第2話   騰蛇が迎えに

 輝耶がびっくりして振り向くと、紅黒あかぐろい着物をまとう黒髪の童女が、輝耶の細っこい手首を掴んでいる。

 大人になったら絶世の美人になりそうな愛らしい顔と、それを台無しにするほど不機嫌なジト目で輝耶を見上げていた。


「ああ、騰蛇とうださん、いつも人前に出たがらないのに珍しいね」


「早く戻りなさい。大黒柱が真っ赤ですよ」


 騰蛇と呼ばれた童女は、小娘を連れ戻すなどというつまらないお使いをさせられて、たいそうご立腹の様子。


 怪力で腕を引っぱられ、輝耶は引きずられてゆく。


「ちょ、ちょっと待っ、待って騰蛇さん! あのね、さっき――」


「はいはい帰りますよ」


「さっき向かいの八百屋さんに泥棒が入ったの。それで、あたし、様子見に――」


「泥棒? 店主が番所に通報すれば済む話です。組合のわたくしたちが請け負う仕事ではありません」


 貴雲藩には、江戸の番所から派遣された役人が働く、詰所つめしょがある。表向きは貴雲藩の治安維持という名目だが、本当は、未だ不明瞭な点が多いこの藩を、幕府が管理するために組織されていた。


「でも、その泥棒の様子が、なんか変で」


「時間の無駄です。それにわたくしは人間の問題に興味がありません」


 けっきょくそれか! と輝耶は内心でツッこんだ。


(どうしてこう、細かいこと大きいこと丸ごと無視できるんだろ、神将しんしょうの気質なのかな。ついてけないわ!)


 騰蛇は今の見た目こそ童女であるが、その正体は『神将』と呼ばれる特異な存在。

 神様の住む天ノ世界で創られた、武器のような存在であり、破壊と炎をつかさどり、不安定な場所に浮遊している貴雲藩をまもっている。


 しかし、自然現象すら自在に操る神将が、この世でばんばん力を使われては、森羅万象しんらばんしょうの均衡が崩れるため、生身なまみの人の身を依代よりしろとし、その体で可能な分だけの力を使うよう、藩主より定まっている。


 そういう理由わけで、騰蛇は代々だいだい火当家の者に、しぶしぶたよっていた。今は輝耶の身が依代よりしろになっている。


 騰蛇が一発ぶっ放せば解決できそうな問題も、依代よりしろ越しに動かねばならない決まり事のせいで、なかなか片付かないのだった。


 輝耶の中には、もう一体の神将がいた。

 護りと炎を司る、朱雀すざくであった。

 その朱雀もまた、いつの間にか輝耶の手を引っぱっていた。


「輝耶ちゃんみっけぇ。お爺ちゃんが鬼みたいな顔で怒ってるよぉ」


 朱雀はふんわりした羽毛のような髪を頭の左右で結んでいる、柔らかな微笑ほほえみが愛らしい童女。

 紅黒い着物の騰蛇と相反そうはんして、こちらは鮮やかな朱色の着物だ。


「あ、ちょうどいいところに朱雀さん! さっきいそかみ屋さんに泥棒が入ったんだけど、ケガ人がいないかだけでも知りたいの! お願い、いっしょに騰蛇さんを説得して~」


「え~? ケガした人を数えてどうするのぉ? 泥棒なら番所の人に任せればいいんだよぉ」


「うう、騰蛇さんと同じこと言う。でも、その泥棒の体が、変に腕とか長くて、妖怪みたいだったの」


「なっ、それを早く言いなさい!」


 騰蛇が驚き顔で、輝耶の腕を放した。

「わたくしはてっきり、人間の泥棒かと」


「組合のあたしたちの出番よね! 泥棒はもう、逃げちゃったけど」


「は? 見逃したのですか?」


「うん。あっと言う間だったから」


「……」


 のんきな輝耶に騰蛇は苛立いらだったが、ため息一つで済ませた。

「どんな妖怪だったか、目撃情報だけでも集めるのです。艶霧つやぎりの一族に従う妖怪かもしれませんから」


「ええ!? それは考えすぎじゃない?」


「いいえ、昨夜にそれっぽい女を見かけたもので」


 昨夜?

 輝耶は自分の体の筋肉痛や打撲跡について詳しく尋ねたかったけど、口が回らなかった。


「人間相手のやりとりは輝耶さんに任せます。確実に切りこんで事情聴取を行うのですよ」


「わかった」


「いちおう言っておきますが、礼儀作法は欠かないでくださいね。あなたに神将が宿っているのは周知の事実、これ以上の失態をさらさないでください。わたくしたち神将の名に傷がつきます」


「わ、わかったから。しっかりやるから」


「では、任せました」


 騰蛇は人の姿を取っていた体をまたたく間に赤黒い炎に変えると、輝耶に体当たりする勢いで体の中に消えていった。


「ハァ……」


「ぼくも行こうかぁ?」


「だいじょうぶだよ、朱雀さん。あたしだけで行ってくるね」


 輝耶は一息ついた後、いそかみ屋の勝手口へと、駆けつけたのだった。


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