2.

 少女は、斜め向かいの家のコンクリート塀に貼られた曜日別ゴミ出し表をジッとにらんでいた。

 身長は百五十五センチくらいだろうか。

 顔つきからして、年齢としは僕らとそう変わらないように見えた。

 灰色のツナギを着て、安全ブーツかコンバット・ブーツのような編み上げの長靴を履いて、軍手のような白い手袋を付けていた。

 その手袋をはめた指で曜日別ゴミ出し表を差して「むむむ……」と言った感じの渋い表情で、掲示板を差している自分の指先を見つめていた。

 その横顔を見て一発でれた。

 危うく「うわっ、れた」って声に出そうになるくらいれた。

 僕は十五歳にして初めて、男が女に惚れるってのは理屈じゃないんだと知った。

「何だ? あの女の子……」ウエシマがヒソヒソ声で言った。「ツナギなんか着て。まさかゴミ清掃員のコスプレじゃないだろうな? ご丁寧にゴミ収集車なんかで来て、さ」

 そう言われて初めて、僕は路地の奥、十メートルほど離れた場所にゴミ収集車がハザード・ランプをチカチカさせて停車しているのに気づいた。

 いや、ゴミ収集車は最初から視界に入っていた。でもウエシマに言われるまで『ツナギを着た少女』との関連に気づかなかったんだ。

 収集車のフロントガラス越しに車内を見透かして「誰も乗っていない」とつぶやいた僕に、ウエシマは「え? 何だって?」と聞き返して来た。

「いや、だから、運転席に誰も乗っていない」僕はもう一度ウエシマに言った。

「あ、ホントだ」とウエシマが返した。

「まさか、あの女の子が一人で運転して来たんじゃないだろうな」

 そうひとりごとのように言った僕を、ウエシマがすぐに否定した。

「いや、そりゃ、無いだろ。免許持てそうな年齢にも見えないし。運転手はどっかの自販機で缶コーヒーでも買ってるんじゃね? じゃなきゃ、どっかの物陰で立ちションか……」

 そこまで言って、ウエシマは、僕の視線が少女に釘付けになっていることに気づいた。

「お前、まさか、あのツナギ少女に……へええ……意外だな。あんなのが好みなのか……」一瞬、少し驚いた顔をしたウエシマが、直後ニヤニヤ笑いになって「声かけてみろよ」と僕をけしかけた。

 一目惚れしたからって見ず知らずの少女に声を掛ける勇気なんかある訳がない。

 僕はツナギ姿の少女を横目でチラッチラッと見ながら、ウエシマと並んで彼女の後ろ側を通り抜けようとした。

 急に少女が体ごとクルッと振り返って、僕らと真正面から向き合い、そして僕の目をピシッと見つめた。

 彼女の横顔に一目惚れした僕の心の中には、その興奮を必死で抑制しようとする、もう一人の自分が居た。(単なる気の迷い。どうせ話しかける勇気もないし。このまま他人どうし擦れ違って、明日になったら顔も思い出せないよ)と、必死で自分自身に言い聞かせていた。

 でも、真正面から彼女の両方の瞳をまじまじと見つめて、気づいたら確信していた。

 僕は、彼女を本当に好きになってしまったんだ、と。

「あの……」

 気づいたら声が出ていた。

「ど、どうしたんですか? 何か……」呂律が回らない。心臓が耳の奥でバクバク言ってる。

「今日、燃えるゴミの日ですよね」少女が僕の目を見て言った。「この看板に、そう書いてある」

「ああ……そうだったかな……そうだったかも」

 今日が何曜日かも思い出せなかったし、何曜日が『燃えるゴミの日』だったかも思い出せなかった。

「あの、ひょっとして、君、本当に市のゴミ収集員……とか言うつもりじゃないよね?」ウエシマが少女にたずねた。ほとんど頭の回っていない僕よりウエシマは何百倍も冷静だった。

「えっと」少女が僕の瞳から視線を少しずらして、僕の隣に立つウエシマを見て言った。「このまちの住人じゃありませんけど、でも、ゴミの収集は私の大切な仕事の一つです」

 少女の視線が外れて、僕は少しホッとした。心臓のバクバクも少しだけ収まった。心臓が収まったら、逆に、収まった事を勿体無もったいなく感じた。なんか、もうちょっと見つめ合っていたかった。

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