第18話 逆転劇 -1-
四月に三年生へと進級してから、僕は一度も学校に行く事ができなくなっていた。
部屋から出られない。外に出た瞬間、周りには敵ばかりだ。誰かの視線が怖くてたまらない。流石に両親からも何か言われるかと思ったが、今度も特に触れられる事はなかった。
たまにトイレへ向かう際に父や母と出くわした事があるが「お前は結崎の恥だ」とだけ言われてそれ以上は無かった。何年振りの会話か分からなかったが、まさかそんな事をこんな子供に向けて言う大人がいるんだなと驚いた。でも、それだけで済むのなら別に良いかとも思った。
不登校になり始めて直ぐの頃、一度だけあのカフェに行った事がある。
昼間から店を訪ね、準備中の看板が掛けられているのにも関わらず扉を開いた。するとそこには、カウンターの席でうなだれながら煙草を呑む店長の姿があった。
「あ、まだ準備中なんで……って、お前……」
彼女が自殺したと言う話を信じられなくて、もしかしたらここに来ればふらっと彼女も姿を見せてくれるんじゃないだろうかと思った。
「お前……言っただろ……なんかあったら直ぐに俺に教えてくれって……! なんで教えてくれなかったんだ……」
「彼女が……言わないでと僕に言ったから。そういう約束をしてしまったから……」
店長は頭を抱える。僕のその間抜けな返事に苛立ちを隠せないようだった。煙草を一口咥えて、深く煙を吸う。肺に溜まったそれを天井に向けて吐き出しながら、店長は僕にこう告げた。
「……まあ、なんだ……色々あったが、君を責める気はないよ。あの子も、君の事を恨んではいない筈だ」
漂う煙を見上げながらそう告げる店長に、僕は何も言えないままでいる。
「今の段階で、これ以上君に話せる事は無い。……とりあえず、今日は帰りなさい。落ち着いたら、またゆっくり顔を見せに来てくれよ」
正直、殴られる覚悟をしてここまで来ていた。普段の虐めですっかり慣れてしまったから、数発なら難なく堪えられると思っていたのも原因だろう。しかし、そこはやはり腐っても大人という訳で、それなりの対応をされた。
言葉上では僕を気遣ったものだが、それは「もう来るな」と言っているようなものじゃないか。
また一つ、僕の居場所が無くなった。
だから僕は、尚更に家の外へと出られなくなっていた。
部屋の中で一人目を瞑ると、あの日の出来事が脳裏に焼き付き消えてくれなかった。僕を覗く、彼女の淀んだ目。虚ろで、何もかもを諦めた死んだような目だ。その目が、いつまでも僕の事を捉えて離さない。
不眠症になってしまった僕の一日はとても長い。これといってする事も無いから、壱哉から譲り受けた本来学校で学ぶ筈だった範囲の授業を一人部屋の中で進めた。二ヶ月も経つと全て終わってしまったから、壱哉に頼んで参考書を買ってもらった。
そうやって、無意味な生活を半年以上は続けただろうか。
夏の季節はとっくに終わっていて、いつか彼女と出合った、あの季節になっていた。
あれからもう一年絶ったというのに、僕はまるで変化が無い。精々、少しだけ頭が良くなった程度だろうか。無意味な一年を過ごしてしまったなと痛感する。
そうやって窓から見える景色をぼんやり眺めていると、部屋の扉が控え目にノックされた。
「和久、今大丈夫か?」
「……うん」
有名な進学校に入学した壱哉は、その学校でも相変わらずの優等生らしい。一年生にして生徒会に所属、来年には生徒会長を任されるだろうと噂されているらしい。勉強もやはり常にトップ、バスケットボールは確か全国大会出場だったか。そんな壱哉の両手には、なにやらたくさんの資料が握られている。
「お前、高校はどうするんだ? 全く考えてなさそうだったからな、とりあえず色々な高校の資料持ってきた。さすがにもう、引き篭もってばかりじゃいられないんだぞ」
進路……か。そういえば全く考えてなかった。
「わかった、少し考えてみる」
そう言って壱哉を部屋から追い出して、残されたパンフレットを眺める。はっきり言ってどこにも進学する気はなかった。彼女のいない学校生活に、もう意味を見つける事が出来なかったからだ。僕はもうどこに行っても何をしても一人だ。そんなやつが学校になんて行ける筈が無いだろう。
パンフレットの表紙には、そのどれもが笑顔を浮かべた生徒達の顔で埋め尽くされている。こいつらは、生まれてから一度だって不幸な目に遭った事なんてないんだろうな。だからそんな表情が出来るんだ。
苛々が募っていく。無性に腹が立って、思わずそのパンフレットを壁に投げ飛ばした。飛んだ先にはこれまで購入してきたCDの棚があり、きちっと並べられたそれらはパンフレットと共に床へ落ちた。
何をしても悪い方向に向かうな。そう思いながら崩れてしまったそれらを直すために、CDを一枚ずつ拾い上げた。これまで愛用していた音楽プレイヤーも一緒に落ちていたみたいで、随分と埃が溜まっていた。あれだけ好んで聴いていた音楽から、どうして今はこんなにも離れてしまったのだろう。
『LunaLess』のCDが目に入る。
そうだ、このバンドのお陰で僕と彼女は出会えたんだ。そう思うと、これまで随分と色々な話をしたなと思う。
――きっかけは何だっていい。
本当にその通りだと思うよ。
たくさんの価値観を教わった。彼女がいたからこそ、今の僕があるのだと思う。はっきりと物事を言ってくれるからこそ伝わる何かがあった。
そうやってこれまでの事を思い出していたからだろうか、ふいに思い出した事がある。
約束を……彼女と交わした最後の約束を、僕はまだ彼女に見せる事ができていない。
――君の逆転劇ってやつを、いつか私に見せてよ。
鮮明に、その言葉を思い出す事ができた。
わかった、良いよ。見せてあげるよ。
こんな風に引き篭もってる暇はもうない。もう半年もしない内に僕らもあの中学から卒業してしまうじゃないか。そうなったら……あいつらに仕返しが出来ない。
これは逆転劇だ。彼女が望んだものだ。そう自分に言い聞かせながらやつらをどうやって地獄に叩き落してやろうかと考える。
この時僕を突き動かしていたのはそんな綺麗なものではなく、ただの復讐心である事に気が付かないまま、一週間の間を使いSNS等でやつらの情報を徹底的に調べ上げた。
部屋の窓から見える景色や、よく使っているコンビニ等の写真から大体の住処を突き止める。空いてしまったこの数ヶ月に、あいつらの人間関係はどう変化したのか。誰と誰が仲良くしているのか、嫌い合っているのか、付き合っているのか。頭の悪いあいつらはそんな情報をすべて晒していたから、全て把握するまでに苦労はしなかった。
調べていく内に、何枚もの写真を見た。その中には佐武の顔もあった。怯えきったその表情から、恐らく今の虐めの対象はこいつに代わっている事が分かる。良い気味だ。
今、僕らの学年は受験間近で張り詰めた雰囲気だ。隙は十分にある。
佐武、お前の事を利用させて貰うよ。
携帯を開き、数少ない連絡先の中から佐武の文字を探した。連絡先を残したままで本当に良かったと思う。送る文面はいかにも弱弱しく、相手を頭に乗らせるように。
護身用にと用意した物もある。後はそのタイミングになるまでじっくりとイメージをしておくだけだ。一度だって失敗は許されない、最初で最後の逆転劇だ。
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