第61話 寿の決意
翌朝、
見慣れた乳白色の蔵が見えた時、寿は思わず悲鳴を上げた。そのせいで、危うく朝餉を落としそうになった。
落とさなくて良かったと、安堵してから顔を上げれば、格子は真ん中の場所を中心に切り離されて、その辺りに散らばっている。
蔵の中に紅蓮の姿はない。
「一体、どういうこと……?」
少しの間、その場に立ち尽くしていたけれど、恐る恐る蔵に近付いて行く。
左右にある端の格子を残して、ぽっかりと空いた真ん中の部分から顔を突き出して蔵の中をゆっくり見回してみる。
けれど、どんなに注意深く見てもそこに自分の主の姿はない。真ん中に一組布団が敷いてあるだけ。
隅には小さな
寿はますます困惑した。
特別出入り出来る扉や戸はこの蔵には設けられていない。外に出るには最初に彼女が目にしたように、邪魔な格子を取り払う以外方法はない。
紅蓮が自らここから出たのだろうか?
寿は蔵の中に入ると、傍に朝餉が乗った盆を置いて箪笥のある方に近付いて行った。箪笥の引き出しを全て開けてみても、中には刃物らしき物はない。
じゃあ、誰かに連れ去られたのか?
「紅蓮さまがいないことをお峰さん(先輩の女中)に伝えなきゃ……」
我に返った寿は急いでさきほど置いた盆を手にして、蔵を出た。
屋敷に戻る際に、もう一度蔵を振り返る。
けれど、やっぱりそこに紅蓮の姿はなかった。
※※※
屋敷に戻った寿は、急いで紅蓮が蔵にいないことをお峰に伝えた。他の女中や男の奉公人たちも含め、皆驚いた表情で彼女を見る。
その後、再度お峰と一緒に蔵へ向かったのだが、状況はさきほど寿が見た時と何も変わっていなかった。
結局、お峰が当主を含めた屋敷の上の者に報告し、詳しい説明を求められた際にはその場に寿も呼ばれた。
寿は緊張しながらも自分が蔵に向かった時のことや蔵の中の様子について
詳しく説明した。
説明を終えた後は通常の業務に戻り、また忙しなくお勤めに励んだ。
それから昼が過ぎ、あっという間に夕刻。すっかり空は橙色に染まり始めている。
今のところ、寿に何の報告も来ていない。明日の業務(朝餉や夕餉を運ぶなど)の変更についてや、紅蓮の行方など、知りたいことは山ほどあるというのに。
気になってしょうがない気持ちを押し殺して、今日の夕餉に使う
色々と考えすぎて、その度に手が止まる。すると、お峰とは別の女中や男の奉公人から注意を受ける。今日はこれを何度も繰り返していた。
寿が上の空状態で南瓜を洗っていると、お峰に手招きをされた。
別の部屋に移動すると、お峰が小声で言った。
「蔵は取り壊す方針で話が決まったそうだよ。孫の方は放っておけってさ」
「えぇっ!? そんな、どうして……」
驚きと怒りで、持っていた手拭いに力が入る。
大きな声を出しかけた彼女の口元を慌ててお峰が塞ぐと、
「声が大きいよ、周りに聞こえるだろう? いいかい、これは大奥様からの命令だよ」
「でも、そんな!」
大奥様の元に行って来ます、と背を向けようとした寿を、お峰がすかさず止める。彼女の両肩に手を置いた後、
「寿。大奥様に意見したらどうなるかぐらい、十分分かってるだろう? 何のために奉公に来たのか、しっかり考えな。分かったね?」
それでも寿は首を縦に振らない。そのまま口をつぐんでいると、肩を叩かれた。
「寿、分かったなら返事しな」
今度はさきほどよりも強い口調で言われ、しぶしぶ返事をする。
「じゃあ、仕事に戻って。今日の業務が終われば、明日は休みだよ」
そう言い残すと、お峰は自分の持ち場に戻って行った。
一人残された寿は深い溜息を吐く。それからすぐに、お峰が言った言葉を思い出す。
(……お休み?)
顔を上げると、壁に掛けられた七曜表(カレンダー)が目に入った。
そこで、寿はふと気付く。
今日は七月十五日。翌日の十六日は奉公人の休日と定められているのだ。
(あっ、そうだ。明日は十六日じゃない!)
そうと分かれば、寿は俄然やる気になった。口角を上げると、彼女もまた自分の持ち場に戻って行った。
※※※
一日のお勤めを終えた寿は布団の中にいた。
女中たちが皆眠る中、しっかりと目を開けて一人天井を見上げる。
明日は皆が待ちに待った休日。でも、寿にとってはそんなことどうでもいい。
一日お勤めがないのなら、外出だって自由に出来る。どこに行ったって文句は言われない。
ならば。
(明日はいつもよりも早く起きて、紅蓮さまを探しに行こう)
寿はそう決心すると、ぎゅっと両手で布団を掴んだ。
(紅蓮さまはどこにいるんだろう? どうやって、あの蔵から出たのかしら?)
ゴロゴロと寝返りを打っていると、背後から何やら気配が。
寿は再び寝返りを打って、寝室と庭園を隔てている引き戸を見つめた。
(この気配は……)
この屋敷に来た日から何度も感じている。人間とも動物とも違う気配。
寿はがばりと、起き上がった。
(まさか、ミズハさま?)
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