第12話    -2-

 その虐めは、冬休みを挟んでも続いた。無能な教師達は見てみぬ振りを貫くだけで何の役にも立たない。受験間近の壱哉に助けを求めるのは躊躇われたから、頼りになる人間はどこにもいない。大人と自らに対する憤りが募っていくばかりだった。

 日に日に元気を失っていく逢来の姿は、誰の目から見ても一目瞭然だった。それなのに、カフェで僕と話す時だけは笑顔を見せてくれていた。自分が一番辛い筈なのに、気丈に振る舞うその姿は見ている僕の胸を酷く締め付けた。

 だが、それで僕まで気を落としていては彼女の努力を無駄にしてしまう。やるべきは、彼女と一緒に笑う事だ。


 ――そう思って、これまでやってきたのだが。


 現在の時刻は、十七時を少し過ぎた頃。最近はそういう事も増えてきたから、きっと今日も岡本達に絡まれているんだろうと思って、カフェの窓際の席で彼女を待っていた。

 外にはうっすらと雪が積もっていて、防寒具無しでは厳しい季節だ。


「おまたせ、待った? ここは暖かいね」


 やっと姿を現した逢来は、冷えた身体を擦りながら店内へと入ってくる。


「そうだね。もう少し辛抱しなきゃいけない所だけど……って、靴はどうしたの……?」


 逢来の上着には少しの雪が付着しており、寒さで赤くなった頬も指先も、その全てが防寒具無しでは過ごせない季節になった事を告げている。それなのに――。


「どうして、靴を履いていないの……?」

「あはは、捨てられちゃったみたい。外靴の代わりに上靴を履こうかと思ったんだけれど、そっちもカッターでぼろぼろにされたから、諦めて靴下のまま来ちゃった」


 この状態の私に話しかけてくる人とかいなかったから、案外人ってのは周りには無関心なものだね……そうおどけながら逢来は笑ってみせた。


「僕の上靴があっただろ? 断りなんか要らないから、勝手に使えば良かったのに!」

「そうしたら、明日君が使う上靴が無くなっちゃう」

「そんな事、気にしなくて良いだろ!」

「気にするよ」


 こうしていても話は進まないと感じて、一先ず履ける物を準備しなくてはならないと思った。どこか近くの店で買ってくるから待っててと言うと、店長が既に買いに出てくれているから大丈夫だと言われてしまった。

 こんな天気の中に靴下一枚だけで歩くというのは、相当に厳しい行為だ。それは、靴底を挟んでも伝わる路面の冷たさが容易に想像させてくれる。

 今日は一段と姿を見せるのが遅いなと思っていたが、原因はこれだったのか。

 僕が彼女にしてあげられる事は……何も思い付かない。怒る様子も見せずに「災難だった、運が悪かったな」程度の事しか言ってくれないのを見て、何故か僕自身が怒りを覚え始めた。


「なんで怒らないんだ! あいつらは群れて調子に乗っているだけの卑怯者だぞ! そんなやつらを庇ってどうするんだ!」


 まるで自分の身に起きている事のようだった。口を開けば開く程に怒りは湧き上がる。


「聖人にでもなったつもりかよ! 君こそ……同情を得る為にそんな事してるんじゃないだろうな? 何もしないまま、負けたままで良いのかよ! 君が、諦めないでくれよ!」


 次第に、その怒りの矛先が変わっている事に気が付いた。虐めをしているあいつらではなく、目の前にいる彼女を責め立ててしまっていた事に。

 全ての親切が正しいだなんて、いつから勘違いをしてしまったのだろうか。

 これは単なる押し付けだ。彼女が怒らなかったから僕が代わりになって怒る? 怒らなかったその理由を考えもせず、偽善で自分を満たしていただけなのだ。

 どんな時だって立ち上がる強い彼女、そんな理想を押し付けてしまっていたのだろう。


「違うよ。怒らないんじゃなくて、怒る必要がないだけ。私は、あの人達と同じ土俵には上がってやらない。やり返せば、その途端に同列だと扱われてしまうから。それは、嫌でしょう?」

「言い訳だよ、そんなの」

「そうかもしれない。けど、私の人生にはそういう時も必要なんだよ、きっと。今は耐える時なの……鞍嶋君なら、分かってくれるかな……」


 自分に言い聞かせるように語る逢来は、その言葉通りにぐっと両の手の平を握り合わせて何かを耐えているみたいだった。

 これまでずっと耐え続けて、この学校を卒業したらそこからやり直すんだと、ずっと思っていた。今は耐える時、その言葉に強い共感を覚えた自分がいる。だからこそ僕は、その言葉に頷く事が出来た筈なのに……。


「……高校は、どこか遠い所にしよう。あんな頭の悪いやつらがいないような、誰も僕らの事を知らないような場所へ」


 なのに、僕は話を逸らしてしまった。本当なら「そうだね」と力強く返事をするべきなのに、別の話題で誤魔化してしまった。

 きっと、彼女の弱さを見たくなかったんだ。理想と憧れを担う彼女は、僕に助けなんか求めない。あくまで僕のお節介があるだけで、向こうからの干渉は無いものなのだ。散々口では僕を頼れと言っているくせに、いざそうなると拒否してしまうのだから、一番の卑怯者は僕なのかもしれない。


「あはは、それもいいかもね。君と高校生活を最初からちゃんと送るのは、楽しそうだ」


 右の頬を掻きながら、彼女は照れくさそうにそう言った。それを見て、なんだか告白をしているみたいだなと気が付き、僕も少し恥ずかしくなった。


「うん、ありがとう鞍嶋君。元気でたよ」


 やはり、少なからずとも心に傷を負っていた事が分かるその言葉。本当に彼女が求めたものをあげる事は出来なかったかもしれないが、笑う彼女を見る事ができて安心した。

 その後、安物の外靴を買ってきた店長がこちらに合流し、彼女の大事を取って帰宅する事になった。

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