第22話 海賊の襲撃
大陸を南北に分断するように、穏やかな海が広がっている。
セドニア海というその内海。海岸線は南北で対照的な様相を見せる。入り江が多く、比較的なだらかな地形の北岸は良港に恵まれ、海上交通の重要ルートとなっている。一方、ゴスメル公国がある南岸は直線的なうえ、断崖絶壁となっている箇所がほとんどだ。
そのため、南岸の港町は数少なく、規模もまた小さかった。
草原の只中から、海岸に沿った街道に出るまで時間が掛かってしまった。
「もう、日が暮れそうだ」
エルセス・ハークビューザーは馬上で空を仰いだ。
帝国本土やロスターナといった北岸では、空はつねに薄曇りだ。それに較べると、ここゴスメルは空気が乾燥しているせいだろうか、空の青さが濃い。
その空も、周辺部分が茜色から紫色に染まり始めている。
上空を舞っていた、金属の巨鳥フュージリアもいつの間にか姿を消していた。
「宿を見つけなくては……」
アリーソードの軍から数日分の食料は分捕ってきたが、出来ればちゃんとした所で眠りたい。たとえ美味い食事は期待できないとしてもだ。
☆
幸運なことに、街道から海岸を見下ろしたところに港があった。ゴスメルで数少ない港町、クランカである。港を中心に小さな建物が点在している。
(貿易の拠点として、もっと開発すればいいのだろうけれど)
エルセスはそう思った。街道にも近く、ゴスメル公国の海の玄関口とするには良い立地なのだ。現に、港の沖合に巨大な船が停泊している。しかしそれも、桟橋が整備されていないため港に直接着けることが出来ず、小型の
フード付きのマント姿のエルセスを見て、宿の主人は露骨に渋い顔をした。彼女の頬に刻まれたクロニクルの紋章と、輝石のはめ込まれたペンダントを見せてもそれは変わらなかった。
「やれやれ、帝国の威光も衰えたものだ」
狭く、薄汚れた部屋に荷物を下ろし、エルセスはため息をついた。個室なだけ、まだマシか。そう思い直す。この様子では、どの部屋もそう変わりはしないだろう。
「食事に行くか……」
エルセスは足取り重く、食堂に向かった。
☆
食事を摂るエルセスの頬に、涙が伝った。
「どうしたんだ、お嬢ちゃん。そ、そんなに不味かったか」
宿の主人が慌てて駆け寄ってきた。
こんな田舎町だからなぁ、申し訳ないことだ。と
エルセスは黙ったまま、頭を振った。
「……美味しいです。おいしくて、涙が」
ゴスメルに来て、初めてまともな食事にありついた気がする。エルセスは感動に震えていた。
新鮮な魚をゴスメル特産の香りのいいバタ-で焼いたものに、貝類をふんだんに使ったスープ。そして、海産物だけではない。野菜もちゃんと歯ごたえが残っているのだ。
思わず涙も出るというもの。
「あんた。いったいどんなモノを食っていたんだ……」
哀れむように、主人は彼女を見た。
「さあさあ、もっと食べなさい。魚も野菜も、いくらでもあるぞ」
そうしてエルセスは、主人が満面の笑顔で出してくる料理を次々にたいらげた。
「く、苦しい」
当然のように、ベッドでお腹をさすっているエルセス。
その時、町の高手にある望楼の鐘が激しく打ち鳴らされた。
☆
港の方角で悲鳴があがっている。
「逃げてくださいお客さん、海賊だ!」
宿の主人が、各部屋へ叫んで回っている。
数隻の小舟で上陸したのは50人ほどの男たちだった。
帝国の衰退を象徴するのがこの海賊だろう。当初は北岸を中心に跳梁していたが、やがてその活動範囲を南岸にまで拡げてきたらしい。
エルセスは沖合に泊まっていた船を思い出した。
海賊たちは、交易のためにやって来た、あの船が下ろした積み荷を狙って来たのだろう。そして、海賊が狙うのは物品だけではない。
「子供の一人歩きは危ないぜ」
エルセスは宿を出たところで数人の海賊に囲まれていた。白刃が彼女に突きつけられた。
彼らにとって、人間は貴重な獲物なのだ。それが金持ちであれば人質として身代金を得る。そうでなければ奴隷として働かせるか、売り飛ばして金にすることが出来るからだ。特に少年は高い需要があった。
だが彼らにとって誤算だったのは、目の前の小柄な人影が少年ではなく、およそこの世界で最も危険と思われる生き物、『
彼らが持つのは短剣なのに対し、エルセスは細身の長剣である。すでに彼らはエルセスの間合いに踏み込んでしまっていた。
「が…、あ、あ」
男たちは何の反応もし得ないうちに切り伏せられていた。
地面で呻く4人の男を見下ろし、エルセスは厩舎へと向かった。
今度は10人ほどの武装した集団と出くわした。彼女は思わず舌打ちをする。
剣の柄に手をかけ姿勢を低くする彼女に、先頭の男が声をかけた。
「待て、俺たちは海賊じゃない。商人だ」
エルセスは暗闇に目を凝らした。松明に照らされたその男には見覚えがあった。
がっしりとした長身に、潮焼けした褐色の髪と肌。鋭い目付き。
「嘘をつくな。だれが商人だ」
彼女はフードをはね除けた。
「セレンの太子、
その男はエルセスを覗き込み、破顔した。
「なんだ。やたら腕がたつ奴がいると思ったらクロニクルだったのか。久しぶりだな、エルセス・ハークビューザー。よく憶えているぞ」
セレンはセドニア海の東、大海に向かって開けた海域に位置する
百を超える島々を制圧し、現在の体制を築き上げたのは
「あなたこそ、こんな所で何をしているのです。本当に商人に転身した訳ではないでしょう。……まさか太子を降ろされたとか?」
エルセスが冗談めかして言うと、白炎は薄く笑った。
「詳しい話は後にして、いまは海賊を撃退するのを手伝ってくれないか。自衛のためならクロニクルの掟に抵触はしないのだろう?」
白炎が顎で指し示す方向には、こちらの数倍もの人数の海賊たちが集結しているのが見えた。仲間をやられて殺気立っているのが明らかだ。
「ええ。だから、決してあなたを助けるためじゃありませんからね」
エルセスは再び剣を抜いた。
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