自己肯定感とは【ただの呟き】
キャッチコピーにもあるように「自己肯定感を人並みにしたい」ということでこの日記を書きはじめて数日経った。
予想外に閲覧数もあり、応援コメント、ハート、そしてレビューまでいただき、嬉しい限りである。お礼のつもりでグッドボタンを押したが、相手には伝わるのだろうか。
先程書いた日記のように語りが混ざることはあれど、とりあえずは日記としての形式は保っており、自分が何をしたかも書いている。それなりに毎日やれていることはあって、家事もやれていて、日記もなんとか続いている。
軽くではあるが、文章中で己を褒めることもまあ少しは抵抗なく言えるようになった。口にはしなくても、自分が頑張ったなーと思えばそれはそれでいいのかも。
だが、そもそも自己肯定感とは自分を認めることから始まるのだそうだ。
昨日つけていただいたレビューコメントが、自分の中でぐるぐるとしている。
良くも悪くも自分を認めることから始めた方がいいかもしれない。
そのような事が書いてあった。
閲覧と応援のハートだけでなくレビューまで貰えてとても嬉しい。感謝してます。ここを見てるかは分かりませんが本当にありがとうございます。
だが、なるほどまずは本来はそこからなのかと、ふと考える。
いいところも悪いところも、それはそれでこういうのも自分なんだとゆっくり受け入れ、そこから自分を褒めるという感じなのだろうか。
自分で自分を褒めるのが苦手なのは、まずは自分を認められていないから?
自分の良いところってなんだろう。
悪いところは割と浮かぶ。でも良いところというのななんだろう、ここ数日自分をそれなりに褒めてたはずだからゼロではないはずなのに、良いところってなんだろう。分からない。
悪いところを「俺はこういうところがあるけど、まあそれはそれで徐々に直そうな」とか、「この悪い部分も含めて俺か、そうか」ともなるが、うーん、なんだろう。
生きているだけですごい。えらい。
それがそうだとしても、なんというか、自分に対してはあぁそうだなってならないし。他人に対しては別である。
というか良いところと生きてるだけでえらいは別物か。多分そうだ。えらいといいところは別だろう。
なにが言いたいかよく分からなくなってきたのでそろそろ終わりにしよう。
自己肯定感とやらについて、もうちょっと真面目に考えるべきだったのかもしれないなあ。
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