第14話 最後のクロニクル

 打ち捨てられたクロニクル・システム。

 大広間の中央にあるものは、そうとしか思えなかった。


「初めて見るな。こんな形をしていたのか、クロニクル・システムとは」

 バードは巨大なガラスの円筒を見上げ、嘆声をあげた。

 だが、これにはシステムの根幹となる物が存在していなかった。稼働しているシステムであれば、この円筒に銀色の液体が満たされている筈だった。


 エルセスはそれに駆け寄ると操作盤を探した。ぐるりと一回りするが、台座のどこにもそれらしい物はない。ガラス面に触れてみるが、やはり反応は無かった。

「起動する方法が分らない」

 彼女は唇を咬んだ。


 違和感が彼女を襲った。

 これはそもそもクロニクル・システムのではないか?


「では、これが蚩尤しゆうの胴体なのか。そうは見えないけれどな」

 バードが口にした言葉に、エルセスは顔をあげた。

 もっと悪い可能性に思い当たったのだ。

「帝都のシステムに残った記録が誤っていたと云う事かもしれない」

「今さら、だな。それは今更過ぎる」

 エルセスの言葉にバードは呻いた。


 ☆


 帝都の新市街を混沌へと変えながら、饕餮とうてつは進んで行く。

 目指すはクロニクル・システムがある旧市街だった。そこに特徴的な尖塔を持つ史部寮しぶりょうが見えていた。

 かつてウィラス・ラムロッドも属していた史部寮だが、彼女自信もこんな形で戻って来るとは思っていなかっただろう。


 彼女の目的は、史部寮ごとクロニクル・システムを消滅させる事だった。


 饕餮と同化した彼女は、虚ろな瞳でその建物を見た。

「リディアがいたと思ったのに……」

 一瞬、強く彼女の存在を感じたが、すぐにその気配は消えた。ウィラスの喪失感は絶望に変わった。

「これで、全て終わらせるよ、リディア」


 ☆


 エルセスとバードは円筒を背に、座り込んでいた。

「外はどうなっているんだろうな」

 エルセスは黙って首を振った。もう疲れ果てていた。

(リディアはなぜ、ここに行けと言ったのだろう)

 いくら考えても答えは出なかった。


「おい、エルセス。ちょっといいか」

 バードが彼女の胸元に手を伸ばしてきた。

「止めろ。こんな時に何を考えている!」

 強くその手をはね除ける。彼は叩かれた手を撫でながら、困惑した表情になった。


「いや、違うんだ。その胸のところが光っているのではないかと思って……」

 エルセスは気付いて、ペンダントの鎖をマントから引き出した。

 輝石を埋め込んだペンダント。それが淡い光を放っていた。


「これが鍵じゃないのか。エルセス」

 愕然とした表情で彼女はバードの手を執った。無言のまま何度も上下に振る。

「おい、怖いぞ。大丈夫か」

「……ああ、すみません。まさか、こんな身近にあるとは思わなかった」

 エルセスは勢いよく立ち上がった。


 円筒のガラス面に輝石が触れた瞬間、その内部に何かが充たされていくのが分った。液体ではなく霧のようなものだ。それは微かな光を放っていた。

 竜巻のように渦を巻き、天井まで昇って行く。


 エルセスは確信した。

 これは決してクロニクル・システムではない。


 ☆


 史部寮に向かっていた饕餮が動きを止めた。僅かに残ったウィラスの意識がそれに気付いた。何かが呼んでいる。

 貪欲に知識を求め、この世の全てを喰らっていた饕餮を引きつけるもの。

 史部寮のシステムでは及びも付かない程に『食欲』をそそるものがそこにあった。




「蚩尤と云うのは一種の例えだと思うんです」

 エルセスはバードを大広間から連れ出した。

「元々、蚩尤にせよ饕餮にせよこの大陸の伝承ではないのですから」

 それは内海の東、島嶼連合の”漣国れんこく”を抜けて、遙か大海を渡って行った東の大陸から伝わったものとされる。その名をこの正体不明の存在に宛てたのだ。


「では、これは何なんだ。本当に饕餮がここに来るのか?」

「これが何かは、まだ分らない」

 エルセスは即答した。

「おい!」


 だけど、確かにリディアはここに行けと言った。私の役目はこのシステムを動かす事だったのだ。

「クロニクル・システムにある情報の断片がリディアさんの中で統合されたんです。あの人だけは全てを分っていたんですよ」

 むう、とバードは唸った。

「だから、きっと饕餮は来ます。でも、その後どうすれば良いのかは、分りません」


 そりゃ、困ったな。バードは笑おうとしたが、頬が引きっただけだった。


 ☆

 

「何だか、耳が痛くないか、エルセス」

 顔をしかめてバードが言う。

 それは彼女も感じていた。耳に聞こえる上限の音が周囲に響いているのだと気付いた。おそらくこれが、饕餮が迫っている証しなのだろうと思う。


「今のうちに言っておく。好きだったぜ、お前の事」

 それはどうも、とエルセスは微笑した。なぜバードがそんな事を言い出したのか彼女にもすぐに分った。

 バードが指差した先に、それがあったからだ。


 広間の石造りの壁に、黒い染みが顕れた。

「来たぞ、エルセス」

 その黒い影は見る見る大きく拡がった。黒いだけでは無い。闇の中に燦めくものが見える。これはまるで……。

「まるで星空だ」

 二人が同時に呟いた時には、周囲は”輝く暗闇”に包まれていた。

(混沌に呑み込まれたのか……)

 エルセスは不思議と、何の動揺も無くそう思った。


 暗闇が彼女の身体を侵食していった。それは痛みも無く、苦しみも無かった。

「ああっ!」

 しかしエルセスは声をあげた。

 彼女の中に『世界』が流れ込んできたのだ。以前、ウィラス・ラムロッドが言っていた通りだった。混沌に呑み込まれたら分る事があると。

 それは快感というよりも『全能感』だった。恍惚とした意識の中で、彼女は歓喜の声をあげ、漂い続けていた。


 ☆


 時間の経過が分らなくなった頃、目の前が少し明るくなった。

 エルセスは顔が涙に濡れているのに気付いた。

 彼女は混沌に呑まれる前と同じように大広間に立ち尽くしていた。足元にはバードが倒れている。そして。


「ウィラスさん!」

 円筒の根元にウィラス・ラムロッドが蹲っていた。そして饕餮の姿は無かった。

「ああ、エルセスじゃないか」

 ウィラスは顔をあげ、彼女を見て力なく笑う。不思議そうに全身を見回して大きくため息をついた。

「なんだ、饕餮は行ってしまったのか」

 そう言うと彼女はうなだれて嗚咽した。


 ☆


 ウィラスとリディアの双子姉妹は正式にクロニクルを解任された。これは帝国と通商協定を結ぶ際にゼフュロス王が出した条件によるものだった。双子の姉妹はゼフュロスに引き取られた。



「結局あの機械というか、あれは何だったんだ」

 バード・ボウレインは『将軍亭』の名物、白身魚の香味揚げをつまみながら芳醇なエールを喉に流し込んだ。

「あぁ、美味ぇ」

「良かったですね、生きていて」


 庚冉宮こうぜんきゅうの中にあった古代機械。あれはクロニクル・システムではなかった。

「通路、というのが正解なんでしょう」

 ほう。バードは首をかしげた。饕餮がクロニクル・システムよりも食欲をそそられるもの、それがあの機械だというのだ。彼には到底、理解出来なかった。


「それが異世界へ繋がるものだとしても?」

 饕餮は未知の世界に惹かれたのだ。本当にクロニクルと同じかもしれない。エルセスはそう思った。


 いつか自分も饕餮のように、新たな知識を求めて異世界へ旅立つのかもしれない。だがそれまでに、この世界を記述しなければならない。

 なぜなら、この世界に残るクロニクルはもう私だけなのだから。



(第一部「ゼフュロス編」完)




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