第3話   輝耶が神将を託された日

 あれは、去年の中秋ちゅうしゅうの名月。(旧暦8月15日)

 輝耶がめでたく十四歳になり、貴雲藩で成人として認められる歳になった日。


 たくさんの人が祝ってくれた。

 近所の小料理屋で尾頭おかしらつきのごちそうも食べた。

 腹踊りや三味線、長唄ながうたを披露する人もいて、それはそれは楽しく盛りあがった。


 その余韻に浸りつつ、祖父と二人で満月を背にしながら、家に帰ったときのこと。


「もうすぐお前に、神将二体をたくさねばならぬのう」


 酒気を孕んだかすれ声で、祖父の陰直かげなおがぽつりと言った。

 このとき神将ニ体は、輝耶ではなく祖父の体を依り主としていた。


「火当家は、安倍晴明あべのせいめい様の時代より、神将のうつわとして生きてきた。火当家の跡継あとつぎがお前しかおらぬ今、お前以外にたくせる者がおらぬ」


「うん。覚悟はできてるし、いつでもいいわよ」


 冷えた麦茶を持ってきた輝耶は、内心ついにこのときが来たかと怯えていた。


 幼い頃に騰蛇とうだたちと何度か会ったのだが、騰蛇の無愛想と毒舌に泣かされ、朱雀の羽のような気まぐれに振り回されて泣かされ、すっかり神将が苦手になっていた。


 陰直もそれを可哀想に思って、長いこと孫の前に神将を出さなかった。


(無理よぉ、あたしが騰蛇さんたちの器になるなんて)


 幼い頃にそう言っては祖父を困らせたが、今はそんなこと口にしない。

 祖父が神将の器として活動するのが、年齢的に辛いのだと知っているから。


「お前はただ器となるだけで良い。騰蛇が敵視する艶霧つやぎりの一族とは、張り合わんでよいぞ」


「でも、騰蛇さんは戦う気まんまんなんでしょ?」


「あれはのう、そういう気質だ。これまでに器となったご先祖様も、大変苦労されてきた。しかしお前はおなごなのだから、平穏に過ごしていれば良い」


 祖父は疲れた顔で湯飲みを受け取って、ぐいっと飲んだ。

 艶霧の一族とは、平安時代に悪行を働いた『艶霧』という霊狐れいこ末裔まつえい


 霊狐は、霊力のある狐が歳を得て成る尊い存在であり、幸運を撒く善狐ぜんことなる霊狐もいれば、艶霧のように妖怪へと身をやっし、悪しき妖狐ようこと成り果てて、人に害を及ぼすものもいる。


「騰蛇さんが、あたしの体を乗っ取って暴走しないかな」


「せんだろう。ひ弱いお前の体をどうするのだ」


「そっか……大丈夫よね」


 輝耶は祖父の言葉に少しだけ安堵した。


「で、いつ騰蛇さんたちをくれるの?」

「今すぐに渡そう。お前の気が変わらぬうちに」

「う……わかった」


 孫が嫌がっているのはお見通しらしい。

 祖父は空になった湯飲みを、ぽんと床に置いた。


「そこに座りなさい」

「はぁい……ね、痛くない?」

「ちっともだ。なんの異物感もない」


 輝耶はしぶしぶ祖父の前に正座した。


「では、神将を起こそう」


 祖父が目を閉じ、朱雀たちの名前を呼んだ。

 すると、祖父の胸から半透明の火の玉が二つ飛び出して、瞬く間に童女の姿を取って祖父の頭上をただよった。


 そうやって出てくるものとは知らなかった輝耶は、驚いて悲鳴をあげた。


「なんですか。呼んでおいてその態度は」

「ご、ごめんなさい」


 童女二人は魂のように、輝耶と祖父の頭上をふわふわ舞った。

 気丈きじょうな輝きを放つあかい瞳と、髪の毛一本一本にまで赤黒い血が通っているかのような、紅い髪の持ち主、騰蛇。

 いつ見てもいつ会っても機嫌が悪いが、きっと表情を崩したら誰もが見とれる美人さんだろうと輝耶は思う。


 もう一人の微笑みを浮かべている童女は、朱色の瞳と、同色で羽毛のごときふわりとした髪を左右に結んでいる、朱雀。

 社交的で可愛いので、大勢から好意を寄せられる彼女だが、本人はなんとも思っていないのか自由気ままに過ごしている。


「わぁい、輝耶ちゃん久しぶりぃ。え? もしかして次の器になってくれるの? じゃさっそく宿るからそこ動かないでねぇ」


「あ、う、はい……」


 歯切れの悪い返事が終わらないうちに、朱雀は明るい火の玉となって、あっさりと輝耶の胸に飛びこんで消えた。


 続いて騰蛇も動きだすかと思いきや、ふん、とそっぽを向いただけだった。


「気乗りがしませんね」

「む? 騰蛇よ、老いた器は嫌だと言うたのはお前であろう」


「言いましたよ。けれど使命も果たせない器には宿りたくありません。今年の中秋の名月までに、輝耶さんをきたえていなさいと言ったでしょう」


「そうだったかの……」


 祖父は目が点になりかけたのを、咳払いでごまかした。


「騰蛇よ、輝耶は見ての通り、普通のおなごだ。この子のだいでは、他の神将に任せて、おとなしくしていてくれぬか」


「あの一族が滅びた、という確かな証拠がない以上、わたくしがあきらめるつもりはありません。この器が使えるようになるまで、今の器を離れませんからね」


 器器と連呼され、輝耶はむっとして口を尖らせた。


「あたしたちは物じゃないわ! それに使えないかどうかわかんないでしょ? 祖父ちゃんは高齢なんだから無理させないで!」


「あなたはなにか武芸の一つもこなせるのですか?」


「むかし三つ年上の皇牙さんとちゃんばらしてたわ。あたし一回も負けたことないんだから!」


「ちゃ」


 んばら、の言葉が続く前に、騰蛇が目眩めまいを起こしてよろけた。


「なによぉ、あたし祖父ちゃんにも負けたことないのよ!」

「嘘おっしゃい」


「いや、真実だ騰蛇よ。輝耶に木の枝を持たせたら貴雲藩一だ」

「ジジバカですか」

「昔、少しだけ剣術をかじらせたこともあるしの」


 騰蛇が意外そうに輝耶を見下ろした。

「どの程度、かじったのですか?」


「祖父ちゃんが若いときにかよってた浦島うらしま剣道場に、あたしも通ってたんだ。あそこはお月謝とやる気のある人なら、身分関係なく習わせてくれるの。祖父ちゃんなんて道場の免許皆伝めんきょかいでんなんだから!」


「あなたは皆伝したのですか?」

「あたしは、その、何回か遅刻ちこくして破門はもんされちゃった……エヘ」


 輝耶がぽりぽりとほほを掻きながら苦笑いした。

 騰蛇がぐしゅっと顔をしかめる。


「…………まあ、まるっきり素人しろうとよりはマシですか。いいでしょう。特別に宿ってさしあげます」


「ほんと!? やったぁ!」

「そのかわり、何かあったら陰直さんの体に戻りますからね」


「じゃあ、あたしがんばる! 絶対に戻りたいなんて言わせないんだから」


 騰蛇の赤黒い瞳孔が、猟奇的りょうきてきに細まった。


「絶対に死なないでくださいね、輝耶さん」

「……はい」


 というわけで、輝耶は神将二体を宿してしまったのだった。


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