第12話 破壊神の復活

 突風による被害の跡が残る街道をエルセス・ハークビューザーとカルラ・リオットの部隊は帝都へ急行していた。駱駝を含めた異様な集団だが、それを咎める余裕は誰にも無かった。倒壊した家屋の片付けをしながら、呆然とこちらを眺めている。

 警備隊らしき一団が誰何すいかしてきたが、頬のクロニクルの紋章を見せて追い払った。


 地平線に、帝都の巨大な城壁がそそり立つのが見えてきた。

「ここからは一人で行く方が良いだろう」

 カルラが足を止めた。

「我らは本隊へ帰還する。……また会えるといいな、エル」

 差し出された右手をエルセスは強く握り返した。

「ありがとう、カルラ」

 でも、もう会う事は無いだろうと、エルセスは少し寂しく思った。


 エルセスはカルラを呼び止めた。一枚の木札を手渡す。

「わたしの通行証だ。何かあったら使うといい。それにこれを……」

 カルラはエルセスの言葉を遮った。

「形見などとは言うなよ。必ず返しに来るからな」

 必ずだからな! そう叫ぶとカルラは部隊を率いて、来た道を走り去っていった。


 ☆


 帝都の奥深く、最も古くからある区画が史部寮しぶりょうだった。クロニクル・システムを擁し、エルセスたちクロニクルの戻って来る場所だ。

「お帰りなさい、ハークビューザー史官」

 衛士が声をかけてくる。

「お急ぎのようですが一応、確認をさせて貰って良いですかな」

 エルセスは頬の紋章と階級章を兼ねたペンダントを慌ただしく提示する。衛士はにっこりと笑い、門を開けた。

「焦ってはいけませんよ。捜せば、途は幾つもあるものです」

 えっ? とエルセスは彼の顔を見返した。しかし彼は何事も無かったように外を見ているだけだった。


 何重もの扉の奥にクロニクル・システムはある。最後の扉にあるくぼみに手を押し当てると、それは音も無く開いた。

 部屋の中央にある銀色の液体が入った巨大なガラスの箱がその本体だ。

「恐ろしい事になったな。饕餮とうてつとは」

 穏やかな表情の老人は、ここ史部寮の長官だった。そして部屋の隅でひとり腰掛けている女性。ウィラス・ラムロッドによく似ていた。

 だが、その顔には何の表情も浮かんでいない。空洞のような瞳で一冊の本を読んでいる。いや果たして読んでいるのか、それも分らなかった。


 宮廷内の事件に巻き込まれたのだと長官は言っていた。それで、心を壊されてしまったのだと。それ以来ずっとこうして、ただ椅子に座って本を読んでいるだけなのだという。


 その時、銀色の液体が大きく揺れた。時折、虹色の光を放っている。

「もう時間がありません。わたしをクロニクル・システムに繋げて下さい。饕餮を大人しくさせる方法を知りたいのです」

 長官は黙って首を横に振った。温和な表情に似合わない断固とした態度だった。

「でもこのままでは、帝国もウィラスも救えないんです!」


 ぱさっ、と本が床に落ちる音に、二人は振り向いた。

「ウィラスが、……姉さんが来る」

 ウィラスの双子の妹、リディア・ラムロッドは立ち上がっていた。

 長官は愕然とした表情になった。エルセスにしても、彼女が喋るのは初めて見る。

 だが、依然として彼女の目は虚ろなままだった。

 システムに歩み寄ると、石版を置くための窪みに手を触れた。


 銀色の液体が激しく明滅を始め、虹色の光が渦を巻く。明らかにシステムが反応を始めたのが分った。

 彼女は輝くガラス面を手で撫でる。迷いの無い動きだった。

 光はそれに合わせて形を変えていく。


「リディア、何をする。止せ!」

 長官が大声をあげ、彼女を制止するため駆け寄った。

 その身体が壁際まで撥ね飛ばされた。リディアは、不思議そうに自分の手を見ている。長官を突き飛ばしたのは彼女だった。

 自分自身にも思いがけない程、強い力だったのに違いない。


「饕餮にはね……、身体が必要なの」

 囁くような声をエルセスは聞いた。唄うように、リディアは続ける。

「ずっと、身体を探しているの。だから探してあげる。姉さんのかわりに、私が」


 エルセスは背筋が寒くなった。

 饕餮は、あるものの頭部だとも言われる。その、あるものとは。

「史上最悪の凶神、蚩尤しゆう」 

 奴が招くものは永遠に続く戦乱だ。

 混沌を薙ぎ払う為に破壊神を解放する。それは、最悪の選択としか思えなかった。


 ☆


庚冉こうぜん宮へ行きなさい、エルセス・ハークビューザー」

 はっきりとした口調でリディア・ラムロッドが告げた。暗い洞窟のようだったその瞳は今、強い光を放っている。消えかけていた頬の紋章がはっきりと浮かび上がっている事にエルセスは気付いた。

「リディア…さん」

「そこに頭部を失った蚩尤が幽閉されている」


 帝都に立ち並ぶ華麗な宮殿のひとつで、ここ史部寮と同じ程の古い歴史を持つのが庚冉宮である。建造された理由は、暴君と化した初代の皇帝を家臣達が共謀して押し込めたものと伝わっていた。

 帝国創建期に好まれた建築様式なのだが、見る者には不気味さしか与えない。何故なら、ここには窓は勿論、出入りするための門すら無いからだ。

「蚩尤が、あの中に」

 エルセスは絶句した。


 だが頑強な外壁は分厚い石造りである。人が破壊するのは不可能に思われた。


「帝都の旧い建造物は、殆どが地下通路で繋がっている」

「では、この史部寮とも?」

 リディアは首を横に振った。

「かつてはそうだった。だが、史部寮側の入り口は封鎖されていて、今は進入出来なくなっている」

 エルセスは大きく息をついた。


「現在、入り口が残されているのは一箇所だ。そこは封鎖された記録が無い」

 そう言うとリディアは黙り込んだ。その瞳からは、既に光が失われていた。


 ☆


「あれ、エリー。いつの間に帰ってたの。お腹空いてない、ご飯用意しようか?」

『将軍亭』の看板娘リスティは明るい声で言った。

 思い詰めた表情を少しだけ緩めたエルセスは、お茶だけ貰う事にした。

「ありがとう。それより…おじいちゃん、居る?」

 うん? リスティは首をかしげた。


 エルセスは、古い店内を見回した。

 何度も改修を行った跡はあるが、おそらく帝国初期から続く建物なのだろう。

「そうだよ、エルセス。ここは帝国軍の施設を貰い受けたものだ」

 老人は彼女を地下室へと案内した。


 ここが、庚冉宮へ続く地下道の、唯一の入り口なのだった。



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