第21話 再び公国の都へ

 朝靄あさもやの残る草原にアリーソードは呆然と立ち尽くしていた。


「見事なものだな」

 傍らのエルセス・ハークビューザーは苦笑いを圧し殺し、周囲を見やった。

 濃い霧が晴れると、先刻まで対峙していたはずの草原の騎馬部隊は、全くその姿を消していた。夜襲を掛けたあと、そのまま撤退して行ったらしい。

 彼らの陣営はまったくの無人になっていた。


「斥候を出せ。奴等の居場所を突き止め、今日こそ総攻撃を掛ける」

 アリーソードは本陣を襲われた屈辱に冷静さを失っているのは明らかだ。慌ただしく天幕に戻り、幕僚を召集せよと大声を上げている。


 ひとつ肩をすくめたエルセスは、空を振り仰ぐ。それはすぐに見つかった。

 雲のない空に、金色に輝く巨大な鳥が円を描くように舞っている。

「フュージリア!」

 彼女の声に応じ、その金属の巨鳥は何処かへ飛び去って行った。


 ☆


「私にその質問は無意味だ」

 エルセスはアリーソードを見上げて、冷たく言い放った。

 出立の準備のために身の回りを片付けている所だった。

「この戦いにおいて、私が殿下あなたに助言できることは何も無い」


「意見を訊こうとか、そんなつもりではない。我が軍と行動を共にするだけでいい。奴らの喰らう干し草などとは、比較にならない食事も用意させてもらう」

 こいつ、私の弱点を知っているようだな、エルセスは唇を咬んだ。

「いや。もう、その手には乗らん」

 心は揺れたのだが。


「健闘を祈るとだけ言っておこう」

 彼女は騎乗し、アリーソードの陣営を離れた。


 エルセスのように戦史を記録するクロニクルは、対立する陣営のどちらかに加担することは許されない。それは歴史に介入したと見なされるからだ。

 勝利も敗北も、彼女の前では歴史の一断面でしかない。

 起きた事象をただ事実として記す。それがクロニクルだった。


 フュージリアが再びエルセスの頭上を舞っている。


「やはりシルト・グースか」

 円を描いていた金属の巨鳥はエルセスの視線を感じたように、その翼をゴスメル公国の都の方角へ向けていた。

「メルヴェスがいなかったのは、そう云う事なのだな」

 エルセスはフュージリアを追って馬を走らせた。


 ☆


 この当時、ゴスメルはタルカス公国との紛争を抱えており、地方軍はその多くが草原の更に東、タルカスとの国境へ配置されていたが、一部はロスターナ、ゼフュロス両国との国境で警備に当っている。


 速戦速決を狙ったアリーソードだったが、敵であるヘンシェルを取り逃がすという失態を犯し、その目論みは外れた。


 中央軍といえど、その全てが公都シルト・グースに集結している訳ではない。ゴスメル最大の仮装敵国はゼフュロスであることから、その主力は有事に即応するため公都の南へ駐屯している。

 現在、公都に残る兵力はそう多く無い筈だった。


「地方軍を集結させたとしても、公都を陥落させるのは容易ではないだろうけれどな。しかも、あの男では」

 エルセスは才子然としたメルヴェスの顔を思い浮かべた。


 街道の彼方から迫って来るものがあった。エルセスは馬を止めて街道脇に寄る。

 その横を脇目も振らず、早馬が駆け抜けて行った。


「アリーソードの陣へ向かうのか」

 エルセスは舞い上がった埃を払いながら、小さく呟いた。


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