは三日ほどの距離になる国境地帯へ陣を敷いたゴスメル軍は、二百騎ほどの小部隊を執拗に動かし、タルカスへの侵攻を計っている。


 その最前線の町オルティアは何度も戦火に晒され、住民の多くは傷つき、住む家さえ失っていた。

 かろうじて、町の中心にある教会だけは、大きな破壊を免れていた。



 少女が敵兵に剣を振り下ろしたのは、その古い教会の前だった。



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