四月三日(水)

16.地下空間

 ヒロインワークス株式会社。その業務は、二次元キャラクターの創作、そして、それをこの世界で実演し、三次元のクリエイターたちに見せ、そのアイデアを与えること。それによって彼らは新たなキャラを作り、それを自身の二次元の世界に産み落とす。

 嘘みたいな本当の話だ。

 翌日。

 事務室にて。私と羽子さんはイスに座って向き合っていた。

「言い忘れてたんだけど……」

「何ですか?」

 羽子さんは苦笑いしながら頬をポリポリと掻く。

「ここでやる必要はないんだよね。侑ちゃんのキャラがいるのにふさわしい舞台を用意できるんだ。この会社」

「舞台?」

「うん。舞台。キャラには、それが登場するのにふさわしい舞台があるでしょ? 南国風キャラだったら南国とか、西洋風ファンタジーキャラだったらファンタジー世界とか」

「言ってる意味がよく……」

「ええと、まあ、いいや。とにかくついて来て」

「……はい」

 事務室を出て、廊下を渡って、別の部屋に出る。そこは最初の部屋だった。エレベーターの内蔵された柱がある部屋だ。羽子さんはその柱の、ちょうど裏側に回った。エレベーターのドアがある、その反対側だ。私も彼女について行く。

 そこには、エレベーターのドアがあった。

 通勤用エレベーターの裏側には、また別のエレベーターがあった。

「これって……」

 羽子さんは何も言わずに、柱についている下矢印ボタンを押した。しばらく待つと、ドアの向こうでエレベーターの籠が上がって来た。チーン、プシューという大きな音とともにドアが開き、私たちはそれに乗り込んだ。

 籠の中は、今朝、私がここに来る際に使ったエレベーターと同じだった。むき出しの金属に焦げ茶色の木材が混じった、古いやつ。ただ一つだけ違うのが、このエレベーターには一階から五階までのボタンがついておらず、Bと書かれたボタン一つだけがある、という点だろう。

 羽子さんは、そのBのボタンを押した。下降が開始される。

「どこに行くんですか?」

「セットだよ」

「……」

 さっきから、彼女の言ってる意味が分からない。キャラがいるのにふさわしい舞台っていうことは……そういったセットがあるということだろうか。この下に?

 B、つまり地下というだけあって、一階から五階に上がる時間よりも長くGを感じた後、チーンという音がし、籠がBに到着した。プシューという音がして、ドアが開く。

 二人そろって降りた場所は、巨大な空間だった。

 廃墟の地下には、巨大な空間があった。

「……」

 いや、これはもう、廃墟と呼べるものではないのかもしれない。少なくとも、この空間が、さっきまでいた廃墟と同一の建物だとは認識しずらい。それほどまでに、そこは最先端というか、高性能っぽい施設だったからだ。

 大きめの体育館ほどの広さの、直方体状の部屋だ。およそ二メートル四方の白い正方形タイルが、びっしりと、壁と天井と床に敷き詰められている。後ろを振り返り、見ると、一つの白タイルの表面にドアがついていた。その向こうには明かりのついたエレベーターの籠が。再び周囲を見渡してみたが、そこ以外に出入口らしきものは見当たらなかった。

「ここは?」

「ステージ……かな?」

 声が響く。体育の授業を思い出した。

 羽子さんはエレベーターの内臓された壁タイルの、そのすぐ隣の壁タイルの前に移動し、タイル表面に設置されているスイッチに触れた。すると、ウィーンという音がして、タイルが左右真っ二つに割れた。観音開きだ。

「こっちだよ」

「はい」

 羽子さんが割れたタイルの中に入って行き、私がそれについて行く。

 中は、コンピュータールームだった。

「……」

 いや、コンピュータールームって何だって話だけど。

 でも、本当にコンピュータールームらしき空間だった。三十台ほどのデスクに、三十脚ほどのイス。それらが規則正しく並んでいて、それぞれのデスクの上にはパソコンらしきものが置かれている。デスク群が並ぶその正面には、一つの巨大なスクリーンがあった。

 どこぞの専門学校のコンピュータールームのような場所だ。

 正方形の形をした部屋だ。私と羽子さんが入ってきた入口が後ろに位置し、巨大スクリーンが正面に、そして、左右両側面の壁が左手右手にあるという形だった。

 背後からバーンという音が聞こえてきて、振り返って見ると、部屋の扉が閉まっていた。

「ここで舞台設定を変更できるんだ。今からやってみせるね」

 羽子さんが席についた。パソコン(?)を起動させる。私はその後ろに立って、彼女の動作を見ることに。

「ここって……アレですか? 羽子さんが昨日言ってた」

「アレ?」

「ウルトラコンピューター」

「なっ……」

 羽子さんが絶句する。目を見開いて私の顔を見る。

「いや……ちょっと、ちょっと、ちょっと……違うよ! ウルトラコンピューター? 何のことかな? 侑ちゃん、いきなり何を言ってるの?」

 引きつった笑みを顔に貼り付ける羽子さん。目が泳いでいる。

「いや、昨日、あなたがそう言ったんじゃないですか。一昨日の午後もここに来てたんじゃないんですか?」

「ああ……う……やっ! うわわわわわわわわ……その話はしないでって! 言ってたっ!」

 バンッバンッと机を叩く羽子さん。その衝撃でデスク上のモニターがガタガタと揺れる。私をキッと睨みつける。

 ……まずい。多分、怒ってる。私は両手を前にやりながら弁解する。

「いや……社長いないんで大丈夫じゃないですか? ちょっと気になってるんで、内緒で教えてくださいよ」

「ダメ! 次にその話題出したら、きずきちゃんに言いつけるよ!」

「言いつけたら、私にばれたってことが社長にばれるんじゃ」

「あうっ……じゃ、じゃあ、一昨日に侑ちゃんが素っ裸でシャドーボクシングしてたのばらすよ!」

「いや、ちゃんと下着は着けてましたよ」

「脚色してちくる!」

「……別にいいですけど。私、家では基本的に全裸なんで」

 事実である。

「えっ……な、なら全裸でブリッジしてたことにする!」

「そこまで行くと逆に真実味がなくなりませんか?」

「じゃ、じゃあ、いきなり押し倒されたことにする!」

 それはまずい。

「今の会話はなかったことにしましょう」

「そうだね」

 にっこりと微笑む私に、羽子さん。うん。こういった因縁めいた出来事はなかったことにするのが一番いい。そうすれば人間関係が万事うまくいく。多分。

 しかし、結局『ウルトラコンピューター』とやらが何なのか分からなかった。そのうち教えてもらえるだろうけど……でも、気になるものは気になる。

 羽子さんがマウスを操作する。モニター上に検索エンジンの検索画面のような、白い横長の長方形が表示された。

「ここに好きな設定を入力するんだ。例えば……『夜 教会 廃墟 月』ってな感じで」

 タンタンタンと文字を打つ。エンターキー。すると、何やら複数の画像が画面に現れた。ヨーロッパ風の、暗い、聖堂の中のような画像だ。写真もあればイラストもある。

 グーグル画像検索……?

「この中から気に入った画像を選択して、設定するんだ。これかな」

 羽子さんは画像群の中から一枚を選択して、クリックした。すると、その画像が3D化してモニターの全画面に表示された。

「もうちょっと暗い感じで、あとは月を大きく、赤くして……」

 との要求を入力する。と、その通りに立体画像が書き換わった。違うか。描き換わった。

「これでよしってなったら、画面の下の『実行』をクリックする」

 カチリ。

「よしっ。これで完成」

「完成?」

「うん。とりあえず外に出ようか」

 羽子さんは画面はそのままに、席を立った。壁のスイッチを押して、扉を開放し、コンピュータールームを出る。私はそれについて行く。

 出た先は、廃墟だった。

「……」

 いや、待て。廃墟って何だ……って、この景色はさっきの画像と同じのだ。ボロボロの人のいない夜の聖堂(教会? 違いが分からない)に、夜に、そして空には真っ赤な満月が。そのせいで見える景色が全体的に赤味がかっている。

 つまり、これは。

「設定って……こういうことだったんですね。舞台のセットを作り上げる」

 キャラ設定を自由自在、思い思いに書き換えられる社長のことだ。こんな風に好きな『世界観』をも作り出せてしまうのだろう。

 そう。こういった『舞台』も、二次元における重要な設定の一つだ。キャラクターが存在するのに、キャラクターが活躍するのに、最も適した舞台を用意する……それが、よりよい作品を作るために必要なこと。

「よう。久しいな。有馬侑」

「え?」

 上から声がした。女の低い声が。

 見上げると、赤い満月をバックにする形で、一人の少女がいた。

 赤い髪に、赤い目。

 黒いドレスに、血染めの包帯をゆるりと巻き付け、ハイヒール。

 そして巨大な鎌を肩に担いでいる。

 ……何か前見たときとビジュアルが若干変わっているような気がする。確か昨日は軍用ナイフを手に持っていた覚えがある。それが大きな鎌に変わっていた。どす黒い、禍々しい形をした鎌だ。デスサイズというのだったか。

 箱根羽子作の『キシ何とか』というキャラクターが、壊れた聖堂の天への突っ張りの上に立って、私を見下ろしていた。

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