第5話 欠けた櫛(くし) ②

 清流は彼女の手が届くように一層格子に近付いた。

 紅蓮の指先が彼の前髪を撫でる。続いて側面の髪に触れる。

 その間、清流の顔はどんどん熱を帯びていった。何故、火照ほてっているのか自分でも分からない。

 しばらくは黙って紅蓮の好きなようにさせていたが、とうとう我慢出来なくなって、

 「ぐ、紅蓮……」

 顔を真っ赤にした清流が彼女の名を呼ぶ。

 すると、彼女は慌てて彼の髪から自分の指先を離した。

 「ごめんなさい! とても気持ちよかったから、つい……」

 紅蓮の顔もまた赤く染まる。お互い顔を伏せて、黙り込んでしまった。

 顔を上げようにも何か話そうにも、恥ずかしさからそれが出来ない。

 何を話せばいいのかすら二人とも分からなくて、時間だけがただ過ぎる。

 しばらくそんな風だったが、先に清流が口を開いた。

 「まだ夜明け前だが、今日はもう帰る」

 自分の手で触れる頬はまだ熱い。顔を伏せたまま、紅蓮に背を向ける。

 「せ、清流! 本当にごめんなさい」

 「今度」

 清流の声に伸ばしかけた紅蓮の手が止まる。 

 「今度は桃の花を持って来る。さっき見た時、だいぶ蕾が膨らんでいたんだ。明日か、明後日には咲くと思う。それじゃあ、おやすみ。ゆっくり休んでくれ」

 早口でそう言うと、すたすたと元の道を戻って行ってしまった。

 その言葉を聞いて、紅蓮は顔をほころばせる。

 遠のいてゆく彼の後ろ姿に向かってこっそりと呟いた。

 「おやすみなさい、清流。いつも来てくれてありがとう」


 ※※※


 昨日と同じように黙々と山を登っていく。昨日、自分の後ろを付いて来たあの白い妖狐の姿はない。

 まだ薄ら寒さを感じる刻限なのに、顔は熱いままだ。顔だけじゃない。さっきと比べても今の方が全身まで熱を帯びたように熱い。

 溜息を吐いた後、さきほど紅蓮が触れた所に自分も触れてみる。

 自分の髪のことなど考えたこともない。綺麗とも触り心地がいいとも、言われたのは今日が初めてだった。

 しばらく自分の髪に触れていると、東側の空が白みはじめた。

 髪から指先を離して、そちらに顔を向ける。

 昇り始めた朝日に目を細めながら、彼女のことを考えた。

 紅蓮はちゃんと眠っているだろうか。着物は厚手の物を着ていたように見えたが、それでもまだ冷える。風邪をひかなければいいが。

 清流はそんなことを考えながら、再び山を登った。

 朝日の眩しさに一瞬目がくらんだ。

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