35.人知の向こう側

 先ほどまでと変わらず、コンピュータールーム内にて。

 私と羽子さんは前方の席に並んで座り、城崎社長はスクリーン正面のコンピューターをカチャカチャいじっていた。

 ここで、私は羽子さんに気になっていたことを訊いてみることにした。

「羽子さん」

「何? 侑ちゃん」

「どうして……私のバイト先が分かったんですか?」

「聞いたからだよ。人に」

 人。

 私と羽子さんとを繋ぐ、人。

「人って……誰ですか?」

「作者」

「作者?」

「うん。『ヒロイン・ワークス』の作者。原作者」

「……」

 一瞬だけ考えて、理解する。

「ああ、そういうことですか」

 ああ、つまりはそういうことだ。そういうことだったのか。そういうことだったのだ。

 つまり、羽子さんは私のバイト先を、この世界の創造主たる原作者に聞いたのだ。作者。私たちを作った三次元の人間。私たちは、彼(もしくは彼女)の頭の中に生きている。羽子さんは、その人物に直接聞きに行ったから私の居場所が分かったと。

 羽子さんと城崎社長。この二人は、作者との繋がりがある。おそらく最初から知り合っていたのだろう。私が入社する以前より。だから、私を見つけ出せた。この物語の語り手たる私の存在を、二人は作者から直接聞き出した。そして、雇った。いや、作者に頼んで、私をここまで連れて来させた……と言ってもいいかもしれない。だから、二人は私の情報を知っていた。私がどんなキャラであるのかを、二人は最初から知っていた。

 いや、もしかすると、それだけではないのかもしれない。二人は『有馬侑』というキャラクターを、その作者に作らせたのかもしれない。有馬侑というキャラの設定を作らせた。自分たちの計画にとって都合のいいキャラの設定を、ヒロインワークスにとって都合のいいキャラの設定を、語り手の設定を、作者に頼んで作ってもらった。もしくは、そういった設定を作って、作者に提出したという可能性すらもある。有馬侑というキャラクターの設定を、二人が考えたという可能性だってあるのだ。

 ……いや、これはさすがに考えすぎかな。もしそうだとしたら、私のキャラ設定が二人にとって予想外だったこと……これの説明がつかない。三週間前の惨劇は、彼女らにとっても予想外の出来事だったわけだから。

 そんなことを考えながら、ぼおーっと、前方を見る。カチャカチャカチャと、城崎社長がコンピューターを操作している。

 ……。

 てか。

 いや、そもそも。

「人工知能でキャラの設定を考えるなら、別に私がキャラを作らなくてもよかったじゃないですか。何のために一週間かけてあんなこと……」

「おいおい、新人が生意気言ってんじゃねえよ。キャラの本質、二次元の本質。それを自分なりに考えられない人間が、うちでやっていけるわけねえだろうが」

 モニターから一切目を離すことなく、社長が一蹴。

「そうだよ、侑ちゃん。君だってうちの社員なんだから、人工知能なしで自力でキャラを作れなきゃダメだよ。まあ、作れなかったんだけど……」

 横に座る羽子さんが二蹴。

「……自動運転でも運転手は免許を持つ必要がある、みたいな感じですか」

「そうそう。たとえがうまいね、侑ちゃん」

 羽子さんが笑った。

「でも、実際のところは、それだけじゃないんだけどね。私たちが君にキャラクターを作らせた理由で一番大きいのが、『設定を見せるため』だよ。キャラクター設定ノートに、舞台設定装置、空間転移装置、そしてウルトラコンピューター……これらの『設定』を見せるために、君に『その仕事』をやってもらったってわけ」

「そもそも、あたしがこの会社を作ったのだって『究極のキャラクター』を作るためだしな。キャラを作って実演して外の奴らにパクらせて……っつうのは、ただのダミーだ」

 ダミー……か。

 私があれだけ熱心にあれこれやってたのも、結局はダミーだった……ということか。

 思えば、最初からおかしかった。そう。四週間前、ヒロインワークス株式会社に入社した私に襲い掛かってきた数々の『意味不明な出来事』。その中に埋もれて、いつのまにか気が付かなくなっていたが、最初から、前提からしてすでに『おかしかった』のだ。


 キャラを作り、実演し、外のクリエイターに見せる。それを見た彼ら彼女らは、それをパクって、そのキャラを自身の創作物の中に産み落とす。


 この『設定』がすでに狂っていた。

 なぜ、外の世界のクリエイターがパクるのか。いくらこの小説に著作権が無いとはいえ、外の世界にいる一端のクリエイターが、パクるはずがないのだ。鎖肉爪鷹や、軋身朱穂、それに加えて有馬侑、城崎きずき、箱根羽子……これらのキャラクターを、パクる理由が存在しないのだ。

 だが、それもさっきの説明で納得がいった。

 パクってもらうのではない。

 パクらざるを得ないような状態に、追い込むのだ。

 究極のキャラクターを読ませることで、その状態に陥れるのだ。

 前を向いた。巨大なスクリーン上では、パッパッパッパッパッパッパッパッと、素早く文字と画像が流れて行く。一つ一つを細かくチェックすることはできないが、私にはそれが何なのかが分かった。

 情報だ。

 三次元の人間の、情報。

 素早く映し出されていくのは『写真』だ。二次元のキャラを描写するような『イラスト』ではない。劇画も劇画、リアルもリアル、まさに三次元の人間の顔写真そのものが、目にも留まらぬスピードで次々と流れて行く。

 そんな私の視線に気付いたのだろう、羽子さんが解説を始める。

「ああ、あれは『三次元の人間』の『情報』だよ。二〇一九年の時点で地球上に生存している七十何億かの人間の全データが、ここにはあるんだ。その人物の遺伝子から細胞の組成、脳内環境、過去の詳細な記録、深層心理、人格、対人関係……そして、そこから導き出される未来の予想、その全ての可能性……それらを計算して、記録してるんだよ」

「未来まで計算するって……そんなの無理じゃないですか? 周囲の環境の影響で、可能性はいくらでもあり得るんじゃ」

 カオス理論とか、量子論とか、波動関数とか、難しい理屈は分からない。でも、未来というのは地球や宇宙の環境、そういった大きな要因から、原子の中の電子の波の動きの確率、そういった小さな要因までもが、複雑に絡み合いながら決定しているのではなかったか。

「うん。だから、宇宙の全情報をも計算してるんだよ。宇宙だけじゃないね、宇宙のさらに外側、さらにもっともっと大きな概念。もしくは原子の一粒一粒、さらにもっともっと小さな概念。三次元の世界を構成するありとあらゆる『因子』を観測して解析している。二〇一九年時点の人間の科学力じゃ到底理解もできないようなことを、うちの人工知能は計算してるんだ。この部屋だけじゃない、別のところでもね」

 ここ以外の、別のコンピュータールームでも。

「部屋って、いったい何個あるんですか?」

「うーん……数億、数兆、数京……とかよりももっと多いよ。数えきれないくらい。そこで三次元の全ての情報をかき集めて計算して、遠い未来の結果まで出してる。究極のキャラクターを三次元の作者が書けるようになる時代の、全人類の詳細なデータまで」

 書けるようになる……?

 時代……?

 その二つの言葉が引っかかった。

「え? それって今の時点では無理ってことですか? 二〇一九年の時点では、まだ究極のキャラクターを、この物語の作者が書くことはできないってこと?」

「? もちろん、できないよ?」

 羽子さんは、平然と答えた。

「……どういう」

「いやいや、侑ちゃん、当たり前じゃん! 西暦二〇一九年の人類の科学技術で、そんなキャラクターなんて記述できないよ。まだその時代だと、小説は完成しないんだ。究極のキャラクターの卵を『ヒロイン・ワークス』という『コンテンツ』の中に産みつける技術が、まだ発達してないっていうのかな? そこまで小説の技術が進歩してないっていうのかな?」

「完成しない……んですか?」

「うん。二〇一九年だと全然」

「え? ってことは、その究極のキャラクターが完成するのは、もっと先のこと……?」

「うん。数十年か、数百年か、もしかすると数千年後かもしれないね。それくらい経つと、人類の知性も大分進歩してるだろうから」

 ……数十年、数百年、数千年。

 要するに、遠い未来。

「数千年後……って……って! 無理でしょ! 生きてないじゃないですか! 私たち!」

 私は吠えた。

 究極のキャラクターが完成して、それが小説の中に書かれるのが遠い未来? 無理だ。当然のことだけど、私たちは不老不死ではない。私たちにそんな設定はない。気長に待つなんてできない。

 しかし、羽子さんは『なぜこの子はそんなことを言うんだろう。不思議だ』と言わんばかりの表情をして、

「? 生きてるよ?」

 と、言う。

「いや、私、不老不死とかじゃないんで。数百年もしたら普通に老いて死んでますよ」

「いや、そんなにかからないって」

「かかるって言ったじゃないですか、今」

「それは外の話」

「え? この話、これから浦島太郎みたいになるんですか?」

「浦島太郎……まあ、古い物語にはなるかな」

「もしかしてこの島って外と時間の流れが違う……?」

「確かに外とは違うけど、でも島の外の世界とは一緒だよ?」

 ……。

 さっきから会話が噛み合っていないような。

 その気持ちは、羽子さんも同じだったようだ。

「ん? 侑ちゃん、もしかして、何か勘違いしてない?」

「どんな?」

「君が『三次元と二次元の時間の進み方が同じ』って、そう考えてないかってことだよ」

 三次元と二次元の時間の進み方……?

「えっと……どういうことですか?」

「この小説が三次元で完成するのがどれだけ遠い未来のことでも、この世界では時間が止まったままってことだよ。三次元と二次元では時間の流れ方が違うからね。だから、明日にでも究極のキャラクターは完成するよ。この世界の中ではね。

 三次元と二次元の時間の流れ。その間にはズレが発生することがよくあるでしょ? 三次元では連載が長引いて数年経ってるのに、二次元では依然その年のまま……みたいな漫画とか。それと一緒だね」

 確かに、現代が舞台の連載漫画だと、数年程度のズレが発生することはある。連載期間中の三次元における時間の進行と、漫画の中での時間の進行は、必ずしも一致するわけではないからだ。

 しかし、事は数年単位の問題ではない。数十年、数百年、数千年にも渡る大問題だ。私たちが今日退社して、明日の朝出勤したら、外の世界では数百年が経っており、究極のキャラクターをこの小説の中に描写できるレベルにまで科学技術と小説技術が発達している……なんて。

 想像できない。

「まあ、その頃にはこの小説も『古典』になってるだろうけどね。でも、いいんだ。この小説の作者が生きてるか、死んでるかは分からない。でも、三次元の科学技術がこの世界のものにまで、この世界の設定のレベルにまで達したとき、この小説は完成に向かうんだ。二〇一九年の時点では小説は完成しない、究極のキャラクターを書くことはできない。でも、二〇二〇年代、二〇五〇年代、二十二世紀、二十三世紀、二十四世紀、二十五世紀……三十世紀、四十世紀、五十世紀……にもなれば、きっとこの物語は完成する。『ヒロイン・ワークス』という古典は完成に向かうはずなんだ」

「結構かかりますね」

「うーん……まあ、未来のことだから、今の私たちには知りようがないけどさ。でも、きずきちゃんはすぐに完成するかもって思ってるらしいよ。二〇四五年に技術的特異点……シンギュラリティが来て、そこからすぐに」

「そうなんですか?」

 前方の城崎社長に尋ねた。

「勘だけどな」

「二十年後、三十年後には、もう?」

「さすがに、二十年じゃあ無理かもだけどよ……まあ、五十年あったら何とかなるだろってのが、あたしの考えだな」

 五十年……。

「この物語に著作権が無いのも……それが理由?」

「へえ、よく気付いたな。そうだぜ」

 社長がにやりと笑った。

「キャラクターを遠慮なく『パクって』もらうため……っつうのが、一つ目の理由。そんで、技術が出来上がり次第すぐにでも、この話を完成させてもらうため……っつうのが、もう一つの理由だ。誰でもいいから早く書き上げてくれってことよ」

「……」

 この小説が完成するのは、未来の話だ。近い未来かもしれない。ずっとずっと遠い未来かもしれない。でも、私たちはそれだけの時間を待つ必要はない。タイムカプセルと一緒だ。外の世界では長い長い時間が流れる一方で、この世界の時間はいつまでも止まったままなのだ。

 この世界。この二次元の世界は、三次元の作者の頭の中で生まれた。彼(もしくは彼女)はそれを小説という形で三次元の世界に送り出し、私たち二次元キャラクターを読者の頭の中へと運ぶ。そして、そこで私たちは生を受けて、生きるのだ。

 この小説『ヒロイン・ワークス』が三次元の世界に存在し続ける限り、私たちは消えることがない。有馬侑、箱根羽子、城崎きずきの三人は、読者の脳内に生き続ける。

 やがて、いつの日か。三次元がこの物語の設定に追い付くとき、ヒロインワークス株式会社によるテロ行為に加担しようとするクリエイターが事をなす。それは、今この時点での原作者かもしれない。もしくは、まったく別の人かもしれない。とにかく、世代を超えて受け継がれていくこの物語は、いずれ現実のものとなる。

 この小説は、フィクションからノンフィクションへと進化するのだ。

 私たちは、それをほんの少しだけ待てばいい。外の世界の変化を、ここでゆったりと待っていればいい。退社して、眠って、起きて、出勤して、そして業務を開始する。そのときには、もう外の世界は大きく変わっている。でも、私たちは変わらない。誰の頭の中にいようと、私たちの行動は変わらない。究極のキャラクターを作るだけだ。

 私はポケットからスマホを取り出して時刻を確認した。午後の五時半だった。

「じゃあ、私もう帰っていいですか?」

「「ダメです」」

 二人の声が重なった。

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