第56話 激昂 ①

 夜が更けても人里はまだまだ賑やかだ。とりわけ、繁華街と呼ばれる一帯は昼間と変わらず人々の声で溢れている。

 近重このえが飲み仲間の男たちと一緒に来ていた料理茶屋(料亭)なんかもその一帯の中にある。

 「おちかちゃん、今日も綺麗だねぇ」

 「まあ、鶴吉つるきちの兄さんったら。口が上手いんだからぁ」

 完全に酔っぱらった鶴吉が近重に満面の笑顔を向けている。

 近重はそんな彼の肩を軽くはたいてから、口元を袖で隠して恥ずかしがる素振りを見せた。

 すると、一緒に飲んでいた他の飲み仲間の男たちも二人の会話に入ってきて、

 「何言ってんの。こんなべっぴんと飲む酒はまた格別で」

 「そうそう! それにお近ちゃん、聞き上手で話上手だしねぇ」

 「それにしても、よく酔わないねえ。こいつなんて、一升瓶飲んだらその場で寝ちまうんだよ。いくら揺すっても起きやしねえ」

 「おい。それ、お近ちゃんの前で言うかぁ?」

 男たちは口々にそう言って酒を煽っていく。

 「もう、兄さん方ったら! そんなに褒められたら恥ずかしいじゃないの」

 男衆の賑やかさに近重も酔いが回ると同時に気持ちもより一層高揚してくる。

 彼等かれらと同じく彼女の顔も紅く染まっていた。

 「さあ、兄さん方どんどん飲んで下さいな!」

 「近重っ!」

 傍にいた仲居から半ば強引に酒瓶を奪った近重が男たちに酒を注ごうとした時、勢いよく障子が開いた。目の前に現れたのは清流だ。

 酒に酔って顔を赤らめた数人の男たちと酒瓶を持ったままの近重はその場で固まる。みな、驚いて目の前にいる清流を凝視する。

 料理を取り分けたり三味線を演奏していた女たちも動きを止めて、目を丸くしている。

 清流はそんな皆の視線をよそに、眉間にシワを寄せて鬼の形相で近重に近付いて行く。

 「あらぁ、清流さま。そんなに怖いお顔をされてどうしたのですかぁ?」

 目線もろくに合わせず、むりやり笑顔を作って近重が尋ねる。完全に酔いが醒めたようだ。さきほどまで赤く染まっていた顔は青白い色に変わり、冷や汗が浮かんでいる。

 「どうしたのかじゃないだろう!」

 清流は近重の腕を掴むと更に食ってかかった。

 「自分のしたことが分かっているのか? どこであんなものを手に入れた?」

 (まずいっ!)

 近重は突然狐の姿に戻ると、一目散に駆け出した。

 当然辺りに悲鳴が響き渡る。皆、血相を変え我先に廊下に出ようと必死だ。

 「待て、逃げるつもりか!」

 清流はそんな人間たちには目もくれず、急いで彼女の後を追いかけた。

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