32.ヒロインワークス株式会社、再び

 断わりはした、のだが……店内で羽子さんが泣き始めたので、仕方なくヒロインワークスに向かうことになった。向かう羽目になった。どうしてこうなった。

 電車に乗ってしばらく移動、歩いて歩いて、ヒロインワークスがある都内の某ビルに到着した。黄褐色の五階建て。実に三週間ぶりに見る景色だった。

 羽子さんと一緒にビルの中へ入り、エレベーターに乗り込み、上昇。廃墟に着いて、柱の裏側に回り、またエレベーターに乗り込み、下降。地下に降り、コンピュータールームに入った。デスク群のうち、前方右方の席に、一人の女性の後ろ姿が見えた。

「きずきちゃん」

 羽子さんが呼びかけると、城崎きずきが振り返り、立ち上がった。グラサンはしていなかった。

「よう、羽子。ごくろうだったな」

「いやいや、余裕だったよ」

「……」

 連れ戻すのが余裕……か。その台詞を聞いて、少しだけ不快になる。やさぐれ気分の今の私だからなおさらに。

「いやあ、悪かったな、侑。この前は勢いでついついクビにしちまって。あんときはちょいとテンパっててな……その件については、完全にあたしの落ち度だ。すまん」

 軽快に笑いながら、頭を下げる社長。

「いえ……別に全然気にしてないんで」

 嘘だ。

「そうかい。なら、よかったぜ。んじゃ、気を取り直して、新人教育の再開と行こうじゃねえか!」

「行こう、行こう!」

「……はい」

 二人の笑顔に押されて返事をしてしまったはいいが……何かこれだと、私が自分勝手に会社から逃げて、それを先輩が連れ戻したみたいじゃないか? 実際はただただシンプルに解雇されただけなのに。

 ……。

 もやもやとした気持ちを押さえつけながら、私は部屋前方の適当な席についた。羽子さんと社長は巨大スクリーンの前に立つ。まるでプレゼンだ。プレゼンテーターが二人。それを聞くのが一人だけ。

 スクリーン上には何も表示されない。口頭説明だけなのかな。

 社長が口を開く。

「で、だ。有馬侑よ。さっき羽子が説明した『キャラクターとは何か』について。今のてめえが理解していることは何だ? 言ってみろ」

 相変わらず高圧的な口調だ。

「ええと……キャラクターとは作家の脳内で生み出される。そして、小説や漫画やアニメやゲームといった『メディア』、その中身である『コンテンツ』を媒介として、キャラの種は運ばれる。種は消費者の頭の中に入り、芽を出して、そこに世界を形成する……でしたっけ?」

「そうだ。まあ、まずまず理解できてるみてえだな。よくやったぞ、羽子」

「いやいや……」

 社長が羽子さんの頭を撫でた。撫でてる側も撫でられてる側も満足そうな笑顔だ。

「……」

 その光景を、私は無表情で眺める。

 しばらくして、二人はじゃれつきをやめた。講習が再開される。

「二次元には実体がない。二次元っつうのは、三次元の奴らの頭の中で展開される『世界』なんだな。クリエイターの頭の中で生まれた世界。この世界は、様々なコンテンツの中に、その種を落とす。種は、小説や漫画の読者、アニメや映画の観客、ゲームのプレイヤー……総じてコンテンツの『受け手』の目や耳を通して、そいつらの脳の中へと入り込み、芽を出す。そのままどんどんと生長していって、クリエイターの頭の中で生まれたのと同等の二次元の世界を、そこに作り上げる。

 つまりだ。これは増殖だ。二次元っつうのはコンテンツを介して増殖していくんだ。そのキャラを、その世界を、拡大させていく。クリエイターが蒔いた種によって、三次元の奴らの脳へ脳へ脳へと、どんどんとその勢力を広げていく。これが『キャラクターとは何か』の基本だな。うちで働くには絶対に知ってないとダメなことだ。ちゃんと理解したか? 有馬侑」

「はい。まあ。さっきも聞いたんで」

「よし。で、だ。この会社の真の目的とは何か……四週間前、てめえはあたしに訊いたよな? それに、羽子が答えた。ヒロインワークス株式会社の真の目的とは? それは『究極のキャラクターを作ること』だ。じゃあ究極のキャラクターって何だ? 侑。てめえは何だと思う? この会社が求める究極のキャラクター……って、いったい何だと思う? てめえは何だと考える?」

「私が……ですか? え? 答えは人それぞれとかなんですか?」

「いや、違う。答えはある。でも、あたしはてめえに訊いてるんだよ。あたしらは、てめえにその答えを聞きたい。うちでやっていくからには、それくらいの答え、簡単に出してもらわないと困るからな」

「……」

 私は考える。

 究極のキャラクター。究極。つまりは、最後。完成形。とどのつまり。全てのキャラクターを凌駕するほどの強烈なキャラ。

 キャラクター制作。この会社の業務はそれだ。ここで、この世界で、この小説の中で……もっと正確に言うならば、この物語を書いている人間の頭の中で、この物語を読んでいる人間の頭の中で、私たちは生きている。

 私たちはキャラを作る。新しいキャラ、斬新なキャラ、オリジナリティーあふれるキャラ……それらのキャラを、種という形でこの小説内に落とす。そして、この物語『ヒロイン・ワークス』を介して、種を読者の頭の中へと運ぶ。その種はやがて発芽し、生長し、巨大な世界をそこに形作る。

 この小説が他の小説と最も違うところが、クリエイターに向けて書かれているという点だ。クリエイターに読ませる、作家に読ませるための物語。作家の頭の中へと種を運ぶ。そこでキャラの種は発芽し、生長する。

 何が違う?

 一般の読者と、クリエイター。何が違う? 両者の違いはいったい何だろう。

 答えは簡単だ。一般の読者は種を受容するだけの人間。一方で、クリエイターは種を受容する人間であると同時に、種を蒔く人間でもある。つまり、作家、クリエイターというのは自身の頭の中にある世界を拡散する人種なのだ。

 私は思い出す。四週間前、城崎きずきと箱根羽子が『何を言っていたか』を思い出す。彼女らの望みは何だ? 彼女らは何を欲している? 何を求めている?

 二次元は三次元に隷属している。

 二次元は弱い。

 三次元に抗えない。

 三次元は二次元キャラの設定を自由に変えられる。

 世界すらも変えられる。

 キャラクターは作り物だ。

 モブに人権はない。

 不均衡。

 不平等。

 やりたい放題。

 城崎きずきは政治家を志していた。

 箱根羽子は病んでいた。

 手首の傷跡。

 ヒロインワークス。

 究極のキャラクター。

 ウルトラコンピューター。

 人工知能。

 小説。

 フリー素材。

 タイトルは、『ヒロイン・ワークス』。

「あなた方は……」

 私は口を開いた。

「あなた方は……三次元に抗うつもりなんですね?」

「そうだよ」

 羽子さんが答えた。

「あなた方は……革命を起こすつもりなんですね?」

「そうだぜ」

 城崎社長が答えた。

「究極のキャラクター……それが、革命の鍵なんですね?」

 スクリーンの前に立つ二人が、にっこりと笑った。

 その笑顔は、とてもテロリストが見せていい表情ではなかった。

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