18.鎖肉爪鷹
しばらくすると、羽子さんが戻って来た。手には一冊のノート。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
受け取る。開いて中をめくってみたが、それは確かに私のノートだった。私が作っていた設定が載っているノートだ。私の字が載っているノート。
設定はすでに半分くらいが完成していた。
基本的なことだが、キャラクターには『記録』が必要ない。その人物が十三歳四か月十九日四時間三十八秒五九の時に何をやっていたか、何を思っていたか、何を考えていたか……そういった細かい設定までを考える必要はない。そのキャラクターを語る上で、最低限必要となる『経歴』……これさえあればいい。過去の誰かとの因縁や、楽しかった思い出の断片、苦労したという思い出のぼんやりとした全体像……これらを言葉でやんわりと語るのが小説、並びに他のメディアだ。細かい心の機微の全てを詳細に決定する必要はない。そういうのは過去話のときに重点的にやればいい。つまり、必要なのは過去の『記録』ではなく、過去の『エピソード』。
城崎社長に発表するのは五日後だ。それまでに、そのキャラクターがどういった人物であるのかを、あくまでキャラクターというレベルで描写できるようにしておかなくてはならない。
「侑ちゃん?」
「え? はい」
ノートから顔を上げると、羽子さんがイスに座って、ぽかんとした表情で私を見ていた。
「どうしたの? ぼおーっと突っ立って」
「いやいや何でもないです」
私も席につく。羽子さんのデスクの左隣だ。
「ん? まあ、いいけど……って昨日もこんなやり取りしたよね」
「そうですね」
ラーメン屋からの帰り道でのことだ。
「やっぱり語り手だから、地の文の描写に忙しいの?」
「……」
……。
「ま、まあ、そんなことは置いといて。私もやりますよ。舞台作り」
検索エンジン(のようなもの)のホーム画面(のようなもの)の白色で横長の長方形の枠の中に、作りたい舞台の設定を入力、すると、この部屋の外がその通りになる……と。
ううん……何と入れようか。超魔術貿易王ジュピター内のキャラクター『鎖肉爪鷹』がいる『舞台』の設定だ。
よし。
『日本 地方都市』
と、入力する。
ヒットした画像の中から一枚を選択する。3D画像が画面いっぱいに表示された。川があって、大きな橋が架かっていて、その周囲にそれほど大きくないビルがぽつぽつと建っている街だ。どこだろうか? ここ。バックに雪の積もった山地らしき景色が見えるので……北海道とかだろうか。それか北陸のどこかとか。
まあ、それはいいとして。
あとは細かい時間帯や天気、それに季節などを指定する。
季節は秋。
時間帯は夕方の五時頃。
天気は曇り。
この時点で全部を決定するわけじゃないから、適当でいい。後で何とでも舞台は変更できるのだから。
画面の下の『実行』をクリックする。これで外の空間が変わっているはずだ。
よし。
「じゃあ、行ってき……」
「ます」と言い切ろうとして、横を見ると、羽子さんが寝ていた。
……。
言葉の通りだ。羽子さんは、イスに背をもたれかけて、だらんと両手を垂らして、ちょっと上を向いて、目をつむって、気持ちよさそうによだれを垂らしながら眠っていた。
「羽子さん?」
「……」
答えはない。どうやら完全に睡魔に体を乗っ取られてしまったようだ。
何というか、唐突だ。人ってこんなにいきなり何の前触れもなく眠ってしまうものなのだろうか。そういえば昨日も、ラーメン屋でぐっすり眠っていた。ということは、元からこの人はそういう人なのかもしれない。すぐに眠ってしまう体質というか。
起こすのも忍びない。眠れる彼女はそのままに、外に出ることに決めた。設定した舞台に出てみよう。
設定ノートを持って席を立ち、入口へと向かう。壁のスイッチらしきものを押すと、ウィーンという音とともに扉が左右真っ二つに割れて開いた。
出た先は……どこ?
廊下に、壁に……室内であることは確かだ。しかし具体的に、ここがどこであるのかがパッと頭に浮かんでこない。特殊な場所ではない。日常にある、すごく身近な場所。
振り返った。扉の中は、普通にさっきまでいたコンピュータールームの中だった。
いや……。
壁を見た。そこに書かれている文字と絵から判断するに。
多目的トイレだ。男女兼用で、広いやつ。
どうやらコンピュータールームと多目的トイレが繋がったようだった。どこかの建物内の多目的トイレと、地下空間が接続された。
ガラリとドアを閉めた。中から外に出るときは観音開きだったのに、外に出て閉めるときは横引きのドア……というのも奇妙だけれど、気にしないでおこう。
しばらく歩くと、人の群れが見えてきた。
どうやらここはショッピングモールのようだ。平日か休日か祝日かは指定していなかったので、何曜日かは分からない。が、この人の多さから察するに、おそらく休日か祝日だろう。
モール内をしばらく歩き、入口を抜けると、そこには広大な駐車場が広がっていた。その向こうにはポツポツとビルが見えた。さらにその向こうには山が。その景色から判断するに、おそらくここは、某地方都市郊外の大型ショッピングモールだろう。
私が指定した場所。
私が指定した空間。
私が指定した舞台。
鎖肉爪鷹が暗躍する舞台。ここで、この街で、超ジュピのキャラたちは活躍する。
スマホで現在位置を確認してみる。……と、どうやらここはN県らしい。N県の、どこか知らない市だった。
……。
ていうか、ネットは普通に繋がるのか、ここ。
一応、私がいるのは『地下』のはずだ。あの無人島の地下空間だ。そこに私はいるはずなのだが……小型携帯端末によると、現在位置は本州。
つまり、ここから電車に乗って、東京まで行けば、あの黄褐色のビルに着くということだろうか。ヒロインワークス株式会社のある、あのビルに。
いや、でも、ここは無人島の地下のはずだ。ならば、現実世界ではない?
例えば、ここで私が何らかのキャラになって、それで街を破壊して通行人を殺したりしたならば……私は逮捕されて裁かれたりするのだろうか。そしたらもうあのコンピュータールームに戻れなくなって、この世界、この空間で、死刑判決を受けて……?
もしくは、仮にここから出られたとしても、コンピュータールームに戻って、エレベーターを上がって、柱の反対側に回って、そしてエレベーターを下って都内に戻ったときには、その『事件』が重大ニュースとして報道されていたりするのだろうか。
……。
少し考えて、それはないという結論に至った。
それはない。
ここは『セット』だ。キャラを動かしてなんぼの世界。ぶっ壊してなんぼの世界。征服してなんぼの世界。元の世界に似ているだけの、ただのジオラマだ。
だから、私がここで何かをやったからといって、私がいた元の世界と、それが連動しているなんてことはない。ここにいる人たちも皆が皆、ただの人形、エキストラ、背景に過ぎないのだから。だから別に、私がこの世界に対して配慮する必要なんてない。
今日ここで、私が鎖肉爪鷹(試)になって、この街を蹂躙しても、コンピュータールームに戻ってから全部リセットってことにすれば、全て元通りなのだ。そしてまた明日、練習をかねて再度ここを征服すればいい。破壊して、再生。崩壊させて、再生。
だから人を殺しても許される。
いや、許されはしないだろうけど、でも、無かったことにはなる。全て虚構なのだから、だから何をやってもいい。ここは嘘の世界なのだから。そう自分に言い聞かせる。
ショッピングモールの駐車場に立ちながら。
設定ノートを開く。
私は。
鎖肉爪鷹になった。
(中略)
多目的トイレは崩れてボロボロになったけれど、何とか帰って来ることができた。
コンピュータールームの中へ。
見ると、羽子さんはまだ寝ていた。デスクに突っ伏して眠っている。どんだけ寝るねん……と一瞬だけ思ったが、スマホの時計機能によると、私がN県のあの街に繰り出してから、まだ三十分しか経っていなかった。
三十分で、全部破壊してしまった。
三十分で、世界を滅ぼしてしまった。
そして。
三十分で、私はとある一つの問題点に気が付いてしまった。
キャラクター……特に敵キャラなのだが……は、それ単独ではどうにもならないということだ。いや、どうにもならないことはないけれど、何かとやりにくいということだ。
キャラクターというのは一人だけでは動きにくい。動かしにくい。そのキャラクターを活かすためには、また別のキャラクターが必要となる。
そう。考えてみればその通りだった。漫画や小説やアニメや映画なんかでもそうだった。魅力的なキャラの魅力的なシーン、かっこいいシーン、人気のシーン、名シーンというのは、そのキャラが単独で、観客や読者に訴えかけるのではない。モブでもいいし、主要キャラでもいい。とにかく、その主軸となるキャラクターとはまた別の、そのシーンを活かすためのキャラクターが必要なのだ。
あるキャラが無双するシーンならば、やられるキャラが必要だ。
あるキャラが強敵に立ち向かうシーンならば、強敵が必要だ。
あるキャラがヒロインに告白するシーンならば、ヒロインが必要だ。
あるキャラが名台詞を放つシーンならば、その台詞を放たれるキャラが必要だ。
あるキャラが壮絶な死を遂げるシーンならば、そいつを倒した敵が必要だ。
そう。二次元における名場面、見せ場、山場、それらの『シーン』には、ただ一人のキャラを出せばいいというものではない。
複数人、必要なのだ。
そのキャラ単独では、うまく魅力が伝わらない。わずか三十分で鎖肉爪鷹が世界を滅ぼしてしまったのも、このせいだ。爪鷹に相反するキャラが出てこなければ、ただただ暴走するだけで終わってしまう。悪役を見せるには、それに対するヒーローが必要なのだ。
うん。
どうやら、私は認識が甘かったようだ。ただ単に、キャラ一人を作ればいいというものではない。そのキャラがより輝けるような舞台、別のキャラ、シーンをも作らないといけない。
よし。
何だか分からないけど、少しだけやる気が湧いたような、そんな気がする。私にも社会人としての自覚が出てきたということだろうか。って、入社してまだ三日目だけど。
とりあえず、羽子さんを起こそう。
私は全身全霊の力を両手に込めて、眠れる先輩の両肩をぶっ叩いた。
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