28.失業者

 解雇宣告を受け、私は力なく地面に座り込んでいた。白いタイル張りの床は思いの他柔らかく、お尻が痛くならない仕様だった。嬉しい。実に失業者に優しい設計だ。いや、別に全然そんなつもりで設計されたんじゃないだろうけど。

 失業 

 失業者。

 ああ……。

 あああ……。

 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……。

 声にもならない悲鳴を上げる。声には出さない絶叫を上げる。

 ごろんと、大の字に横たわった。天井が見える。真っ白い天井だ。どれくらいの高さがあるのだろうか。十メートルか、二十メートルくらいだろうか。大きめの体育館サイズだと仮定すると……どれくらい? そもそも、私は標準的な体育館の天井の高さなんて知らない。

 いや。

 もう……そんなこと……どうでもいいんだけど。

 全てが全て、どうでもいいんだけど。

 声が聞こえてきた。横の方、入口付近で言い争いをしている羽子さんと社長の声だ。私はそっちに顔を向けることもなく、その会話を聞く。

「きずきちゃん! 何でクビにしちゃうの! 侑ちゃん、頑張ってたじゃん!」

「いや……アレはねえだろ。さすがに」

「でもでも……頑張ってたじゃん!」

「いや羽子。てめえもそうだろ? 何か見ててもう……失笑とか嘲笑とかを通り越して、完全なる『無』だったぞ。何の感情も湧いてこなかったわ」

「でも……でも! 侑ちゃん、頑張ってたもん! 私、知ってる!」

「いたたまれねえよ。本当に。アレはもう事故とか事案とか事件とかを通り越して……『無』だぞ。酷すぎる」

「それでも! 頑張ってた! 私はあえてそう言う! 有馬侑は頑張っていたと!」

「酷すぎて(中略)ってなってたじゃねえか」

「たとえ世界の全てが敵に回ったとしても……それでも! 私は断言するよ! 侑ちゃんは死力を尽くしたと!」

「はあ……何だったんだよ、この一週間。マジでどうなってんだよ……」

「でも! たとえそうだったとしても! 侑ちゃんは頑張っていたよ! それだけは……賭ける! この命を賭ける! 我が生命を! それくらいに頑張ってたよ! 侑ちゃん!」

 ……といった、意味不明な会話の応酬が続く。

 何話してるんだろう、この人たち。まったくもって意味不明だ。日本語を話しているのは分かる。知らない固有名詞もない。でも、会話の流れが分からない。会話の話題が分からない。理解不能だ。私の頭では理解できないレベルの口論だ。

 いや、実際は頭が理解することを徹底的に拒否しているだけなんだろうけれど。

「あのおー……すいませえーん」

「ああ?」

 私は、寝転がったまま二人に声をかけた。顔の方向を変えずに、天井を見上げたままで話しかけた。

「何の話してるんですかあ?」

 先ほどまでとは打って変わって、投げやりな口調になっているのが自分でも分かる。

「……」

「……」

 二人の返答はない。会話が中断されたことから、私の声が届いたということは分かった。

「あたし、もう行くわ。羽子。そいつのことは頼んだ」

「ちょっ……きずきちゃん! ダメだって! 侑ちゃんがいないと私たち……」

「んじゃ」

「きずきちゃんってば!」

 どうやら、社長はこの地下空間を出て行ったようだ。私はそのまま大の字を続ける。天井の白色が不快だ。目がチカチカする。だから目を閉じた。

 ……。

「侑ちゃん」

「え? はい」

 真上、至近距離から声がした。声が降りてきた。目を開けると、羽子さんが私の枕元(当然、ここに枕はないけど)に立っていた。

「ごめんね。こんなことになっちゃって」

「こんなこと?」

 私は起き上がり、三角座りをする。一方で、羽子さんはしゃがみ込む。ちょうど目線の高さが一致した。

「うん。できればさ……うん、本当に……侑ちゃんが、本当にちゃんとできてたら……三人で仲良く働いていけたかもしれないのに」

「何で羽子さんが謝るんですか? 悪いのは全部私ですよ。私が無能だから、だから社長はあんな感じなんでしょ」

「違うよ! 侑ちゃんは確かに無能かもしれない……でも! 君には私やきずきちゃんにはない『力』があるんだ。うちの会社にとって絶対に必要な力があるんだ! だからだよ。だから、うちは君を採用したんだ。ヒロインワークスには君が必要なんだよ!」

「だったら何で私をクビにしたんですか?」

「それは……きずきちゃんが、この会社のことを考えて……だよ。たとえ会社に必要不可欠な人材でも、気に入らなかったら容赦なく切り捨てる。腐った果実は排除する。それがきずきちゃんのやり方だから」

 要領を得ない。羽子さんは何を言いたいんだろう。私は無能、でも会社には必要……意味が分からない。

 ダメだ。イライラしてきた。

「……羽子さん、さっきから何言ってるんですか? 結局、私はどうしたらよかったんですか? これからどうしたらいいんですか?」

「それは……今すぐには……説明できないよ……」

 羽子さんは黙り込んだ。しゃがんだまま、しゅんと下を向く。

「……もう、いいです」

 私は立ち上がった。入口に向けて歩き出す。

「今までありがとうございました。お世話になりました」

 羽子さんに背を向けたまま、感謝の挨拶を口にした。これは社交辞令ではない。私は本心から彼女に礼を言った。お世話になったことは事実だから。感謝していることは事実だから。

「侑ちゃん! 説得するよ! きずきちゃんを説得するからさ、辞めないでよ!」

 羽子さんの声が背後から響いてくる。

「……」

『辞めないでよ』って。辞めるのは私の本意ではない。むしろ続けたいくらいだ。でも、クビになってしまった以上、明日からも今日までと同じように出勤、なんてわけにはいかない。

「私、好きだよ! 侑ちゃんが書いた小説もだし、侑ちゃんが作ったキャラも……七周半くらい回り回って良いって思う! だから……」

 私は地下空間を出た。

 そして帰った。

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