12.超魔術貿易王ジュピター

 もしかしたら泣かせてしまったかもしれない……と、その場のノリのままに、体育会系な行動を取ったことを後悔した私だったが、幸いにもそうはならなかった。羽子さんは『別のキャラ』になっていたということもあり、昨日の朝のようにショックで泣き出すということもなかった。

 事務室にて。私と羽子さんはイスに座って会話する。

「さっきのが私の作ったキャラクター『軋身朱穂』だよ。漫画のときとはちょっとキャラ違うけど」

 黒ドレスに血染めの包帯にハイヒールに赤い髪と赤い目の少女は……スーツ姿のOLになっていた。というか戻っていた。というか羽子さんだった。

 まあ、最初から分かってはいたのだが。昨日見せられた生命条約(だと思う)の力の応用だろうな、と。人形に生命を与えたときのように、今度は廃墟の床に生命を与えたのだ。それで、主の指令で何か変なアームのオブジェみたいなやつが生えてきて、その表面に気色の悪い蟲がもじゃもじゃもじゃと蠢いていた……という演出なんだろう。

 床はすでに元に戻っていた。元の廃墟の無機質な床に。これであの腕が生えた状態で羽子さんが『解除』をしていたら、そのままの状態で元の無機物に戻って、あの蟲たちのオブジェが見られたのかな……なんて考えてみる。

「さっきみたいな感じで、設定を自分に課すんだね。設定を細かく書けば書くほど、そのキャラの精度は上がっていくんだよ。昨日の私はカッターの設定をしてなかったから、そこら辺がガバガバだったんだけど」

 カッター? って、何だろうかと思ったけど、すぐに理解した。昨日の羽子さんと今日の羽子さんとでは使っている刃物の種類が違っている。昨日はカッターナイフでリストカット、今朝はアーミーナイフでリストカットだ。血に触れた物体が生命を持つというのなら、昨日のカッターナイフも女児用人形と同じように生きていないとおかしかったのだ。今朝はそのガバガバ設定が修正されていた、と。そういうことだろう。

「それにしてもすごいですね。何というか……夢があるというか。自分が作ったキャラに自分がなれちゃうわけですから」

 設定ノートだったり、空間転移だったり。これらは全て社長の偉業だ。ファンタジー……か超科学かは分からないが、とにかく私の理解が及ばないような領域の力がそこに関わっているのは確実だった。

「まあ、ここも二次元だからね。三次元の世界みたいに細かい理屈は考えなくていいってことだよ」

「……」

 それはそうですけど。

「それで、侑ちゃんの小説のキャラはどんなのがいるの? 現代ファンタジーなんだよね?」

 目をキラキラさせて、両手をリスみたいに丸めて、私に詰め寄る羽子さん(昨日の午後、別れ際に『明日、書いた小説を見せる』という約束をしていた)。好奇心が抑えきれないといった様子だ。

「ああ、えっとそれは……」

 私はカバンの中からノートパソコンを取り出した。麻雀台上に乗せて、起動。この中に超ジュピの本文と設定文書が入っている。

「超魔術貿易王ジュピターです」

「ちょ……貿易……? え、何それ?」

「超魔術貿易王ジュピター」

「……うん。よく分かんない」

 物語の大まかな内容を羽子さんに解説した。しかし、彼女の反応は「分かんない……」という先ほどと変わらないものだった。何とか理解してもらおうと思い、再度解説したのだが……だが……しかし。

「ええと……」

 羽子さんはだんまりとうつむいてしまった。目が横線みたいになって、額の汗が下へ下へ滴っている。返す言葉が行方不明といった心境なんだろう。

 確かに、無理もない。私も……自分で解説しておいて、自分が何を言っているのか分からなかったのだから。

 いやしかし、それにしても。有名作品というのは全てことごとく……何というか……こう……短い言葉でその内容を表現できるものだなあと、今さらながらそう思う。端的に、それがどういった物語であるのかという説明が可能なのだ。そういった点が、素人とプロの違いなのだろう。まあ、そんなことは置いておいて。

「とりあえず読みます?」

 ……。

 ……。

 ……。

「うん」

 変な間があった……。

 小説のデータを私のノートパソコンから羽子さんのタブレット端末に送る。これで二人同時に同じ原稿を読むことができる。私は私のノートパソコンで、羽子さんは羽子さんのタブレットで。

 羽子さんが指でタブレットを操作する。下へ下へ、ページを下へ。そして、

「ごくり」

 と、生唾を飲んだ。彼女の強い覚悟が伝わってくる。覚悟というか、意志というか。

 そう、小説というのは漫画と違い読むのに時間がかかる。それなりの集中力を要求される。周りがうるさい中で漫画は読めるが、小説は読めなかったりする。それくらい、活字から情報を吸い上げて、頭の中で像を作るというのは大変な作業なのだ。これについては私が書いた活字なわけで。

 私の目下には一つのノートパソコンが。その画面には、真っ白い用紙に、大きくタイトルと自身のペンネームが並んでいた。


 超魔術貿易王ジュピター


 蟻魔友焼


 有馬が蟻魔、侑が友になって、さらに『燃えるような情熱』という意味もこめてその後ろに焼の字が入っている……というのは単なる建前で、実際は友達と焼肉に行ったときに思いついた名だ。友焼。どことなくカニバリズムの波動を感じるが無視しておく。

「侑ちゃん。じゃ、じゃあ読むね」

「はい。どうぞ」

 こうして。

 私と羽子さんは二人そろって原稿を読み始めた。時刻は午前十時前のことだった。


(中略)


 読めたもんじゃなかった。

 とても……読めたもんじゃなかった。もうとてもじゃないが、小説と呼ぶことを許された代物ではなかった。こうして久々に読み返してみると、本当にどこがどのようにダメなのかがよく分かった。どこがダメなのか、ではなく、ダメじゃないところが存在しないのだ。実質ストーリーが皆無、というか崩壊している。書いた当初は『傑作ゥ‼』とか思ってたのに……こうやって改めて読み返してみると、ゴミ以外の何物でもなかった。それが分かった。

 三時間ほどかけて、そんなクソ原稿を読み終えた羽子さんの反応は、

「……」

 と、いうものだった。

 伝わらないと思うので解説しよう。

 目を合わしてくれない。

 どこか左横下の方を見て、口をもぐもぐと動かしている。何か感想を言わなければならないと思ってはいるものの、その感想が口から出て行く前に死産になっている……みたいな感じだろう。汗が垂直に滴っている。申し訳ない。

「斬新……だったと思うよ。似たような話、私は見たことないから」

 えへへと苦笑いしながら感想を無理やり捻り出す羽子さん。本当に申し訳ない。

「それはさておきさっ! お昼行こうよ! 侑ちゃん」

 それはさておかれてしまう始末。申し訳のしようがない。

「……はい」

 今になって、今さらになって、考えてみる。

 なぜ、私はこの会社に入社できたのか?

 その答えは簡単だ。超ジュピはストーリーこそ酷いものの、キャラクターはそれなりに良いからだ。そうに違いない。でなければ、私がこの会社に入れた説明がつかない。

 そうだと信じよう。今のところは。

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