第11話 ゼフュロス戦役の果て

 帝国にあるクロニクル・システムを饕餮とうてつに喰らわせる。彼女はそう言った。

「あれが全てのシステムの本体なのだから」


「それは『摂政王』トゥール・シャロウが命じた事なのですか。それがゼフュロス王の望みだとでも言うのですか」

 帝国とクロニクル・システムに支配されたこの世界を、歴史ごと葬り去ろうという暴挙ではないか。

「まさか。これは、私の最後の我儘だ……」

 ああ見えて、トゥール・シャロウは優しい男なのだ。そんな非道な事には賛成するものか。彼女はそう言うと、微かに笑みを浮かべた。


「だったら尚更です!」

 エルセスは彼女の両肩を掴んだ。

「わたしは必ずあなたを止める。あなたを死なせはしない」

 ウィラスの目が優しく細められた。それはまるで、実の妹を見る表情だった。

「ありがとう、エルセス」

 そっと、肩に掛かった手を外す。

「でも、ここでお別れだ。お前はロスターナへ戻れ。図書館要塞に残るシステムであれば、単独でも混沌に対抗できるだろう」


「あなたはクロニクルを裏切った上に、あの方も裏切るのですか。あなたを愛していらっしゃるのでしょう、トゥール・シャロウ殿は?」

 なおも食い下がるエルセス。

「そして、あなたも……」


「これは面白い冗談…、いや、すまない」

 ウィラスは小さく呟いて首を振った。

「カルラ、クロニクル殿を陣の外まで案内して差し上げろ」

 天幕に入ってきたカルラ・リオットが、困惑顔で二人を見る。

「どうしたのだ」

 ウィラスに問われ、カルラは天幕の外に目をやった。

 そこには摂政王、トゥール・シャロウの長身があった。


「帝国と講和する事に決めた」

 ウィラス・ラムロッドの前に膝をついて、『摂政王』は短く言った。反論の余地を与えない鋭さだった。


「そうですか。ゼフュロスのためには、それが宜しいでしょう」

 ウィラスは素直に頷いた。それは彼にとって、やや意外だったのだが。

「元々は、ルードベールによって虐殺された我らの隊商の仇を討つのが目的だったからな。ついでに帝国を脅し上げて有利な通商協定を結べれば、と思ったが」

 トゥール・シャロウはウィラスの手をとった。

「その目的は達せられそうだ。奴らはルードベールの滅亡を見て、怯えている」

 彼はすでに使者を送り、手応えを得ているのだった。

 

「いえ。私が言ったのは、王はここで引き返して欲しいと云う事です」

 自分は別の途を行くと、ウィラス・ラムロッドは宣言した。

「たとえ、あなたであっても、私を止める事はできません」

 彼女はやせ細った身体で立ち上がり、天幕を出た。

「邪魔をするなら、一歩先に混沌へ還っていただくことになるでしょう。そんな事をわたしにさせないで下さい」

 背を向けたまま彼女は言った。冷たい風が天幕の中に吹き込んだ。


 ウィラス・ラムロッドは『廃都』へ向かった。

 彼女は饕餮とうてつの半透明な身体に取り込まれ、穏やかな表情で目を閉じている。血管が浮き上がっているように見えるのは肌を流れる血液そのものだった。それが饕餮の身体に送られ、また戻って来る。饕餮と彼女は母親と胎児のように、完全に繋がっているのだった。


 強風と共に微細な氷が渦を巻き、侵入するものを切り裂いていく極寒地獄のなかにクロニクル・システムはあった。これは現在の帝都にあるものと一対を為す双子のシステムなのだ。バックアップ用といってもいい。

 つまりどちらか片方を破壊しただけでは、システムの完全な停止は望めない。たとえ今は暴走状態にあるとしても、放置はできないのだった。

「さあ、好きなだけ喰らうがいい、饕餮」

 崩れ落ちた城壁の彼方に、鈍く銀色に光る巨大な円筒があった。


 ☆


「わたしは帝都へ向かいます。饕餮を止める方法も、システムになら記録されていると思いますから」

 エルセスはフードを下げ、騎乗した。

「待て、クロニクル。それは……」

 トゥール・シャロウが言いかけて口をつぐんだ。しばらく二人は見つめ合う。

「ウィラスと同じ事をしようと云うのではないだろうな」

 やっと彼は言った。エルセスは静かに頷く。

「他に方法はありません。さらばです、陛下」

 

「カルラ、一隊を率いてクロニクル殿を追え。まだルードベールの残党がいるかもしれない。帝都までしっかり護衛するのだ!」

 摂政王の命令で、エルセスを追うように騎馬隊が進発していった。


 ☆


 地面に積もる白い雪を見かけなくなった辺りが、帝国との国境だった。街道にはルードベールを逃れた難民が溢れ、進路を妨げる。

「邪魔だな。こいつら斬り殺してもいいか?」

 駱駝の上で使う長剣に手を掛け、カルラがうそぶいた。

「駄目に決まっている。彼らはもうゼフュロスの敵ではないのだぞ。それに、そんな事をすれば余計にパニックになる」

 カルラは肩をすくめた。


「あぁん、あれは何だ?」

 彼女が何かに気付いた。振り返り、彼方の山を指差している。つられてエルセスも振り返る。

「雲か、いや……違う。鳥ではないのか?」

 山の稜線が黒く、入道雲のように高く空へと膨れ上がっていく。

 街道の両側の並木が、ざわざわと揺れる。


 突然、黒雲のようなそれがかき消すように見えなくなった。鳥たちが風に吹き散らされたのだと気付いたのは次の瞬間だった。

 氷まじりの暴風が彼女たちを襲った。

 悲鳴すらかき消される轟音の中、馬も駱駝もなぎ倒されエルセスたちは地に叩きつけられた。

「痛えっ、それに寒っ!」

 とっさにエルセスに覆い被さったカルラが耳元で叫んでいる。


 長い時間が経過した気がした。

 風が、やんだ。


「大丈夫か、エルちゃん」

 カルラに声を掛けられ、目を開けたエルセスは身体を起こした。打撲はあるが、ひどい傷はないようだ。だがカルラは頭から血を流している。

「何かぶつかって来やがったんだ。まあ、心配するな。ツバ付けときゃ治る」

 しかし、周りを見た二人は、揃って息をのんだ。

 倒木や荷車の下敷きになった難民たち。風に吹き飛ばされたのだろう、首がありえない角度で曲がったまま転がる子供の姿もある。

 やっと悲鳴と呻き声が彼女たちに届いてきた。


「何だったんだ、今の風は。……それに」

 二人は気付いた。

「なんだこの暖かさは」


 それは、ルードベールのクロニクル・システムがその機能を停止した証しだった。


「饕餮が来る……」

 エルセスは山の彼方を見た。

 もう時間は残されていなかった。


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