第18話 草原を駆けるもの

「これからという時に何という事だ。愚かしいにも程が有る」

 拳を机に叩きつけたのはゴスメル公国の三男、アリーソードだった。常に冷静な表情を崩さないこの男が初めて動揺を見せたのは、次兄フォークトが市井の無頼漢によって殺害された事を知った時だった。


「必ず裏があるに違いない。おそらくメルヴェスの差し金だろう。調べろ!」


 こうして調査を命じたのは、この男の限界を示していた。敵陣営を攻撃するための確固たる証拠を挙げる事に拘ってしまったのだ。もし、殺害されたのがフォークトではなくアリーソードであったなら、フォークトは迷わず弟の仇討ちを命じただろう。

 あるいはメルヴェス本人がその立場であれば、間髪を入れず相手陣営を攻撃するための宣伝工作に利用したに違いない。

 真相など、だれも必要としてないのだ。アリーソードはそれに気付けなかった。


 更に彼を激怒させたのは、メルヴェスのみならず、長兄ヘンシェルまで王都脱出を許したことだった。無駄に時間を掛けてしまった結果だった。


「奴は所詮、陰険なだけの狐さ」

 メルヴェスの嘲る顔が脳裏に浮かぶ。


「絶対に殺せ。やつらは公国に刃を向けた反逆者だ!」

 彼が握る中央軍は、全ゴスメル国軍の7割を占める戦力である。正面から当ったなら、いくら地方軍を掻き集めたとて、遅れを取る事などあり得なかった。

 正統派の参謀を自認するアリーソードである。これだけの戦力差がある以上、奇策など不要と考えるのは当然だった。


「馬糞臭い草原の奴らともども、包囲して皆殺しにするのだ」

 アリーソードは全軍に進発を命じた。


 ☆


 エルセス・ハークビューザーは石版を手に、陣営を歩き回っていた。

 草原に暮らす騎馬民族について、彼女はまだ知らないことが多い。矢継ぎ早に繰り出される質問に、最初はにこやかに答えていた族長のリンク・ハーロウもさすがに辟易したらしい。すぐにその役目を他人に任せ、姿をくらませた。

 替わって相手をする事になったのは、彼女と同じくらいの年代の少女だった。日に焼けて、精悍な表情をしている。


「すまない。兄は、あれでも族長としての公務があるのでな」

 フランと名乗った彼女は、兄にそっくりの顔でいたずらっぽく笑った。


 柵を築いた最前線まで来たとき、彼女は目を細めた。

「どうやら、来たぞ。公国軍だ」

 遙か彼方に土埃が上がっている。それはエルセスには見る事ができなかった。草原に暮らすものだけが、それを視認することが出来るのだった。


 やがて、軍団が迫って来るのが、誰の目にも明らかになった。それは間違いなく、ゴスメル公国の中央軍だった。


 一本の矢が天空に向かって放たれた。それは、長く尾を引く甲高い音を響かせ、エルセスたちのいる陣営の上を越えていった。

「開戦の合図だ。あなたは下がった方がいい」

 すぐに敵の騎馬部隊が突撃して来るだろう。空を見上げたフランはそう言ってエルセスの馬の尻を叩いた。

「わたしたちの戦いをしっかり記録してくれよ。クロニクルどの」

 手をあげた彼女に、エルセスも手をあげて答える。

「もちろんだとも、フラン」


 次の瞬間、族長の妹の姿が馬上から消えた。

 強力なから放たれた矢を胸に受けた彼女は落馬し、地面へ倒れていた。



 ゴスメル公国の内戦は、こうして始まった。







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