14.二次元キャラクターの不確定性

「これが『キャラクターの恐ろしさ』だ。分かったか? 有馬」

「いえ全然」

「まあそうだろうな。分かってた」

 なら最初から質問しなければいいのに。

 社長は巨大グラサンをかけたまま、とんこつラーメンをすすりながら、時々私に箸を向けながら、語り出した。一方の羽子さんはイスの上に両足を載せて三角座りをしている。膝と膝の間に顔を埋めて微動だにしない。何も言わない。

「多分、今のてめえの頭の中はクエスチョンマークだらけだ。そうだろ?」

「はい」

「そんでだな……」

 社長は箸をどんぶりに引っ掛けた。そして、グラサンを外した。

「こうすると、ますます意味不明っつうことになるな」

「……」

 あれ?

 話し方がそのままだ。グラサンの着脱によって性格が変わるんじゃないの?

「最初に言っとくぜ。有馬。私の話し方はこれが『ノーマル』だ。そんでさっきみたいな話し方をしたのは『生まれて初めて』のことだ。だから、別にグラサンの有無と口ぶりに相関なんてねえよ」

「え? え? え? なら何のために?」

「このためだ。てめえに『キャラクターとは何たるか』を教え込むためにだよ。なあ、有馬。てめえも元は小説家志望なんだろ? なら分かるはずだ。キャラクターの絶対原則。『キャラはぶれてはならない』っつうことが」

「はい」

 そうだ。

 キャラはぶれてはならない。キャラをぶらしてはならない。

 キャラには一人一人属性や個性がある。その『軸』に則って話を作らなければならない。それがぶれると、誰が誰だか分からなくなるからだ。ギャップとかでそのキャラらしくない行動を取らせることもあるにはあるけれど、そういうのは読者に『そのキャラがどんなキャラであるのか』をある程度認知させた状態でないと厳しい。そのキャラのイメージが作者と、そして読者の中に確立した状態でなければ。

「改めて言うが、あたしら自身も二次元のキャラクターだ。もちろん、有馬、てめえもな。そんで、そういう事情っつうわけで、当然ながら主要キャラにはそれぞれの『キャラ』があるんだ。性格、容姿、年齢、性別、話し方、生い立ち、能力……なんかの『個性』がな。

 だがな。

 逆にだぜ。逆に。逆に、てめえはそのキャラに縛られてないか?」

「キャラに縛られる? ええと……キャラがぶれないようにぶれないようにし過ぎるせいで、行動とか言動が思うようにいかなくなって、ストーリーが広がらなくなる……的なアレですか?」

「いや全然違う」

 全然……。

「あたしが言いたいのは『キャラという概念そのもの』に縛られてないかっつうことだよ。

 さっきは『あたしが二次元のキャラである』という事実が、『てめえが感じるはずの違和感』を消した。あたしは『とある設定』を自分に課した。それをてめえに見せた。そんで、それをてめえが勝手に感じ取った。てめえはあたしを見て、こう思ったはずだ。『この人はグラサンをかければ乱暴に、グラサンを外せば上品になるキャラだ』ってな。違うか?」

「ええ、はい。その通りです」

「だがな。あたしはそんなことは一言も言ってねえぜ? あたしはあたしがそんなキャラだなんて一言もてめえに言っていない。なのに、てめえはそう思い込んでしまった。なぜか? 簡単だ。ここが二次元だからだ」

 言い切って、ずるずると麺をすする城崎社長。

「で、だ。だからだよ。だから、ここにいる羽子は違和感を覚えた。羽子はあたしがそんなキャラだってことを知らなかったんだ。だから混乱して、錯乱して、こうなっちまったってわけだ」

 羽子さんは依然として、膝と膝の間から顔を上げない。泣き止んではいると思うのだが……多分、すねている。

 社長は続ける。

「でも、てめえは違うよな? あたしとてめえが出会ったのは昨日だぜ? お互いに、その背後にあるキャラ像がまったく見えていない状態で、あたしらは出会った。だから、てめえは受け入れられた。あたしというキャラを受容できたんだ」

「……で、結局、何が言いたいんですか?」

「キャラは作り物だってことだよ」

「キャラは、作り物……」

 それは余りに……当たり前のことだ。二次元の世界は、三次元のクリエイターによる作り物だ。それと同時に私たち二次元のキャラクターだって作り物だ。

「ここにいる『箱根羽子』を見ろよ。こいつだって二次元のキャラなんだぜ? もちろん、あたしや、てめえもな。三次元のどこのどいつかに、創造された存在だ。

 じゃあ。

 ここにいる、ここに座っている『箱根羽子』。てめえは、この二日間、ずっとこいつと一緒にいたんだろ? だったらある程度、てめえの頭の中に『像』ができてるはずだよな? 箱根羽子のキャラクター像が。羽子がどういったタイプのヒロインなのか」

 それは……そうだ。

 私の中には羽子さんの『像』ができている。箱根羽子とは、どういったタイプのキャラクターであるのか。それを、私は地の文を使って淡々と記述してきたのだ。

 箱根羽子とは。

 十八歳。

 女性。

 小柄。

 右利き。

 高校在学中からヒロインワークス勤務。

 汗かき。

 表情豊か。

 ジェスチャーが日本人にしては大げさ。

 病んでた過去がある。

 元漫画家志望……。

「てめえが抱いている、そのキャラクター像はよ……本当に正しいのか?」

 バクリと、心臓が跳ね上がった。

 羽子さんは顔を上げない。三角座りで、膝と膝の間に顔を埋めたままだ。

 さっきから、一言も声を発していない。

「てめえが『箱根羽子』だと思っている『キャラクター』は……あたしが『例のノート』で作り上げた『虚構』なのかもしれねえぜ? 性格だけじゃねえ。顔形から、年齢、果ては性別まで……あたしが作った『キャラクター』なのかもしれねえぜ?」

 キャラクター。

 設定ノートによって作られた、キャラクター。

 容姿から声、性別、性格、年齢、経歴……それらの設定を全て作られた……作られて生まれてきた、キャラクター。

 そんなわけ。

「そんなわけ……ないですよね?」

「……」

 羽子さんは答えない。

 羽子さんは私を見ない。

 羽子さんは動かない。

 城崎社長はさらに続ける。

「ノートにはこう書いてある。

 あたしが指を鳴らせば、消える。

『箱根羽子』という『キャラクター』は『消えて無くなる』……ってな」

 社長が。

 右手を上げた。

 パーから、中指と親指を近づけた手の形へ、ゆっくりと移行していく。ぴとっと、合わせる。中指と親指を接触させる。そのまま、スライド……し、

「やめっ……」

 きんっ。

 騒がしいラーメン屋内に、指先から発射された高音が轟いた。その音は、空気を揺らす波となって伝播し、私の鼓膜を、社長の鼓膜を、そして、羽子さんの鼓膜を揺らした。

 アクションだ。

 指を鳴らすというアクションが、城崎きずきが指を鳴らすというアクションが、この世界に起こってしまった。

 物理法則や、因果律や、確率論や。

 そういった事象の『不正確性』を全て『フィクションだから』、『作り物だから』で済ますことのできるこの世界に、起こってしまった。

「……」

 私は息を潜めて、羽子さんを見る。姿形は変わっていない。箱根羽子さん……だと私が思っていた少女の姿、そのままだ。

「羽子さん?」

「……」

「羽子さん?」

「……」

「箱根羽子さん?」

「……」

「You Haneko Hakone?」

「……」

 答えはない。三角座りのままの体勢で、動かない。

「どう……なったんですか? この子は?」

「起こしてみようか?」

 社長は羽子さんの両肩に手を置いて、バンッと、強く叩いた。

「わっ!」

 大声を上げて跳ね起きる羽子さん……らしき人物。ガタンッと大きな音を出してイスから転げ落ちた。

「大丈夫ですか⁉」

 私はイスから立ち上がって、テーブルを回り、向かい側へ。

 見ると、羽子さん……らしき人物は、見た目には変化がなかった。先ほどまでと顔も体も変わっていない。髪型もそのままで、服装も同じだ。何が起こったか分からないといった表情で、お尻をさすりながら、倒れたまま、キョロキョロと周囲を見渡している。

「あれ……私……寝てた?」

「……」

 寝てた?

「どういうことですか? 社長」

「ふっ……」

 ふひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひと、社長は腹を抱えて笑い出した。私と羽子さんはその様子を、ただ茫然と眺める。

「冗談だよ、冗談。羽子は羽子だ。今のはただの新人いびりだ。本気にすんなって」

 笑い終わると、社長はぐいっとお冷を飲み干した。いつの間にかラーメンも完食していたようだった。

「だ、が、だ。だが、今言ったことも頭の片隅に置いとけよ。有馬。あたしらは『キャラクター』だ。三次元によって作られた存在に過ぎねえ。不確実、不確定極まりない存在だ。今みてえに見えてるもん全部が全部、完全なる嘘だってことも、十分あり得るんだぜ? どうよ。分かったか? 有馬侑。これがキャラクターの怖さだ。二次元世界の恐ろしさだ」

 私は転倒した羽子さんに手を貸し、彼女を起こしながら、社長の話を聞く。

「三次元の奴らからしてみれば、二次元キャラの設定なんて全部が全部、思いのままってことだ。書きたい放題、好き放題に決めやがる。まったくの軽い気持ちでな。そんで、あたしら二次元は、それに抗う術がない……ってことよ」

 社長は立ち上がり、カバンから財布を取り出した。財布の中から千円札を三枚取り出し、私に差し出す。

「ほらよ。これで三人分払っとけ。釣りはもらっといていいぜ」

「……はい」

 受け取った。

 カツン、カツンと床を踏み鳴らしながら社長、城崎きずきは、後ろ手を振って、ラーメン屋を出て行った……のだが、食い逃げを疑われて店の外で店員に止められた。色々と説明したあげくに、私の方を指さし、口をパクパク。「連れが払う」とでも言っているのだろう。店員もそれに納得したようで、社長を離した。

 退場があんまり綺麗じゃなかったな……。

「侑ちゃん……」

 下の方から私の名を呼ぶ声がした。羽子さんだ。私を見上げている。

「ごめん、寝ちゃってた」

「……いえ、別に構いませんよ」

 先ほど、羽子さんが三角座りのまま微動だにしなかったのは、すねていじけたままじっとしていたら、いつのまにか食後の睡魔がやってきて意識が朦朧と……ってやつに違いない。社長のノートの『設定』によって動きが停止したと見たのは、考えすぎだったのだ。

 羽子さんは羽子さんだ。

 キャラクターじゃない。

 いや、それは違う。それは語弊だ。厳密に言えば、キャラクターだ。でも、社長が作ったキャラクターではない。三次元のクリエイターが作ったキャラクターだ。外の世界の住人が作ったキャラ。

「じゃあ、もう行こっか」

「はい。代金払ってきますね。店の外で待っててください」

 私は三人分の会計表をレジまで持って行った。そこにいた店主らしき男に「長居しすぎ」と怒られた。確かにその通り。時刻は午後の二時。小一時間くらい、この小さなラーメン屋にいたことになる。

 気を取り直して、店を出た。

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