13.豹変
「昨日の午後って、羽子さん、何やってたんですか?」
「うん?」
午後一時過ぎ。私たちはビルから少し歩いたところにあるラーメン屋に来ていた。四人掛けのテーブル席にて向かい合う。
「ええとね……きずきちゃんと一緒にいたんだ。コンピューターをちょいといじってて」
「コンピューター?」
「そう。スーパーコンピューターを超えたウルトラコンピューター……って、あっ! ごめんっ! これまだ言っちゃダメなやつなんだ……」
箸をどんぶりの中に置いて、両手で口を押さえる羽子さん。
「ウルトラコンピューター……ですか」
「うわわわわ! 今のは忘れて! 企業秘密! 企業秘密!」
「まあ、別に覚えておくほどのことでもなさそうなんで」
「あああああありがとう……今のことが、きずきちゃんにばれたら私、叱られちゃうよ……」
叱られちゃうって……それほど大した機密漏洩じゃないの? 羽子さん曰く「『まだ』言っちゃダメなやつ」ってことは、後々正式に教えてくれるのだろうか。
昨日の社長の台詞も合わせて考えてみる。
ヒロインワークス株式会社の目的は『二次元が三次元に干渉すること。そして、三次元のクリエイターたちに二次元キャラクターを作らせること』だ。その業務に、そんな高性能なコンピューターが必要なのだろうか。というか、そんなすごい物を購入できるだけの資金があるのだろうか。この会社に。
キャラを生み出すため、高性能コンピューターを使っている、とかだろうか。でも、そんなことをしていいキャラって作れるもの? もし作れるのだとしたら、クリエイター……この世界にいる『二次元のクリエイター』も、外の世界にいる『三次元のクリエイター』も……そこそこ凹みそうなものだが。人間よりも機械の方が面白いものを生み出せるなんて、信じたくないだろう。
話題を変えよう。
「そういえば社長は創作しないんですか?」
「きずきちゃん? うん。あの子は専ら経営者向きというか、人の上に立つ人間だからね。どちらかというとクリエイターが作った作品をまとめるタイプというか。売り出すタイプというか」
「編集的な?」
「そうそう。事務職系というか、営業職系というか、管理職系というか」
事務職、営業職、管理職……要するに、社会派ということだろう。
「人の上に立つ者って風格してるでしょ?」
「確かに、人に命令されてあれこれやるタイプではなさそうですね」
人に命令してあれこれやらせるタイプだ。
「きずきちゃんすごいんだよ。高校のときに生徒会長だったんだけど、そのときの政策で不良の生徒をほとんど退学させたんだ。それによって校内の治安がすっごく良くなって」
……何だその強硬姿勢の独裁者みたいなのは。
「しかも退学した不良のうちの八割を豚箱送りにしたんだ」
「豚箱って……」
「そのうちの半分は未だにシャバに出れてないっていう……」
「どんだけ荒れてたんですか⁉」
「二、三人が死刑判決……」
「さすがに嘘ですよね⁉」
「そのせいで学校の生徒は半減しちゃったんだけどね……。それで来年で廃校になっちゃうっていう……あ! でも安心して! 何か最近は生徒がスクールアイドルとか反体制デモとかを活発にやってるみたいだから」
「……」
そんな学校あった? この国に? 実際にあったのなら、ニュースになっていないとおかしいけれど……と、脳内に疑問符を浮かべながら麺をすすっていたら、突然隣から、
「相席してもよろしいでしょうか?」
知らない人の声が飛び込んできた。見ると、私や羽子さんと同じくスーツを着た女性が、にこやかに笑いながら立っていた。
「ああ、どうぞ」
「失礼します」
女性はテーブル席のうちの羽子さん側に着席した。淡々ととんこつラーメンを注文し、お冷をすする。
「……」
「……」
話しがしにくくなっちゃったな……なんて思っていたら、
「それで、有馬さん。仕事の進み具合はいかがなものでしょうか?」
……。
「え? 私?」
初対面の、相席の女性に話しかけられた。戸惑う。名乗った覚えもないのに名前も割れてるし。
「ええと……失礼ですけど、お会いしたこと、ありましたっけ?」
「何言ってるんですか。昨日の朝、会ったじゃありませんか」
昨日の朝? 昨日の朝は普通に電車で通勤して、ビルの中へ、廃墟の中へ……だったが。その間に誰かと会話した覚えはない。
「いいキャラクターはできましたか?」
そこで気が付いた。
「城崎……社長?」
「はい。城崎です」
グラサンを外しているものの、確かに彼女は城崎きずき本人だった。というか、グラサンを外しただけだ。それ以外の、服装から髪型までは昨日と変わらない。ただグラサンを外しただけで、人の印象というのはここまで変わるものなのか……。
「それで、有馬さん。仕事の進捗はいかがなものでしょう。何かご不明の点がありましたら、私にいつでも聞いてくださいね」
社長は微笑む。
印象というよりキャラが変わっている。
いや違う? キャラが変わっただの、キャラがぶれてるだのではなく、彼女は元からそういうキャラなのかもしれない。グラサンを外したらお淑やかに、グラサンをかけたら粗暴に……といった、太古から頻繁に創作物で利用され、手垢で汚れまくりのハイパーテンプレート万能キャラ設定……『豹変設定』だ。その設定を持つキャラは、パッと思いつくだけでも三人いる。
「社長……サングラスは、どうされたんですか?」
「ああ、今日は曇りですので必要ありませんの。昨日は日差しが強かったでしょう?」
「そうですか……」
確かに。今日の東京は曇りだ。昨日はよく晴れていたのだが。
しかし、エレベーター向こうの無人島は今日も晴れていた。ということは島に行けば、この人は再びグラサンをかけて、元の粗暴な城崎社長に戻るということだろうか。
見ると、羽子さんが目をまん丸にして、社長をぽかんと見ていた。動作が完全に止まっている。
「え……羽子さん。どうしたんですか?」
訊いた。しかし、私の質問がまるで耳に入っていないかのように、羽子さんの目は依然としてまん丸いままだ。驚いて、固まってしまったみたい。
「きず……き……ちゃん?」
「はい。きずきですよ。羽子さん」
社長は羽子さんに微笑みながら返答する。
「何で……え? どういうこと? いたずら?」
「いたずらとは……どういうことでしょう、羽子さん」
「だってだって……え? 本当にきずきちゃんなの? 変装? どこか頭とか怪我してない?」
「いえ……羽子さんの方こそ、どうされたんですか? 私、そんなに変ですか?」
「だってだって……」
とのやり取りが交わされる。
……どうしたんだろう、羽子さん。社長が現れるまでは普通にラーメン食べてたのに。それがいきなりこうだ。意味不明な出来事が起きて脳が追い付かない……みたいな顔をしている。私の方もよく分からなくなってきた。先輩二人に囲まれて、無言で麺をすする。
「変だよ! きずきちゃん変!」
「変? そう言われましても……私、いつもと何ら変わりありませんが」
「だってだって……そんな言葉遣いじゃなかったでしょ?」
「言葉遣いと言われましても。ええと、確かに昨日は乱暴な物言いをしてしまいましたが、今日のところはこれですよ? 私の言葉遣いが時々変わるのは、羽子さんもご存じでしょう?」
「変わるって……?」
? ますます意味不明だ。この二人はいったい何を言っているのだろう。会話がまったく噛み合っていない。
訊いてみる。
「ええと……どういうことですか?」
「いえ……私もちょっと分からないんです。この方がいきなり変なこと言い出されて……」
「変なのはきずきちゃんの方だよ! 何でそんな変な言葉遣いするの?」
大声でわめく羽子さん。両手を大きく広げて困惑を体全部で表現している。半泣きだ。
「……」
城崎社長はカバンをあさり、中から黒い物体を取り出した。サングラスだ。耳掛けを広げて、装着する。
「これでいいか? 羽子」
一気に低い声に、昨日と同じ荒々しい話し方に、豹変する。
「きずき……ちゃん……?」
落ち着くかと思いきや、今度は目をぐるぐる回し始める羽子さん。
「羽子さん? 大丈夫ですか?」
「え……うう……分かんない」
ひっ……ひっ……と泣き出した。私が泣かせたわけじゃないよね? 大丈夫だよね?
「おい、羽子。悪かったって。泣くなよ」
「ひぐっ……」
「……」
そんな二人の様子を見ている私の頭の中には、十四個くらいの疑問符が浮かんでいた。
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