西へ

【海浜幕張駅 13:11】


 ここでの受け渡しだとばかり思っていたのに……。

 何か想定外のことが起きたのか、それとも予定通りのことなのか。

 あの男は犯人グループの一人だった?

 もしそうだとしたら、あまりにもお粗末な行動だ。


 色々な考えがよぎる中、ふいにガラケーが振動した。


(えっ!?)


 そこには新たな指示が示されていた。


『新宿 十四時ちょうど発のスーパーあずさ十九号へ乗れ』


 今度は西へ!?

 なぜ、そんなことをするのだろう。

 わざわざ時間をかけて尾行をふるいに掛け、自分たちの安全を確かめたはずなのに。また雑踏の中へ俺を戻すなんて、犯人たちにとってリスクが高すぎる。


(いったい何がしたいんだ)


 電車は潮見駅を通過し、地下へと進んでいく。

 真っ暗になった車窓に映る自分の顔を、それとはなしに眺めていた。




【東京駅 13:35】


 特急わかしおは東京駅の最深部、地下五階のホームに停まった。

 新宿へ行く中央線快速は地上三階の高さに位置している。

 こりゃ、きついぞ。


 もう、プレゼン会場への集合時間を過ぎている。

 地下四階から地下一階へと続く長いエスカレーターに乗りながら、バッグの中でLINEを立ち上げると、坂崎さんからのメッセージが何件か入っていた。

 既読スルーにしておくから、何かあったと早く気づいて欲しい。


 エスカレーターを降りたところは地下中央口になっている。

 改札前の表示を見ると、十三時四十分発の中央線快速・高尾行きがあった。


(マジか!)


 発車まで残り三分を切っている。

 すぐに中央通路の階段へ向かって駆け出した。


(なんで俺がエキナカを走らなきゃならないんだ!? まったく……)




【東京駅 13:40】


 肩で息をしながら階段を登りきると同時に、発車を知らせる電子音がホームに鳴り響いた。


(ふぅ……間に合った)


 閉まったばかりの扉によりかかり大きく深呼吸を一つ、それでも心臓の鼓動は早いまま。膝はガクガクしている。

 さっきまでバッグの中で何度か震えていたスマホが静かになった。


(すいません、坂崎さん。あとはよろしくお願いします)


 プレゼンのことは忘れよう。

 肩に掛けたトートバッグの持ち手を、しっかりと握りしめた。




【御茶ノ水~四谷間 13:46】


 外堀を右手に見ながら電車は飯田橋、そして市谷を通過していく。

 新宿に着くまで、あと七、八分だろうか。 

 十四時発ということは、また向こうでも走らなくてはいけないかもしれない。




【新宿駅 13:54】


 平日の昼時でも、この駅の構内は多くの人でごった返している。

 ホームからコンコースへ降りるのも容易ではない。


 中央線快速の中では、犯人からのショートメールは届かなかった。

 警察との接触がないと確信しているのだろうか。

 あの父親が把握しているのも、上総一ノ宮から特急わかしおに乗る所まで。その後、俺がどこへ向かっているのかは彼にも分からない。


 人の波を避けながら、小走りに十番線へと向かった。




【新宿駅 14:00】


 四号車の自由席へ乗り込む。

 八割程度は席が埋まっていた。ほとんどがサラリーマンといった感じだ。日帰り出張だろうか。


 終点の松本着が十六時二十六分との車内放送があった。

 金の受け渡し方法としては、俺の推理したあのやり方が最善だと思うのだけれど。

 実行するなら、八王子か甲府。

 いずれも次の駅まで四、五十分の間隔がある。


(でも……)


 釈然としない思いを抱えながら、シートに身をうずめた。




【八王子駅 14:30】


 やはり、というか、ここでも犯人からの連絡はなかった。


(……おかしい)


 最後のショートメールから、既に一時間以上が経っている。

 上総一ノ宮までは、乗換の指示も含めて監視されているかのようだったが、東京について以降は犯人たちの気配が感じられない。

 甲府へ着くまでに接触があるのだろうか。




【八王子~甲府間 15:10】


 甲府までは十分余りとなった。

 最後にメールを受けたのが海浜幕張駅を出た十三時十分過ぎのこと。それ以降、一切の連絡がないということは――金が目的ではないのでは?


 だとすれば怨恨、か。


 あの時の父親の憔悴しきった、それでもなお鬼気迫る表情は目に焼き付いている。

 彼の真摯な思いが伝わったからこそ、俺はここまでやって来たんだ。

 彼への強い恨みから起きたことならば、端から金を受け取る気なんてなかったのかもしれない。

 しかし、その場合は人質となっている息子さんが無事には……。


 とにかく、犯人へ連絡を取ってみよう。

 あのメールへ、この後どうすればいいのかを尋ねて送信した。

 甲府駅までに返信がなかったら、父親の元へ連絡する。

 そう心に決めた。




【甲府駅 15:23】


 とうとう犯人からの連絡はなかった。


 ホームにある待合室へ向かう足取りも、自然と重くなる。

 ベンチに腰掛け、西船橋で彼からもらったメモを取り出した。


 しばらく躊躇していたが、覚悟を決めてスマホを持ち十一桁の数字を押す。

 呼び出しのメロディが流れた。


『はい、木内です』


 落ち着いた男性の声。彼なのだろうか。


「もしもし、津島と申します。あの……今日、西船橋で――」


『あぁーっ! よかった! こちらから連絡が取れないので、お待ちしていました。本当にありがとうございました。無理勝手なお願いをしてしまって。おかげさまで、無事に和樹が帰って来ました。本当に何とお礼を言っていいやら……ありがとうございました」


 俺の話を聞き終えるのを待たずに、一段声も高く、興奮した調子で話し出した。そのうちに感極まったのか、途中から涙声になっている。

 それにしても、予想もしなかった返答にこちらも言葉がない。

 でも、よかった。

 本当によかった。


「あの、私からもお話しなくてはいけないことがありまして……」


 いま甲府にいること、お金は犯人に渡していないことを告げると、今度は彼――木内さんの方が戸惑っていた。

 俺が金を渡したから、息子が無事に帰ってきたと信じていたらしい。


(まぁ当然だよな、そう思うのも)


 このあと新宿へ戻って木内さんと落ち合うことにした。


 しかし……いったい何だったんだ、この誘拐話は。

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