第60話 毒丸と紅蓮 ②
最後に屋敷自分の家を見たのは十二歳の時だ。蔵に幽閉されて以来、入ることはもちろん、この目で見ることもなかった。
子どもだった頃に比べて、すっかり老朽化が進んでいるのではと思っていたが、あの頃とあまり変わっていなくて驚いた。
紅蓮は気を取り直して、屋敷へ近付いて行く。
物音を立てないように、慎重に引き戸を開けた。皆、とうに寝静まっているため、辺りはしん、と静まり返っている。
そのまま屋敷内に入り、足音一つにも気を配りつつ廊下を進んで行く。向かうのは着物が仕舞われている衣裳部屋。
衣裳部屋は、真っすぐに廊下を進んだ突き当りの部屋だ。その部屋を左側に進めば、祖母の寝室に辿り着く。
衣裳部屋の襖を前にして、思わず顔を左に向けた。
今は夜更けに差し掛かっている刻限なので、祖母も就寝していることだろう。
紅蓮はすぐに顔を前に戻して、襖を静かに開けて中に入った。
屋敷の者たちに見つかる前にここを出なければ。だが、それ以上に祖母に見つかることだけは何としても避けたい。
この部屋にはいくつも大きな箪笥が並んでいる。普段着るような着物が仕舞われているのは、一番右側の箪笥だったはず。
紅蓮は周りを警戒しながら、引き手に手を掛けた。
中には何枚もの着物が綺麗に折りたたまれて収納されていた。
全て亡き母の着物だ。自分が着ていた着物がまだ残っているのかは分からない。もしかしたら、もう既に処分されてしまったかもしれない。
自分が子どもの頃に来ていた着物を探している時間はないので、母がよく着ていた着物を二枚選んで手に取ると、ゆっくりと引き戸を閉めた。
衣裳部屋を出る際も左右を確認し、誰もいないことを確認してから廊下に出た。
屋敷を出る際、ふと寿のことが気になり、女中たちが寝ている寝室がある方に顔を向ける。
最後に寿の顔を見たいと思ったが、首を横に振って再び歩みを進めた。
外では清流の知り合いと名乗った男性が、今か今かと自分が戻って来るのを待っていることだろう。
※※※
足音が聞こえてきたので、そちらに目をやるとようやく紅蓮が戻って来た。
「やっと来たな」
「待たせてしまって、ごめんなさい」
「いいや。それよりも誰にも見つかってないよな?」
「ええ。大丈夫よ」
疲れてはいるようだが、笑みを浮かべてそう答える紅蓮に毒丸は頷いた。視線を下に向けると、彼女の手には上質そうな色違いの着物が二枚。
(やっぱり、豪商なだけあって高そうな
毒丸は顔を上げると、
「そろそろ出るぞ。分かっているとは思うが、ここにはもう戻って来れない。
何か持って行きたい物はあるか?」
「いいえ、ないわ」
強い口調で答える彼女に毒丸は頷くと、二人で裏口を通って屋敷を出た。
その後は、人通りの少ない道を歩いた。
その時、初めて彼の名前が毒丸という名であることを知った。他にも、早くに両親を亡くし、年の離れた二人の姉に育てられたこと。自分を育ててくれた姉が二人とも死んだ後は、ずっと一人で生きてきたことも。
それに加えて、人里で迷っていた清流に声を掛けて、知り合いになったことも語って聞かせてくれた。
そんな彼に紅蓮は何度も、「何故だろう?」と思うことがあった。
気さくに見えるのに、彼に対しての違和感が消えない。
ボロボロの着物に、伸ばしっぱなしになった髪。生活に困窮しているのは間違いなさそうだが、それ以外にも。
何か別の理由があるような気がするのは、何故だろう?
「着いたぜ」
毒丸の声で我に返った。紅蓮が顔を向けた先にあったのは、草ぶきの小屋。
「ここは?」
「
そう言うと、引き戸をガラリと開けた。
毒丸が先に中に入ると、紅蓮にも入るように促した。
「着物が汚れちゃまずいから、この中にでも入れてくれ」
そう言うと、差し出されたのは洗濯の時に使う大きめの
彼女は言われた通り、その中へ二枚の着物を入れた。
それから、毒丸は再び引き戸に向かうとカギを掛ける。
「何故、カギを?」
「こうでもしねえと、野盗が入って来るんだ。今日は疲れただろう? ゆっくり休みな」
紅蓮は「ええ」と答えた後、毒丸から視線を外した。
何かがおかしい気がするのに、何がおかしいのか分からない。もどかしい気持ちを抱えたまま、紅蓮は背中を壁板に預けた。
毒丸は、寝息を立て始めた紅蓮に近付いて彼女が本当に寝ていることを確認すると、桶の中に入っている二枚の着物を手に取った。
手触りも違えば、生地も丈夫で作りもしっかりとしている。自分が身に着けているボロのものとは大違い。
寝ている紅蓮を残して庵を出た毒丸は引き戸を閉めた後、再びカギを掛けた。
庵から少し離れた場所には、墓石のような形をした長方形の石が
彼は迷わずそちらに歩いて行くと、目を細めてその石を見下ろしたまま、
「姉貴たち、良い
しかし、彼に対する返事が返って来ることはなかった。
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