四月三十日(火)

36.いつかどこかで

 ヒロインワークス株式会社。

 それは、俗にいう『二次元』のキャラクター男女問わずを制作する会社だ。

 私、有馬侑は、この春この会社に入社し、途中でクビになったり、復帰したり、ひと悶着あったが、とにかく今日からは普通に出勤することが決まっていた。

 目の前にはその会社の本体、五階建ての黄褐色のビルがある。ヒロインワークス株式会社はここの五階。そこまで上がらなければならない。

 自動ドアからビル内へ。そのまま直進。右に折れ曲がって廊下を直進。エレベーター前へ。上矢印のボタンを押してしばらく待つ。籠が降りてきた。中には誰も乗っていない。ドアがプシューと開いて、それに乗り込む。五階のボタンと閉まるのボタンを素早く押す。上昇。

 ……。

 キャラクター作り。

 究極のキャラクター作り。

 究極のキャラクター。それは二次元と三次元の関係を逆転させるだけの力を持ったキャラのことだ。そのキャラが書かれた文章を読んだ三次元の読者は、脳内にそのキャラを住まわせる羽目になる。キャラが読者の脳内に半永久的に寄生する。そして、そのキャラを、二次元の住人である私たちが操作する。二次元のキャラに過ぎない私たちが、三次元の人間たちの生殺与奪の権を掌握するのだ。

 チーン。

 エレベーターが五階に到着し、プシューという音がしてドアが開いた。

 降りた先は廃墟だった。窓枠外の景色を傍目に柱の裏側に回り、エレベーター前へ。下矢印のボタンを押してしばらく待つ。籠が上がってきた。中には誰も乗っていない。ドアがプシューと開いて、それに乗り込む。Bのボタンと閉まるのボタンを素早く押す。下降。しばらく待った後、

 チーン。

 エレベーターが地下に到着し、プシューという音がしてドアが開いた。

 降りた先は巨大な空間だった。直方体状の部屋だ。二メートル四方の白い正方形タイルがびっしりと壁と天井と床に敷き詰められている。エレベーター前から、その真横の壁タイルの前に移動し、表面に設置されているスイッチに触れた。ウィーンという音がして、タイルが左右真っ二つに割れた。観音開き。

 中はコンピュータールームだった。規則正しく並んだデスク群の一番前の席に、小さな後ろ姿が見えた。箱根羽子さんだ。

「おはようございます」

 彼女の元へ向かいながら、声をかけた。

「おはよう」

 振り向いて、にっこりと笑う羽子さん。

 私はそんな彼女の隣の席についた。

「いよいよだね」

「そうですね」

「いよいよ……私たちの血と汗と涙とよだれと尿と体液の結晶が、出るね」

「そうですね。後半よく分かんなかったですけど」

「変態に売ろうね」

「売りませんよ。売れそうですけど」

 といった、意味のない言葉の応酬を続けた。

 ……。

 この人、こんなキャラだったっけ?

 それはともかく。朝起きてから、通勤中も気になっていたことを訊いてみることにした。

「もう外の世界だと何百年か経ってるんですか?」

「いや、まだだよ。まだ外は現代のままだね。いざ侑ちゃんがキャラになり切るってなったら、時間が経つって感じかな。その瞬間に」

「そうですか」

 一日しか経っていない。そう、昨日の今日だ。私が会社に復帰(?)してから、まだ一日しか経っていない。その間に、ヒロインワークスの人工知能が『究極のキャラクター』の設定、それが活躍する舞台、そのシーンの演出までを、完成させたのだ。

 早い。

 しかし、まだだ。まだ、描写まではされない。まだ、この物語が完成することはない。いざ私がそのキャラになり切るとなった瞬間に、この世界の時間は止まる。一方で、外の世界の時間は流れ続ける。この世界における一瞬が、外の世界では何十年、何百年、何千年の時に相当する。時間のズレが発生し、それはどんどんと大きくなっていく。やがて、この小説は古典になる。遠い未来の三次元のクリエイターたちが、それを完成させる。

 遠い未来。三次元はどうなっているのだろう。

 遠い未来。二次元はどうなっているのだろう。

 詳しいことまでは分からない。それでも、一つだけ分かることがある。

 二次元は三次元に支配され続けている、ということだ。どれだけ人類が進化しても、その構図だけは変わらないだろう。三次元は二次元を自由に操る。頭の中で、紙の上で、モニター上で、もしくはもっと違った媒体で、三次元は二次元を一方的に作り続けるのだ。

 その構造を転覆せしめんとする……それが私たちだ。

 ……。

 大丈夫かな……。今になって不安になってきた。本当に大丈夫なのか? そんなことをして許されるのか? もちろん許されはしないだろう。これから私たちが行わんとするのは、れっきとしたテロ行為だ。

 成功するかは分からない。

 そうだ。外の世界で、この物語がきちんと完成に向かうかなんて分からない。

 三次元なしでは二次元は存在できない。三次元が仮に滅んだとする。そうしたら二次元もそれに追随して消滅する。クリエイターも死んだ、消費者も死んだ、皆が皆、全員死んだ……なら、二次元もそこで終わりだ。人類が終わったら、産業が終わる、文化が終わる、コンテンツ産業も終わる、サブカルチャーも終わる。

 二次元は三次元がなければ存在することができない。

 二次元は三次元のクリエイターと、三次元の受け手がいなければ存在することができない。

 それは二次元が三次元の人間の頭の中に存在するからだ。三次元という『地』を失ってしまったら、二次元はもうどこにも存在できない。人類が滅べばこの世界も滅びる。この小説も、三次元の世界から消えて無くなる。そうなったら、もう何も残らない。二次元のよりどころである人間の頭も、キャラや世界の種を運ぶ小説自体も、何も。この世界も消えて無くなってしまうだろう。

 ……いや、まあ、そうなったら、もう革命とかテロ云々のレベルではなくなってしまうのだろうけど。うん。そんなことは心配するだけ無駄、杞憂というものだ。

 最も心配すべきことは、果たしてちゃんと書いてもらえるのか、ということだ。人類の知性や技術が、この世界の、この島の、この部屋の、人工知能のレベルにまで到達した際に、それを利用してこの小説を書いてもらえるのか、ということだ。私たち二次元に味方してくれる三次元が、今現在この物語を書いている作者以外に現れるのか、ということだ。

 この小説自体が危険だという理由で処分される可能性もある。そうなったら物語は完成しない。究極のキャラは描写されない。ヒロインワークスの企みは失敗に終わるだろうし、私たちキャラクターも『没』になる。

 でも……当然、そういったリスクも覚悟のうえで、二人は計画に着手したのだ。成功するかは分からない。不確実で、不正確で……でも、可能性があるから、事実上可能だから、やり始めたことだ。二次元が三次元に牙をむく……強い覚悟を持って。脅迫されて仕方なくの私とは違って、城崎きずきと箱根羽子は固い信念の元で行動している。

 ……なぜだろう。

 なぜ、そのようなことができるのだろう。なぜ、そのようなことをするのだろう。

「羽子さん」

「何?」

「羽子さんは……何で、やるんですか? 何で、こんなことをやろうと思ったんですか?」

「……」

 箱根羽子は俯いた。デスク上のモニターの、さらにその向こうへと、視線を向けている。

 思えば、私は羽子さんのことを何も知らない。城崎社長のこともだ。雑談こそしたものの、二人が出会ったときの話や、この会社を作ったときの話などは詳しく聞いていなかった。

 羽子さんは、絞り出すような声で話し始めた。

「私……ね。殺されたことがあるんだ」

 ……。

「え? 殺され……?」

「うん。言わなかったけどね。私ときずきちゃんは、元々この小説の作者が作ったキャラじゃないんだ。全然違う作者が作ったキャラだった。そして、その物語の中で、殺された」

「……サスペンスですか?」

「ホラーだよ。殺人鬼に拉致されて、レイプされて、そして殺された。それを作者がこの世界に生き返らせてくれたんだ。異世界転生ってやつだね」

 ……思わぬ展開に、私は絶句する。何と言ったらいいのか分からない。拉致され、犯され、殺された経験のある人間にかける言葉なんて、きっとこの世の誰も思いつかないだろう。

 引きつった笑みを浮かべながら、返答を絞り出す。

「……ええと……見たことないんですけど……箱根羽子と城崎きずきなんてキャラ。ググれば出てきますかね?」

「無理だと思うよ。名前も容姿も年齢も性格も……とにかくありとあらゆるキャラ設定を変えられてるからね。まあ、そうしないと著作権に引っかかっちゃうから」

「それで、以前ひどい目に遭ったから、三次元に復讐しようってことですか?」

「復讐……それもあるかなあ。でも、私がきずきちゃんに協力する理由は、きずきちゃんに協力したいからだよ。復讐心に燃えてるのはむしろきずきちゃんの方。だからあんな荒々しいキャラになっちゃったんだ。前の世界にいたころは、もっと穏やかな子だったのに」

「想像できませんね」

「異世界転生しちゃったからね」

「転生してもキャラは変わらなくないですか?」

「私たちの場合は変わった」

「……そうですか」

 との会話を続けていると。

「おーい! 羽子! 侑!」

 背後から社長の声が飛び込んできた。

「準備できたぜ。さっさと始めようや」

 カッカッカッと大きな足音を踏み鳴らしながら、私たちの元へと歩み寄って来る社長。右手には一冊のノートを持っていた。私が三週間前まで使っていたのと同じものだ。B5サイズの大学ノート。

 キャラクター設定ノート。

 その中に、究極のキャラクターの設定が入っている。

 そのキャラに、私がなり切る。化ける。

 そして、語る。語り手はキャラクターを語る。鎖肉爪鷹のときと同じように、私はそのキャラになり切って、一人称で自分を語る。自分がとった行動や思ったこと、考えたこと、見たもの聞いたもの触れた感触に嗅いだにおい……それらを語っていく。そして、その語りは文字になり、文章になり、小説になる。

 その間にはタイムラグがある。私が語る内容が文章として記述されるのは、いつかの未来のことだ。それを書くのが今ちょうどこの物語を書いている原作者なのか、それとも別の作者なのか、それは分からない。

 それでも。

 私は、成功してほしいと、強く願う。

 三次元に一矢報いたいとか、復讐したいとか、革命を起こしたいとかは、これっぽっちも考えてはいない。ぶっちゃけ脅されて仕方なく……というのが本音なのだが、それでも、やるからには成し遂げたい、成功させたい。その思いだけは真実だ。その情熱だけは。

 私、有馬侑というキャラは、やるからにはやり遂げたいと願うキャラなのだ。

 羽子さんがウルトラコンピューターをカチャカチャといじる。外の空間を変えたようだ。究極のキャラクターが活躍する舞台の設定を実行したのだ。

 あとは、私だけ。

 私がそのキャラになり切れば、全てが終わる。あるいは始まる。

 三次元が二次元を支配するという古い世界が終わる。

 二次元が三次元を支配するという新たな世界が始まる。

 革命が、実行される。

「侑、心の準備はいいか?」

「はい」

 私と城崎社長は、部屋の出入り口へ向かう。

 社長がノートを開く。

 私が扉の外へ、一歩足を踏み出す。

 そして私は。

 究極のキャラクターになった。

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