第7話 氷の中のクロニクル
ルードベール公国において
かつて帝国の一部であったこの国には、ある時期まで帝国の都が置かれていた。帝国の起源となる土地だったのだ。帝国の版図が拡がるにつれ、北方に偏りすぎていたこの都は捨てられ、現在の帝都に
政庁は南へ移転したとは言え、商都としては、まだまだ繁栄を続けていけるだけの人口もあり、帝国の経済の中心地で有り続けるはずだった。
その日までは。
その日は朝から寒気が街を包んでいた。息は白く、窓は凍り付いた。
黒い雲が空を覆い、時折雷鳴が響いていた。
不安げに空を見上げる人々を、人の拳ほどの
家の中で盛んに火を焚き、その周りに家族は集まった。
「こんな寒さは初めてだ。天変地異の前触れでなければいいが」
誰かの言葉に、皆、頷きあった。
本当の悲劇は翌日の明け方に訪れた。
都の上空に集まった猛烈な寒気が急激に降下してきたのだ。
空気を凍らせ、真っ白な渦となった冷気の塊が都を直撃した。
巨大な雹によって破壊された家屋で身を寄せ合っていた人々は、その雪の女王の真白い手によって、一瞬で氷の像となった。
旧帝都は一夜にして、氷で出来た死者の都となった。
その後、ルードベール地方は帝国から独立したが、現在でも氷に埋もれたその場所に近づく者はいない。いまだにその場所には微細な氷を含んだ強風が渦を巻き、その中に立ち入った者は、数時間もすれば寒さで意識を失い、そのまま死に至るという。
だがここは、世界の『歴史』という点から、決して忘れることはできない場所だ。
なぜなら、そこにはクロニクルシステムがあったからだ。
世界を根本から変える事が出来るという、古代機械の一つが、氷の都で動き続けているかもしれないのだ。
☆
ゼフュロス王国、いや
彼女を止めた方がいいのか……。エルセスは眉を寄せ、考え込んだ。
システムを使って歴史を変えようとする行為もまた歴史には違いない。だとすれば、それを阻止すると云うことは歴史の流れを変えようとする試みになるのではないだろうか。
ここに来てパラドックスにはまり込んでしまった気分だ。
「まあいいだろう。優しい先輩だったしな」
小さく呟いて、ひとつ頷いた。
「会いに行ってみるか」
「何だ、もう行ってしまうのか」
ガルドアが大きなお腹を揺らしながら、淋しげに言った。
「この戦いが終わったら、お前に結婚を申し込もうと思っていたのに」
エルセスは苦笑するしかなかった。
「いつも別れ際には、そんな事を言っているではないか」
なのに、まだ一度も申し込んでくれていないし。
「申し込んだら、受けてくれるか」
ガルドアの額が、てかっと輝く。
「さあな。有力候補の一人くらいには考えてやっているぞ」
ふふっ、と二人は顔を見合わせて笑う。
☆
エルセス・ハークビューザーは間道を抜け、北国街道を目指した。
急峻な山を越えて、温暖なロスターナから離れるにつれ、風が冷たく感じられた。
夕刻、街道沿いの集落に出た。
この辺りはすでにルードベールの勢力圏になる。クロニクルは帝国に所属するが、だからといって排斥される事はない。
ただ、フード付きマント姿の彼女を珍しげに見るだけだ。
いちばん大きな石造りの建物が、この街で唯一の宿屋らしかった。
「ゼフュロス軍かい? 十日ほど前に通って行ったぞ。大軍だったね。まあ、通り抜けて行っただけだからな、儲けにもならなかったさ」
宿の主人は人の良さそうな笑顔を浮かべた。
「思ったより早いな」
エルセスはゼフュロス軍の行軍速度に驚いた。
ほとんどが騎馬だという事だろうが、信じられない速度だ。
「戦争になるのかね」
考え込んだエルセスの顔を、主人はのぞき込んだ。
「……たぶん、なると思います」
エルセスが答えると、主人は肩を落としため息をついた。
硬いベッドだったが、久しぶりの屋内だった。
エルセスは熟睡した。
翌朝、外は雪が舞っていた。
「この時期の風は、廃都から吹いてくるんだ」
主人の言葉に、エルセスはマントの前をかき合わせ、ぶるっと震えた。
「あそこに連なる山の内側には、絶対行っちゃいけないよ」
ここからでも、かつての都を取り囲む切り立った岩山が遠くに望めた。
心配げに何度も念を押す主人に、彼女は笑いかけた。
手を振り、宿屋を出た。
だが、エルセス・ハークビューザーはそこへ向かう事になるのを確信していた。
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