第9話 饕餮(とうてつ)

 天幕のなかでウィラス・ラムロッドは、上半身をトゥール・シャロウに抱きかかえられ、横たわっていた。

「……無粋だぞ、ハークビューザー」

 立ち尽くすエルセスに、力なく彼女は言った。

「恋人同士の甘やかな時間なのに」


「どう見てもそんな状況ではないでしょう。身体は……大丈夫なのですか」

 トゥール・シャロウはエルセスを見て笑みを浮かべた。

「心配するな、クロニクル。ウィラスの冗談を久しぶりに聞いたよ」

 そう言うと、膝の上の彼女の髪を優しく撫でる。

 ウィラスは気持ち良さそうに目を閉じた。

「なんだか、エルセスの真面目な顔を見ると、からかいたくなるんだ。許せ」

 ウィラス・ラムロッドはかすかに笑ったようだった。


 ☆


「あれは一体、どうしたんですか。どうすれば、饕餮とうてつを手なずけるなどという事が出来るんです」

 そもそも、饕餮など何処に居たのだ。


「あの饕餮は文字を喰らう」

 ウィラスは遠くを見る目になった。

「古代の文献を当れば奴の居場所はすぐに分った。そして、奴が居るところに、伝説のクロニクル・システムがあった、という訳だ」

 文字の宝庫だから、そこにおびき寄せられていたのだ。


「でも、それでは。あいつが、此処ここにいる理由が……」

「文字を喰らわせてやればいい。それは私の中にある」

 でも、人間の内にある文字など、たかが知れている。

 ある事に気付いて、エルセスは青ざめた。


「古代の文献をあたったと言いましたね…、それに文字を喰らわせるって。それも饕餮が満足するほど……」

 エルセスは、がくりと膝を突いた。

「あなたは、システムと繋がっているのですか」


 ☆


「それは、クロニクル最大の禁忌なのに」

 彼女がこんなに衰弱している理由がはっきりと分った。

 歴史に関与するだけでも、クロニクルはその命を削られていく。ましてや、システムのデータをその身に取り込むなど、死にも匹敵する苦痛を常に受けている筈だ。


「私自身が饕餮の餌となり、時々この中の文字を食わせてやることで、あいつを繋ぎ止めている、という訳だ」

 彼女は指で自分の頭を突いた。


「そうまでする必要があるのですか。帝国を滅ぼそうというなら他にも」

 他にも、もっと方法はあるだろう。


「違うよ、エルセス。そんな事は考えていない」

 そこでウィラス・ラムロッドは疲れ切ったように沈黙した。

 しばらくして大きく息をつく。

「見ていてくれないか。クロニクルを裏切った、私の最後の戦いを……」


 ☆


 饕餮は、文字を喰らう。

 だがそれは本や記憶を食べるという事だけではない。

 城頭から放たれるそれには『矢』という名前がついている。

『兵士』と名が付いたものが『城』を守っている。全ては饕餮の餌なのである。


 饕餮はゆっくりと城壁に向かい動きだした。

 この世の中の、名前を持つそれら全てを喰らい尽くし、後には混沌だけが残るのだ。



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