第4話 要塞という名の図書館

 ロスターナへと向かう定期船は、小さな島が集まる海域を抜け、水路のような狭く深い湾の奥へと入っていった。


 やがてその一番奥に、山の中腹まで広がる石造りの街並みが見えてきた。オレンジ色の屋根で統一された、美しくも可愛らしい、ロスターナの街並みだ。


 その港への進入を阻むように大きな島が立ちはだかっている。

 ハリネズミを思わせるその姿。突き出しているのは全て大砲の砲塔である。


 敵艦が侵攻して来たなら、集中砲火により即座に撃沈するという意志を全身で示している。


 しかし、帝国の公用旗を掲げ、事前通告を行ったこの定期船は、発砲される事もなく、その横をすり抜けた。


 砲台で覆われた外洋側とは一転し、港に面した側は全面が図書館と公文書館の建物で埋め尽くされている。

 それはあたかもハリネズミの柔らかい腹部を想わせた。


 その船着き場から小型の連絡船が往き来しているのが見える。


(あー、懐かしいな)


 エルセス・ハークビューザーは船の手摺にすがり、その島を見詰めていた。

 彼女はクロニクルに選ばれるまでの数年間、ここで働いていたのだ。


 この砲台でよろわれた『要塞図書館』で。


 世界に4台存在すると言われるクロニクルシステム。二つは帝都にあったが、その内の一つは既に失われた。

 もう一つは西方の砂漠地帯に存在するという、不確かな伝承のみが残り、最後の1台はここ要塞図書館の中にあった。


 船は、本土側の港へ入った。


 この地方を統治しているのはロスターナ公ファネルという女性だった。


 夫君であった先代ロスターナ公の後を継いだばかりの頃、君主不在の機を狙い侵攻してきた周辺国軍を、ことごとく撃退して退けた事から『鉄血の公主』とも呼ばれている。


 注 : 公主とは皇帝や王の娘を言うが、この場合は公国の主(女性の)という意味で使っている。


「もう、イヤだわ。その名前」

 ひらひらと手を振りながら、静かに笑うのが現在のロスターナ公である。実際に謁見してみると、あだ名のような威圧感はまるで感じない。


 蒼みがかった金髪を後ろで緩く束ね、装飾品も殆ど着けていない。

 三十才をいくつか越えているが、いまだに少女の面影を残した清楚な女性である。


 彼女はエルセスの元上司でもあった。

 図書館の分館長を勤めていた彼女は、先代のロスターナ公に見初められ、その妃となったのだ。


 夫を亡くしたあとは、公主としてこの地方を守り抜いて来た、当代屈指の名君と言ってもいい。


「あなたが来たと云うことは、また戦争の話なのね」

「すみません」

 エルセスは紅の瞳を伏せた。


「まあ、あなたをクロニクルに推薦したのは私だから、謝るのは私の方だけれどね」

 では、と公主は表情を改めた。

「ロスターナの防衛体制について説明しましょうか」


 彼女は一人の男を呼んだ。

 軍務長官、シーガー・ロウ。まだ若いが、軍の事務方トップだ。エルセスにとって旧知の友人である彼もまた、公主に抜擢された一人だった。


「懇ろな話はまた改めて。では最前線の配置からですが……」


 彼の説明をエルセスは黙って聞く。彼女が意見を表明することは許されていない。歴史に干渉したとみなされるからだ。

 表情にすら表すことは出来ない。黙々と記録を続ける。


 だが、長官の説明に異議を唱える必要も無かった。今できる中では最善なのだろうとエルセスにも思われた。


 今回、ゼフュロス王国は帝国本土への侵攻を計画している。

 だからロスターナは城門を開き軍隊を通過させるだけでいい、と言って来ている。

 通るだけで、我がゼフュロス軍は何もしないと。


 だが、帝都の南方を守護する役目を持つロスターナ公国である。到底受け入れる事はできない。城壁にって敵を峻拒しゅんきょし、帝国軍の救援を待つ。他に採るべき途は無かった。


 だが、それでは……。

「ロスターナは滅びる」

 一人になったエルセスは、曇った表情で呟いた。


 もとより兵力差が有りすぎるうえ、帝国からの救援が来る見込みは何処にもない。


 あの暗愚な皇帝は、ゼフュロスという国の名前を知っているかさえ怪しい。ましてや、決死の思いで帝国を守ろうとしているロスターナ公の存在など。


 クロニクルという立場がなければ、帝国など見捨ててしまえと言いたかった。




 エルセスは宮廷を下がると、連絡船に乗った。

 かつての職場である図書館へ向かうつもりだった。古い友達も多くいるからだ。


「おれも一緒に行こう」


 シーガー・ロウだった。

「図書館長どのへ差し入れをしなくてはならないしな」

 そう言って酒壜の入った籠を掲げてみせた。


「良いんですか、長官が役所を空けて」

 呆れたようにエルセスが言う。


「ああ。なぜだか知らないが、おれが居ない方が仕事が上手く回るんだ」

「またそんな事を」

 彼女も笑うしかなかった。


 確かに、早船を出せば数分で到着する距離だ。心配する程の事はないのだが。


 


 船着場から図書館への石段は何度も左右に折れ曲がって続いている。急斜面のせいなのは勿論だが、敵の侵入を妨げる意図があるのは明らかだ。


 さらに、やっと最初の建物に入った所で彼女たちは足止めされた。

 これはクロニクルであろうと、一国の長官であろうと同じだった。身分を明らかにしなければ、これ以上立ち入る事は出来ない。


 史部寮しぶりょうとこの図書館は、帝国内で最も厳しく管理されている。

 それは内部にクロニクルシステムを抱えているからである。




「島内に酒の持ち込みは禁止ですよ」

 厳粛な面持ちの管理官が告げた。この辺りも相変わらずだ。


 ロウは壜をクルリと回してラベルを隠した。

「ほう、これが酒に見えると言うのかい」

 管理官は指先で頭を掻いた。さーて、と呟く。

「ラベルが無いなら飲料水でしょうな。どうぞ、お持ち下さい」

 こういった所も変わらない。厳格なようで意外と融通がきくのだった。




 本館と3つの分館を束ねる図書館長にして司書長、そして図書館要塞の防衛総司令官。

 それが彼女の肩書だった。


 腰までのつややかな黒髪。同じ色の鋭く知性的な瞳。その全身から醸し出されるのは、妖艶としか言い様のない空気。


 紅を塗っていないにも関わらず赤く濡れた唇から、ややハスキーな声が流れる。


「久しぶりだね、ハークビューザー史官。少し大人っぽくなったじゃないか」

「恐縮です。ヴェリア・リート図書館長」


 それから彼女は、横に立つロウに目をやった。

「なんだいシーガー。この娘の護衛にかこつけて、あたしに抱かれに来たのかい?」


「あ、あの…ええっ?」

 エルセスは本気でうろたえた。


「なんだ、分かっているなら話が早い。そう言う事さ。今ここでお相手願えるかな」


「おいっ!」

 二人に挟まれたエルセスは真っ赤になって声をあげた。


「まさか、冗談だよ、エル」

「本当にまだまだ可愛いねぇ、この娘は」

 ロウとヴェリアは爆笑した。


 だが実際、この二人にはそういう噂があるので、話がややこしいのだが。




 翌朝、本土へ向かう連絡船にエルセスは乗り込んだ。

 青白い顔で、舷側に立つ男がいた。


「これは、お疲れのご様子ですね」

 エルセスの冷たい視線に、ロウは眉間を押さえた。ふうっ、と酒臭い息を吐く。


「…勘違いするな。あの女、とんでもなく酒が強い。また、返り討ちに遭った」

「はあ」

「途中から記憶がねえ」

 それは自業自得かと。


 エルセスは船の反対側へ避難した。この男の隣にいるだけで酔ってしまいそうだった。


「なあ、ハークビューザー」


「なんですか」


「おれたちは生き残れると思うか?」


「それは……」


 それは、彼女には答えることの出来ない質問だった。

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