第11話 痛み -1-

 放課後になって、岡本らから呼び出しをされている逢来を尻目に僕は学校から飛び出した。今日は水曜日で、彼女と必ず会っていた日では無い。それなのにカフェへと向かう足だけは止める事が出来なかった。

 罪悪感は未だに治まっていなかった。僕と逢来は無関係であると言える程、浅い関係ではなくなっているのが現状だ。友人であると、今ならはっきりと言える。それなのに、僕はただ見ているだけだった。朝の出来事があってからずっと目も合わさずに一日を過ごした。

 カフェに入りいつもの席で彼女を待つが、指先は冷たく、目の前は段々と歪んでいって息が上手く吸えない。

 そんな状態で待つ事一時間。

 古臭い扉の軋む音が響いた。同時に聞こえるのは彼女の声。


「お、今日もいるね。横、失礼するよ?」

「逢来さん……その……」


 彼女の顔を見ると、今朝の出来事が鮮明に蘇ってくる。それが喉の辺りにつかえて言葉が上手く出てこない。


「なに深刻そうな顔してるのさ」

「だって、君……今朝殴られて……」

「あぁ、あれは痛かったね。流石にびっくりしちゃった」


 小宮に殴られた箇所、左側頭部を擦りながらにへらと笑う彼女は、どこか儚げだ。このまま放っておいたら消えてしまいそうな、弱々しい笑顔に見える。いつだって明るく、こちらまで釣られて笑ってしまうような笑顔だけ見てきた身としては、その差は歴然だった。


「ごめん、僕、ただ見てる事しかできなくて」


 謝る事しかできなかった。励ましも、痛みを分け合う事も、どんな言葉も今は自分の首を絞めるような気がして口に出来なかった。

 しかし、彼女は怒るでも悲しむでもなく、いつものように呆れた顔で溜息を吐いた。


「鞍嶋君、私前に言わなかったかな? 別に学校で話しかけてこなくても良いよって。面倒事に巻き込まれるのは誰だって嫌でしょう?」

「それは、まだ僕達の関係が浅かった頃の話だ。今は、違うじゃないか……」


 何故か僕の方が気に病んでいるみたいに、項垂れていく僕とそれを嗜める彼女の姿。

 逆だろう、僕はこんな話をしたくてここに来た訳じゃないのに。


「大丈夫、鞍嶋君は今、やっと人生のスタートラインに立った所なんだ。せっかくの頑張りを、私が足枷になって邪魔するなんて絶対に嫌なの」

「でも、君を蔑ろにしていい理由にはならないだろう」

「これ位大した事ないって、私こう見えても頑丈なんだよ?」


 ぐっ、と腕に力拳を作る真似をする。女の子らしい柔な腕を見て、少し可笑しくなった。


「……逢来さんには、いつも励まされてばかりだね」

「そんな事無いよ、鞍嶋君が元々強いだけ」


 静かに二人で笑って、空気が柔らでいく。

 以前の僕がこの光景を見たら驚くだろう。自分から他人に関わろうとはせず、必要以上に友人を作らなかったのが、今では自発的に人と関わりその心配までしている。僕の居場所は家にも学校にもどこにも無いと思っていたが、このカフェで彼女と言葉を交わしている時だけは自分らしくあれた。

 話を変え、いつもしている音楽の話題になった。こういう時すぐ話に挙がるのはやはり『LunaLess』である。暗い気持ちを昂ぶらせ、何度聴いても飽きが来ない。次の新曲はいつになるだろうとか、次のライブはどこでやるんだろうとか、ファン同士だからこそ出来る会話で盛り上がる。


 日が沈むまで夢中になって話し込み、この瞬間がずっと続けばどれだけ幸せなんだろうと思う。

 解散する頃には、今日の出来事も割り切る事が出来ていて、明日からも前向きに捉えられる位にはなっていた。最近、帰って行く彼女の後姿を見るのを寂しいと思うようになっていた。

 家に着き、リビングへと顔を出す。


「おかえり和久。今日は俺の方が早かったな」

「ただいま、もうすっかり落ち着いたんだね」


 生徒会からも部活動からも綺麗さっぱり引退した壱哉は、受験を間近に控えていた。


「ほら、晩御飯よ」


 台所から母の声が聞こえる。それには壱哉が答え、僕らは二人並んで食卓へ腰を下ろした。今日は父の姿はなく、三人だけの夕食となった。

 壱哉と母の会話を尻目に食事を終えて、風呂を済ませる。自室に戻って音楽を聴こうとしたが、そんな気分にもなれずにベッドへ寝転んだ。

 明日からどうなるんだろう。

 虐めの内容は、一段と過激さを増していた。一度外れてしまった箍は、そう簡単に戻ってはくれない。

 僕に逢来を救えるだけの力は無い。出来る事と言ったら、彼女の無事を祈るだけである。らしくないなと思いながらも、そう願いながら眠りへ付いた。




 しかし、そんな願いを神様とやらは聞き届けてはくれなかったみたいだ。

 翌朝になっても事態は沈静しておらず、むしろ悪化の道を辿っていた。

 はっきりしない態度の小宮が一因となっているのかもしれないが、一晩経って岡本の怒りは更に膨れ上がっていた。深くは尋ねなかったが、逢来には先日「放課後何かあったか」と尋ねると「話をしただけだよ」と教えてくれた。

 やはり、そんなもので許すほど懐の大きい女ではなかったみたいだ。

 怒鳴りはしないものの、岡本はギロリと親の敵を睨むような目でこちらを見る。今日も虐めはあるんだろうなと思いながら、一日が始まっていった。

 予想通りに行われた虐めは、教科書を捨てたりノートを破いたりと、まだ可愛げのあるものだった。が、それは初めの内だけだった。次第に逢来本人へと向けられていく攻撃は、黒板消しを投げつけたり髪を掴んだりと、暴力性を高めていった。


「明日もちゃんと学校に来いよ。私が許すまで逃げさせないんだから」


 放課後になって、吐き捨てるようにそう言い残した岡本は教室を後にした。一体何を持て許す事になるのだろう。自分の気が晴れるまで? 彼氏である小宮との喧嘩が収まるまで? なんにせよ、八つ当たりである事には変わらないと思う。

 見ている者の心を病んでいくような虐めの光景は、それからきっちり毎日行われる事になった。

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