第2話 斜陽の帝国

 帝都に入ったエルセス・ハークビューザーは、真っ直ぐに軍港近くの旅籠に向かった。帝都では彼女はいつもここに宿泊する事にしているのだ。

 見慣れた木製の看板とランプの明かりに、少しだけ表情が緩んだ。


 扉を開けると、フロアにはテーブルが置かれ、軍人らしき数人の男が食事を摂っている。一番奥はカウンターが設置され、酒を提供できるようになっていた。カウンターの最も奥まった席に老人が腰掛け、室内を見渡しながらグラスを口に運んでいた。


「ただいま。おじいちゃん」

 エルセスはもう顔馴染みになったその老人に声を掛けた。


「おお、エリー。帰って来たか」

 老人は眼鏡をかけて手をあげた。そして奥にむかって大きな声をあげた。

「リスティ! 早く出てきなさい。リスティ!」


「何よ、お祖父ちゃん。ちょっと今、料理で手が離せないんだけど」

 大型のナイフを手に、エルセスと同年代の少女が顔を出した。老人の視線の先にいるエルセスに気づき、歓声をあげる。

「やだ、エリー。帰ってたの? 何よ、連絡くれたらご馳走を用意したのにっ!」

 凄い勢いで駆け寄り、彼女に抱きつく。

「ちょっと、リスティ。ナイフ、ナイフがっ」

「ああ、ご免。……お帰り、エリー」

 身体を離し、リスティが微笑んだ。

「うん。ただいま、リスティ」

 もう一度抱き合って、頬にキスする。


「今回はどこに行ってたの?」

 夕食を準備しながらリスティが問いかける。エルセスはため息交じりに答えた。

「ルードベールとの国境だよ。あんまり、詳しい事は言えないけどね」

 ふーん、とリスティは頭を振った。

「でもなんだか、奇襲を受けたけど撃退したって聞いたよ。無事で良かったね」

 彼女の言葉にエルセスは慄然とした。思わず老人の方を見る。


「そういう事になっているよ。ここではな」

 諦観さえ覗える表情だった。

 帝国軍最高司令官。

 それがこの老人のかつての呼称だった。現在は引退してこの旅籠の主に収まっているとはいえ、庶民が知らない情報が次々に入ってくる。

 この老人が求めるかどうかに関わらず。


「やれやれ。この『将軍亭』を閉める時も近いかのぉ」

 寂しそうに呟いた。

 エルセスは黙ってリスティの料理を口に運ぶ。美味しいはずなのに今日に限っては味がしない。


 帝都に、冷たい夜風が吹き渡った。

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