第6話 裏切りの代償


 この場所は、かつて河が流れていたのだろう。

 波打つように浸食され、さらに砂まじりの風に削られた奇岩が、あたかも林のように立ち並んでいる。


 獰猛な表情の西方馬と、強靱な四肢を持つ駱駝ラクダを中心とした機動部隊は、黄色い砂埃を巻き上げ、東を目指していた。


 精鋭中の精鋭、ゼフュロス王親衛隊に囲まれた中に、その男は居た。

 若き『摂政せっしょう王』トゥール・シャロウは、騎乗する一際大きな馬に似つかわしい雄大な体躯で、砂漠の軍隊を指揮している。

 甥にあたる現ゼフュロス王は若年であるため、政治および軍事の全てを彼が取り仕切っている。しかし決して驕る事無く、常に王への忠誠を誓う姿は、砂漠の民の尊敬を集めていた。


 彼に並ぶように駱駝を進める女性は、有能な参謀であり彼の片腕と称されるウィラス・ラムロッドである。摂政王の愛人という噂もあるが、それを非難する者はいない。彼女の類い希な能力を誰もが知っているからだ。決して笑顔を浮かべる事のない冷たく整った容貌の奥には、この世に初めて歴史が刻まれて以来の膨大な知識が収蔵されていた。そして、その左頬には紅い紋章が描かれていた。

 ウィラス・ラムロッド。元、武装史官クロニクルである。


 ☆


「プラストンは上手くやっているようだ」

 トゥール・シャロウは隣のウィラスに笑顔を向けた。

「はい。ロスターナに向け、虚実取り混ぜた情報を流すことで、牽制の役目を果たしておられますね」

 ウィラスは小さく頷いた。

「我々は、このままルードベールを目指します」


 ロスターナ軍と対峙する別働隊はただのおとりに過ぎない。本隊は北国街道を迂回し、まずルードベールを降すために行軍しているのだった。


「あの公主は気付いているのではないか?」

 摂政王の言葉に、ウィラスは珍しくその端正な顔を歪めた。苦笑したとも見える。

「買いかぶるつもりは有りませんが、積極的な攻撃を仕掛けてこないという事は、その可能性はあります」

 彼女は伊達に『鉄血の公主』と呼ばれている訳ではない。

 たとえ今は気付いていなくとも、必ずこちらの意図を理解するだろう。

「その時どう動いてくるか、ですけれど」

「ああ。だがそうなったらプラストンが城塞を突破し、ロスターナを占拠するだけの事だがな」

 すべてはお前の作戦通りだ。トゥール・シャロウはウィラスの頭に手を伸ばした。

 彼女は目を閉じ、撫でられるに任せていた。



 突然ウィラスは顔をしかめ呻いた。

 左頬の紅の紋章から血の玉が浮き、流れ出したものが顎に伝っていた。

 慌ててトゥール・シャロウは彼女を抱き寄せた。

「すまん。無理をさせたようだな」

 布を取り出し、ウィラスに手渡す。彼女の手は激痛に震えていた。

 しかし、小さく首を横に振る。

「これはクロニクルを裏切ったものの定めですから」

 ウィラスは左の頬を布で押さえた。それにもすぐに血が滲み、紅く染まった。


 掟を破り、歴史に関与しようとするクロニクルはその報いを受けることになる。

 クロニクルの紋章が、彼女を侵食しようとしているのだった。



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