第13話 -3-
岡本と小宮の些細な口喧嘩はいつの間にか終わっていた。自分達がした事など忘れたような顔をして、今日も呑気に乳繰り合っていた。それなのに、虐めは終わらない。きっと理由が変わったんだと思う。
これまでに無視や陰口、些細なちょっかい事に耐え抜いてきた逢来だったが、ここ暫くの虐めによって大分参ってきていた。やっと痛めつけれた事に気分を良くしたのか、はたまた最初に虐めを始めた時の事を思い出したのか、どちらにせよ下らない理由だ。
男子の目を気にして陰湿な内容の虐めしかしてこなかったのだが、以前の小宮を巻き込んだ件があってからはあからさまになっていた。
例えば、上靴が捨てられていた。ノートや教科書類が破られていた。机の上に落書きがされていた。机の中に画鋲が入れられていた。体育で着るジャージがカッターか何かで切り刻まれていた。故意にぶつかられていたり、足を掛けて転ばされていた。給食の中にゴミが入れられていた。授業中でも笑い者にされていた。「人の彼氏を奪おうとした」というでたらめを流され、同学年の生徒から後ろ指を指されるようになっていた。
廊下を歩いているだけで、彼女は悪口を言われる。誰かもわからないような人間にまで「学校に来るな」「死ね」等と蔑まれる。
どうして……どうして彼女がここまでされないといけないんだ。お前らに対して彼女が何をしたっていうんだ? ただ勝手に被害妄想を抱いて「可哀想な自分」に酔っているだけじゃないか。お前らみたいな程度の低い人間が彼女を虐めて良い理由なんて、どこにも無い。
――恐らく、そう思っているのは僕だけなんだろう。この学校の中で彼女の友人はきっと僕しかいないんだ。誰だって、友人が虐めに遭っていたら巻き込まれたくないと思うだろう。どいつもこいつも逃げてばかりで、助けようとは絶対にしない。
卑怯なやつらだ。そう思えば思う程に――その要素が全て僕自身に当てはまっている事を知り胸が締め付けられる。
今日もカフェに来ていた。
入り口の扉を開くと、直ぐ傍に立っていた店長と目が合う。
「いらっしゃい……ちょっと、良いかな?」
すっかり顔見知りになった店長から、普段よりいくらか低い声のトーンで話しかけられた。「なんですか」と口を動かしたが、声に出ていたかは分からない。
「最近、虐められたりしてるんじゃないか、あの子」
「……はい」
「やっぱりか。前々からそうなんじゃないかって思ってたけど、外靴も履かずに此処へ来た時に確信したよ。あいつ、そう言う事は何も言わないもんだから……」
彼女の性格的にも、そうだろうなと思った。
店長は頭を乱暴に掻き毟って、深い溜息をつく。
「君さ、あの子の事を頼んだよ。知っての通り、人に頼れない子なんだ。何かあったら俺に教えて欲しい」
「わかりました」
「連絡先を聞いておいてもいいかな。その方が何かと便利だろう」
断る理由も無く、ポケットの携帯を手に取り、店長と連絡先の交換を始めた。そんな事をしてる間に、一つ気になっていた事をふと思い出す。
「そういえば、店長さんはやけに逢来さんの事を気に掛けますよね。どういう関係なんですか?」
「ん、本人から聞いてないのか?」
首を縦に振る。すると店長は、思案するように腕を組んで「たぶん、全部は話せないけど」と前置きして説明を始めてくれた。
「ほら、君達の好きなバンド、あいつら昔からこの店を贔屓にしてくれてたんだよ。というのも、俺が『LunaLess』の元メンバーって理由があるんだけどさ」
「えっ! そう、なんですか?」
「ははは、知らないのも無理ないさ。俺が加入していた時期って、ライブ開いても五、六人しか集まらないような時期の話だから。知ってる人は殆どいないよ」
公の場に出るようになってから五年は経っているのに、僕がファンになったのはつい昨年の事だ。下積みの時代があるとすれば、それは当然、知る由も無い情報だった。
「俺は音楽を諦めたんだけどさ、残ったあいつらの休める場所を作りたくてこのカフェを始めたんだ。あの子は……当時からファンでね。小学生の時からこの店に入り浸ってたよ」
「よく小学生一人でここまで来れましたね。普通の小学生ならありえないと思います」
その時の光景が目に浮かんで思わず笑ってしまう。何とも彼女らしいと思った。
「それはあれだ、あの子の兄が――」
「こんにちは……って、あれ? 二人で話してるなんて珍しいね」
丁度良く店に入ってきた逢来が僕らの会話に加わった。
「いらっしゃい。じゃあ、俺はこの辺で仕事に戻るよ。いくらこの時間は暇だからって、働かないでいるのは店長として示しが付かない」
そう言って注文を僕らから受け取った店長は、店の奥に姿を消していった。何か言い掛けだったのが気になるが、逢来を放って話し続けるのも気が引ける。また今度聞こう、そう思っていつもの席に向かった。
いつも僕が左側で、彼女は右側に座っている。だが、今日は逆の位置に座らされた。何故だろうと思ったが、そんな日もあるかと思って深く考えずにいた。
いつものように他愛も無い話をしていると、注文していたコーヒーが運ばれた。最初は苦くて飲めなかったが、見栄を張って飲み続けている内に慣れてしまった。
ふと彼女を見る。店長がコーヒーを配膳しているその間、不自然に左腕を庇うような素振りを見せる。店長が去っていくと、自分の身体を使って左腕を隠した。
こんなに近い距離で、もう何ヶ月も肩を並べているのだ。お互いの癖や仕草は何となく分かる。だから、普段はしないその動きが気になって仕方が無い。雑談をしている間、グラスを手に取るのも落とした物を拾うのにも、左を使う方が楽なものもあったのに右手しか彼女は使わなかった。
それに、いつもなら肩が触れ合うなんて当たり前の感覚だった筈だ。それなのに今は、少しでも触れそうものなら肩を小さく震わせて距離を開けられてしまう。
次第に、彼女の見せる笑顔が何かを誤魔化しているようにしか見えなくなってきた。
「……逢来さん、何か隠してる、よね?」
「何が?」
短く、それ以上の追及を許してくれないような、そんな声色だった。でも、お節介だとしても見てみぬ振りはしたくなかった。ただでさえ学校の中じゃ逃げているというのに、この場所にいる時ですら彼女から目を背けたくなかった。
「左腕、何か隠してる?」
彼女の顔から笑みが消えた。段々と顔が下を向いていって、その長い髪が表情を隠した。
「見せて」
「嫌だ」
「何か隠してるんだろう?」
「気の所為だよ。これ以上は、痴漢だって言うから」
「見てみぬ振りをするより、そう言われる方がまだ良い」
多少無理にでも、彼女の左腕を掴んだ。その瞬間、彼女が痛みに悶える声を上げた。それ程強く握っていないのに痛がる彼女を見て、何故か嫌な予感がした。
「待って、分かった。自分で見せるから」
そう言って逢来は上着を脱いだ。
セーラー服の袖を捲り上げると、そこには赤く染まった包帯が巻きつけられていた。
「何、これ」
黙って返事をしない逢来。
「……岡本達にやられたの?」
小さく頷いたのを見て、僕も言葉を失った。
包帯は肘の所から巻かれているのだろうか、手首より少し前の辺りまで巻かれている。滲んだ血の量を見ても、きっと傷が出来ている箇所は一つや二つじゃないだろう。
本当にこれが、同級生の女がやる事なのか? 同じ女として、その肌に傷を付けられるのがどれ程耐え難いものなのか、分からない筈がない。
「……今日だけじゃないんだ。こうやって腕を押さえられて、カッターで切られるの」
捲くった袖を元に戻しながら、どこか割り切ったように作り物の笑顔を貼り付けて彼女はそう言った。
駄目だ、僕じゃとても助けになってあげられない。そんな事、前から分かっていた筈だ。彼女は僕に弱さを見せないし、僕もそれを認めない。そんな歪な関係が僕達なんだから。
その時、店長と話したばかりの約束を思い出した。何かあったら教えて欲しい、と。
何かに引き寄せられるようにして立ち上がって、僕は店長へこの事を伝えなければと思った。しかし、そんな僕の腕を逢来は掴んで離さない。
「どうしたの、何をするつもり」
「店長に……頼まれたんだ、君に何かあったら教えてくれって……」
僕の腕を掴んだ彼女の手に力が入った。
「やめて! そんな事私はして欲しくない!」
初めて僕に向けられたその怒声が、頭の奥底まで響いた。
「でも、これは流石に度が過ぎている……ここの店長ならまだ信用できる、学校の使えない教師に何とかして貰うよりよっぽど……」
更に力が入り、彼女の爪が僕の腕に食い込む。痛みを覚える程のそれは、無言の否定である。
「痛いよ」
「……ごめん。でも、座ってくれるまでこのまま離さないから」
やむを得ず席に戻った。コーヒーを口に流し込む。熱くなった頭を冷ましてみても、僕の考えは変わっていなかった。
「心配、掛けたくないんだよ。だからこれまで耐えてきたんだからさ、君も堪えてよ」
そんな震えた声の君なんて見たくなかった、聞きたくなかった。
「堪えるって……僕はずっと何もしてこなかったんだよ。君も、だなんて、そんなおこがましい事言えない」
横目で彼女を見ると、乱れた髪の隙間から首元が見えて、痣のようなものが出来ている事に気が付いた。それは誰かの手で締め付けられた痕のようで、その事実すらも隠していた事に虚しさを覚えた。
このまま、彼女の言う通りに見てみぬ振りを続けて良いのだろうか?
放置したままだと、きっと取り返しの付かない事になる。そんな気がしてならない。
それだけは嫌だ。彼女がいなくなったら、僕はきっとまた一人だ。友達はいても、心から楽しむ事なんてもう出来ないとすら思える。
「……僕も、放課後は学校にいるよ」
「何言ってるの……? 私言ったよね、巻き込むのは嫌だって。そんな事したら君まで面倒事に巻き込んで――」
「嫌なんだ! 君は何もしていないのに、悪いのはあいつらなのに、何で正しい人間が損をしなきゃいけないんだ! そんなの、許せないだろ!」
床に置いてあった鞄を掴んで、もう一度席を立った。
「今日は、帰る」
これ以上弱った彼女を見たくないのもあったが、これ以上この場所にいると何を口走るか分からなくなっていた。一度しっかり頭を冷やさなければいけない。お代だけ机の上に置いて、彼女の返事も待たずに僕は店から出た。
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