第3話 新たな地へ

 歴史上の法則として『二百年衰退説』というものがある。

 この帝国に限らず、どんなに長く続く国家でも、ほぼ二百年周期で衰退期を迎えている。その危機を乗り越えることが出来れば、さらにまた二百年、その国は命脈を保つようだ。


 だが、大抵は最初の二百年で終焉を迎えている。

 それは外敵であったり、内乱であったりと理由は異なるが、いかに一つの体制を維持することが困難であるかの証と言っていいだろう。


 この帝国は、すでに四度もの危険な時期を乗り越えてきている。

 そしていま、五度目の衰退期が目前に迫っていた。


 建国して972年。

 この世界の歴史のなかで、千年を超える歴史を持った国家はいまだ皆無なのだ。


  ☆


 エルセス・ハークビューザーが身支度を調え、旅籠の食堂に降りていくと、すでに一人の男が食事を摂っていた。

 彼女を見て、片手を上げる。護衛役のバード・ボウレインだった。


「早いですね。隊長」

 エルセスは彼と同じテーブルにつく。

 バードは彼女の顔を見て少し落胆した表情になった。


「クロニクルどのの寝起き顔が見たかったのに。本当にいつもキッチリしてるな」

「変な期待をしないで」

 エルセスは苦笑した。


 リスティが食事を運んできた。

 香ばしいパンと、暖かい野菜と魚のスープ。

 ここの名物と言っていいだろう。


「今日の予定は?」

 食べ終えたバードは、お茶を飲みながら尋ねた。


史部寮しぶりょうへ行って、調査記録を登録しようと思う。だから一人で大丈夫ですよ」


 史部寮とは、帝国の歴史記録を管理する役所である。エルセスらクロニクルが収集した情報を一括して保存し管理している。

 帝都の中心にある役所だ。なら、バードの護衛は必要ないだろう。


 そもそも、こんな腕の立つ女に護衛が必要なのか、という話だ。彼は自嘲的に思った。1対1で戦っても、絶対勝てる気がしない。


 そのエルセスは、パンを小さくちぎっては、ちまちまと食べている。こうして見ると普通の女の子なのだが。


「ごちそうさまでした」

 食事を終え、エルセスは立ち上がった。 



 役所街で最も古い区画に史部寮はある。その石造りの重厚な建物にエルセスは入っていった。


「お待ち下さい」

 顔見知りの衛士に止められた。

「一応、確認を」

 これは規則なので仕方ない。エルセスは頬の紋章と、階級を表す首に下げた輝石のペンダントを示した。


「お帰りなさい。ハークビューザー史官どの」

 柔らかい表情で衛士は一礼した。

 彼女も笑顔で答え、史部寮へ足を踏み入れた。


 建物の一番奥。巨大な一枚板の扉で閉ざされた部屋が彼女の目的の場所だった。

 扉の前に立った彼女は、壁面にあるくぼみに右手を押し当てた。


 扉は音も無く開いた。


 部屋の中は、広々とした空間になっている。

 中央部分に透明な四角い箱が据えられ、中には銀色の液体が満たされていた。

 時折、ゆらりと揺らぎ、光を反射する。

 

 これが帝国の歴史を記録する、『クロニクル』システムの本体だった。

 果たしていつ造られたものか判断がつかない。伝承では、帝国の建国前から存在し、これを中心に帝都が建設されたとも聞く。


 エルセスは石版を取り出した。

 そのなめらかな表面を手で撫でると、それは、ぼうっと淡い光を放った。


 ガラスの箱の前に、台状にせり出した部分がある。彼女はその切り欠き部分に石版をはめ込んだ。

 箱の内部の液体が渦を巻くように流れ始めた。光が明滅する。

 石版に記録した情報を、システム本体に読み込ませているのだ。


 やがて液体の動きが止まった。


 光の消えた石版を取り外し、またリュックに収める。

 これで報告は終了だった。


「今度は西方へ向かいます」


 エルセスは彼女の上司にそう告げた。

 まるで孫を見るような穏やかな表情でその老人は頷いた。

「そうですか。ロスターナ地方が不穏だと聞きますからね」


 西方の砂漠地帯。そのオアシス都市の連合国家であるゼフュロス王国との紛争が起こっていた。今はまだ小部隊同士の小競り合いで済んでいるが、ゼフュロス軍が本隊を動かし始めたとの情報があった。


「陛下は何を考えていらっしゃるのか」

 エルセスはため息をついた。

 きっかけは商人同士のトラブルだった。早期解決の手段はいくらでもあった筈なのに、帝国政府は全くの無策だった。いま戦争をしている余裕など無い筈だろうに。


「王妃殿下に関する噂もありますが……」


 後継を巡るおぞましい宮廷内の噂だ。これにはエルセスといえど立ち入る事ができなかった。ただ、耳を塞ぎたくなるような思いしかない。


「エルセス・ハークビューザー史官、あなたの持ち分は戦場ですよ」

 そこで起きた事を記録するだけです。

 エルセスは不承不承、頷いた。


「わたしはもう、部下を失いたくないのです」

 そう言うと、彼は部屋の隅に目をやった。


 一人の女性がぽつん、と椅子に腰掛けていた。

 虚ろに開かれた瞳はどこも見ていない。彼女もかつてクロニクルだった。

 宮廷内の記録を担当していた彼女は、ある日重傷を負ったうえ、すべての記憶を失い、心を壊されていた。

 今はただ、こうして人形のように史部寮で一日を過ごすだけになっていた。


 彼女に何が起きたのか、誰も分からなかった。それだけ帝国宮廷は闇に閉ざされている。


 滅びに向かうものに特有の空気が、暗く帝都を覆っていた。



 ロスターナへは、帝都の軍港から内海を横切るのが最も一般的だった。定期便に乗り込むエルセスを、リスティとその祖父、それに護衛役だったバードが見送った。


 エルセスは、彼らが小さくなるまで船上から手を振った。

 

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