EX:立って生きろ

 春日武藤の前にいるのは一人の少年であった。加賀美からの情報では老人ではないかと聞かされていたが、目の前にいるのは邪気の無い少年。

「貴公が春日武藤であるか?」

「……ああ」

「よく来てくれた。膝を折り、ゆるりとくつろいでくれ」

 東方を二分する賢人の一角、この国が前に進まぬ諸悪の根源、などと言う情報から凄まじい怪物を想像していたのだが、

「新たな護衛が来ると聞かされていたが、随分大きな男だな」

「不服か?」

「いや、純粋に驚いておる。私は爺やたちのような、その、お年寄りしか知らぬのだ。気を害したのなら許してほしい」

 これではただの小動物でしかない。着ている者は高そうではあるし、この屋敷自体も立派な造りでとても地下施設には見えず、立ち居振る舞いからも育ちの良さはにじみ出ている。裕福な子ではあるのだろう。

 だが、これが諸悪の根源と言われると――

「両親には?」

「……会ったことはない。私は先代の祖父が亡くなってすぐ、賢人として引き取られたらしいのだ。残念ながら、物心つく前のことであるが」

「……外には?」

「出たことはない。だが、ここは凄いのだぞ。今日は晴天であるが、雨が降る時もある。雪だって降るのだ。四季折々の花も咲く。不便はない」

 笑顔の少年を見て、武藤はここが檻のように見えた。快適ではある。衣食住に不足はないだろう。だけど、ここに自由はない。

 今、ここにいるだけで息が詰まりそうになる。

「気に入らぬか?」

「別に、仕事場はどうでもいい。俺はお前の護衛をするために来た」

「そうか。うむ、であれば助かる。茶ぐらい出してやりたいのだが、その、今は生憎手伝いの者が出払ってしまってな」

「誰もいないのか?」

「うむ。ここ数日は、そうであるな」

 何とも見事なまでの損切。賢人の取り巻きも巨大な悪と言う話はそれなりに信じてもいいのかもしれない。利用価値がなくなれば、神輿は不要と言うわけだ。

「食い物は?」

「保存食がある。最近のは侮れぬぞ。レンジ一つで事足りるのだ」

「ふっ、賢人がレンジを使うのか」

「む、レンジを馬鹿にするのは許さぬぞ。あれは人類の英知の結晶だ」

「く、くく、すまんな。少し席を外すぞ」

「……帰るのか?」

 武藤が立ち上がった瞬間、見る見ると顔色を変じる少年を見て、構えていたのが馬鹿らしくなってしまう。

「茶を探す。飲みたい気分になった」

「そうか、気が利かぬようで済まなかったな。私も探そう。地の利はあるのだ。なに、礼は要らぬぞ。賢人とは人々に尽くすための機構であるからな」

「……頼りにしてるぞ、ガキ」

「が、ガキとはなんだ! 私にはな――」

 二人は立ち上がり、屋敷の中を散策する。茶や食料品などすぐに見つかった。少年は日に近づくことも許されなかったそうで、茶の沸かし方も知らないと言っていた。当然料理もしたことはない。

「あ、危ないぞ、貴公」

「黙っていろ」

「む、無礼な。私を誰だと思っている⁉」

「賢人だろ。俺は、そいつが何をしているのか知らんし、興味もないがな」

 適当な分量で茶を淹れて、適当な作り方で焼き飯を作る武藤。昔からこんなものばかり作っていた。別に上手い下手など気にしたこともないが――

「んー! 美味いぞ、武藤!」

「そうか」

「貴公は料理の天才だな。こんなに刺激的な味は初めてだ」

「……そうか」

 健康に気を使った精進料理のようなものばかり食べさせられていたのだろう。逆に適当仕上げの焼き飯がお気に召したようである。まあ、脂は旨い。

 脂塗れの焼き飯はもっと旨い。

「まあ、腹の足しにはなったな」

「満足だ。感謝するぞ、武藤」

「大したことじゃない。食材はそっち持ちだ」

 誰もいない広い屋敷にふたりぼっち。焼き飯を喰らい、縁側に腰掛けることなど道中想像もしていなかった。そもそもこの少年自体が武藤にとってはイレギュラー。

「なあ、武藤よ。外の世界とはどんなところなのだ?」

「どんなところ、気にしたこともないな」

「ここよりも広いのだろう?」

「まあ、そうなるな」

「空はどうだ? ここと外は、やはり違うのか?」

「似たようなものだと思うがな。気にしたことはない」

「そうか、似ているのか。あ、動物園には行ったことがあるか?」

「ない」

「……そうか」

 しゅんとする少年を見て、武藤は顔をしかめる。

「動物園には行ったことはないが、動物と戦ったことはある」

「なんと!」

 途端に顔を輝かせる少年。

「何と戦ったのだ?」

「最初は犬。次はデカいサル。トラ、ゴリラ、ライオン」

「ライオンにも勝ったのか⁉」

「そうだな。勝ったから俺はここにいる。負けたら死んでいた」

「武藤は凄いなぁ。私など、動物に会ったことすらないのだ」

「……別に四つ足の生き物に毛が生えているだけだ。殴ったら死ぬ」

 あまり良い記憶ではない。裏の見世物、人間相手には勝ち過ぎて面白半分で動物と戦わされていた。要するに、それぐらいしなければ金にならなかっただけ。

 春日武藤と言う人間は、使い道のないオーバースペックであった。

「では、遊園地には行ったことがあるか?」

「ない、いや、一度だけ、あるな」

「どうだった⁉」

「……並ばされて、待つのが怠かった」

「……あまり面白くないのか?」

 面白かったかどうか。武藤はふと振り返る。あれはそう、武鬼組の皆で行ったのだ。赤坂辺りがチケットを当てたから皆で行こう、と。その結果、とんでもなく待たされて皆がそわそわしていたのを覚えている。

『テメエ、赤坂ァ! なんでファストパス買ってねえんだゴラァ!』

『当たったのが普通のチケットだったんだよ畜生!』

 何度か待って、待つのが苦手な連中ばかりだったから散々騒いで、しまいには追い出されてしまった。乗り物のことはあまり覚えていない。バイクに乗って下りを攻めた方がスリルはあった気もする。

 だが、そんな記憶が面白かったかと問われると――

「……いや、そこそこ面白かった」

「そうか! それはよかったな!」

「ああ、そうだな」

 嬉々として外の様子を聞いてくる少年。その顔には憧憬がありありと浮かんでいた。ずっと、妄想していたのだろう。さっき、図書室があると言っていた。そこから情報だけは仕入れて、自分の中で描いていたのだ。

 外には何があるのか、を。

「私は何も知らぬのだな。これで賢人なのだと皆は言う。だがな、私は賢人が何をしているのかも、よく知らない。理念は知っているぞ、成り立ちも、偉大なる先人の犠牲によって築かれた統治機構なのだとも、知っておる。だが、知らぬのだ」

「……そうか」

「私は賢人失格だな。ゆえに、見捨てられたのだろう」

 見捨てた者が悪いのではなく、自分が足りぬと考える。そう育てられたのか、根が善人なのか、どうして彼がこうなってしまったのかは知らない。

「なあ、武藤、私を、守っては――」

「自分の身は自分で守れ」

「ッ⁉ そう、だな、その、通りだ」

「外の世界では、誰も守ってはくれない。何もせずに流されるだけでは落ちていくだけだ。這い上がりたいなら、自分の足で立て。大人も子供も関係ない。知恵のあるなしも関係ない。世界は個々人の違いなど、気にかけてもくれん」

「……怖いのだな、外は」

「ああ。怖いし面倒くさい。とかく、はみ出し者には生き辛い世界だ。お前も俺も、ある意味で生まれた瞬間からはみ出し者なのだろう。不自由極まりない。相手は全力、俺は加減してなお、俺が悪い。違うと言うのは、怖いな」

 春日武藤は立ち上がる。少年はかすかに手を伸ばすが、結局引っ込めてしまった。彼もまた自分から離れていくのだろう。そう思ったから。

 それが当然のことだと、思っていたから。

「ここを息苦しいと感じるなら、外の世界を知りたいなら、自分の足で出ろ。俺は手など貸さん。誰かに依存するな。今自分に力がないと思うなら、誰かを利用してでも力を付けろ。お前はまだ、それが許されるカードを持っている」

「……私には、何もない。私には、何も――」

「賢人のくせにこんなことも知らんのか。この国ではな、子供は大人を利用しても許されるのだ。上手く使え、そのカードはな」

 そう言って武藤は少年に背中を向けた。

「上手く使わんと、俺たちみたいにろくな大人にはならんぞ」

「たけ、ふじ」

 そして、歩き始める。別に、何か使命感に目覚めたわけではない。春日武藤はそんなに殊勝な人間ではないと自負しているし、そもそも子供など嫌いである。弱く、脆く、小突いただけで死ぬくせに、法の下では自分よりも遥か強者なのだ。

 本当に腹が立つ。

(そう言えばあのガキ、何て名前だったか)

 まあ、どうでもいいか、と男は嗤った。


     ○


 雷神は髪を逆立て、十二の角は王冠を象る。筋骨隆々の身体はあらゆるものを圧し潰し、圧倒してきた。魔族になる前も、魔族になった後も。

(いや、そうでもないな)

 魔族になる前、眼前の男に敗れた。その男が浮かべる悲哀を持て、絶望したことを今もありありと覚えている。自分の先に、頂点に、光は無いのだと知ったから。

 魔族になった後、あの男に敗れた。負ける気など一切なかった。スペックの差は明白で、負ける理由を探す方が難しかったと思う。だが、自分は敗れた。奥の手があったから、ではない。あの眼に射貫かれて、負けた。

 二度目の敗戦で、飲み込むことが出来た。

 負けられない理由が、何かを背負う者の強さが、強いだけの男を粉砕した。

 だからと言って自分が変わったとは思わない。もう、それなりの歳である。今更生き方など変えられない。変える気もない。

 この生き方と心中する。相手が『最強』であるなら、悔いはない。

 口では三度目を望んでいたが、彼に対しての敗北は飲み込んだ。これ以上は蛇足であっただろう。だが、目の前の『最強』相手は別、

『迅雷十連!』

 負ける気など、無い。

 十筋の雷が『最強』を、ニケを切り裂く。

「随分と強くなったな、タケフジィ!」

 ニケは驚いていた。魔族がどうこうではない。あの頃の春日武藤よりも明らかに強さが増しているのだ。孤高であった時、世界に絶望しつつも群れを守ろうとしていた時、さしてこの男を知るわけではないが、間違いなく今が最盛期。

 自分を超えようという野心ではない。そもそも、おそらくこの男にそんなものは端からなかった。強き者を演じるのが役割と知って、そうしていただけ。

『貴様は弱くなったな!』

「言ってくれるぜ!」

 だが、眼前の男は必死であった。

『ウォラ!』

「がっ」

 拳を打ちつけた瞬間、紫電がニケの身体を貫く。そしてすぐさま、武藤は後退して距離を取る。今までの彼ならその場で打ち合いを所望してきただろう。しかし、先ほどから武藤は雷の機動力を生かし、ヒットアンドアウェイの戦法を徹底していた。ニケにとっては歯がゆい展開だが、自然と不快感は出てこない。

『制限時間があるのだろう? 戦い方がかつてとは違う。温存せねばならぬ理由があると見た。ならば、負ける道理はないな』

「……必死だな、タケフジ」

『俺の仇敵を倒したと聞いた。ならば、この機は逃さん。俺が最強に躍り出る、またとない絶好機だ! ふっはっはっはっは!』

 分かりやすい嘘。ニケは嗤う。

「ご明察だ、タケフジ。俺には時間がない。人造魔族は寿命が延びないのもあるが、そもそも俺自身器が不出来でな、寿命が短く出来ている」

『蘇る方法があるなら、何度でもそうすればいいだけだろう』

「そう単純な話でもねえのさ。俺がここにいるのが奇跡って話で、次があるとは限らない。と言うか、俺は蘇るって行為自体が嫌いだ。こんな器でもな、生成した段階で器の中にはかすかな意思がある。それを上から塗り潰して、俺様のもの、随分な話じゃねえか。人殺しと同じだよ、こんなもん」

『貴様にまともな倫理観があるとは驚きだ』

「くく、失礼な野郎だ。まあ、今回は塗り潰しちまった以上、俺が使う。俺は俺がやりてえことを、やりてえようにやるだけだ」

『やりたいこととは、なんだ?』

 ニケは不敵に笑う。

「大暴れ」

 一気に、ここからが本気とばかりに魔力の桁が跳ね上がる。どうやら、見極める時間は終わったのだろう。桁外れの力が辺り一面を圧倒する。

 それと同時に、髪の毛もまた白みを、増す。

「テメエに何の道理があろうと、テメエにどんな思惑があろうと、俺の前に立った以上容赦はしねえ。覚悟はあるんだろ? なら、精々足掻いて見せろ!」

『……布都御魂』

 春日武藤もまた自身最大火力を呼び落とし、手中に収める。

 そして、自らの腕を腹に差し込む。

『建御雷神(タケミカズチノカミ)』

 魔王化に加え、自身最大火力を自らの身体に収め、強化する術理。彼の強靭な肉体あればこそ、こんな無茶が適うのだ。

「それがタケフジの、いや、春日武藤の本気か」

 ニケもまた魔獣化する。

『相手にとって、不足はねえ!』

 黄金の雷神が咆哮と共に雷光と化し、攻め寄せる。

『ウォォォォォォォオオオオッ!』

 迎え撃つは『最強』の獣、漆黒の王が立ちはだかる。


     ○


 全てを終えた日本警察は後片付けに追われていた。警視総監は一連の事件をテロ行為に対する過剰な防衛であったと釈明し、退陣の意向を示した。

 後任は今回、警察内部の『指揮系統』に存在しなかった加賀美駿輔。警察組織を一新する使命をもって、職務に当たらせて頂く、と会見をしていた。

 そんな映像を見ながら――

「いやぁ、加賀美君余所行きの顔だねえ」

「からかわないでください」

「あっはっは。いやしかし、このせんべいめちゃくちゃ美味いね」

「地元の銘菓です」

「加賀美君にも地元ってあったんだね」

「どんなキャラクターですか」

「あとで鴻巣君にも分けてあげようっと」

 元警視総監と現警視総監、二人のいる部屋にはまるで容疑者のようにずらりと顔写真が並んでいた。いずれも、先のクーデターで殺害した面々である。

 彼らの情報は表沙汰にはなっていない。と言うよりも出来ないと言った方が正しい。全員、すでに表向きは現役を退いた身であるし、そこを突けば色々と大っぴらになってしまう。だから、あくまで今回の件は、道路の封鎖や空港を押さえたことなど一般市民に対して影響があった部分のみを謝罪し、それ以外は闇の中、である。

 ただし、これでこの国は賢人会議から完全に独立することになってしまった。官僚も、政治家も、頭を失ったことでバタバタしていることだろう。存分にバタつけ、給料分苦労しろ、舵取りまで含めての給料だ、とは元警視総監の弁。

「これでまあ、ある程度の病巣は取り除けたわけだけど、加賀美君はどう思う?」

「さあ、舵取りは舵取り役で立候補した先生方に任せますよ。出来ないとは言わせないし、ポチの適性はあっても船頭の適性がないなら、潔くやめてもらえばいい。どうせ老い先短い連中ばかりですし、やめたところで支障はないでしょう」

「たはは、耳が痛いねえ」

「私たちがそこまでやってしまえば、それこそ革命ですしね」

「暴力政権爆誕。それもまた一興だけど、まあ、その辺は加賀美君たちに任せるよ。僕らはまあ、まったり老後の生活を楽しませてもらうから」

「構いませんが、平均寿命ぐらいで死んでください。後ろがつかえてますので」

「今、世の老人全員を敵に回したねえ」

「人間ってのは若ければ若いほど価値が、可能性があると思ってるんで」

「まあ、正論ではあるねえ。耳も心も痛いけど」

 元警視総監は軽く笑った後、窓の外に眼を向けた。

「そう言えば、不破君たちが向かったんだって?」

「ええ。あいつも昇進するんだから、現場にばかり行かれても困るんですがね」

「そこに関しては君、説得力は皆無だよ」

「タケの迎えと、生きていれば賢人の確保、最悪なのはそもそも賢人がいないケースですね。賢人だけうまく逃げ果せられていると、少し面倒です」

「まあ、その辺は連絡を待とうか。果報は寝て待て、君も軽々に動けぬ立場になってしまったからには、どっしり構えることにも慣れなきゃ、だ」

「……はい」

「いいねえ。その顔がね、見たかったんだよ、僕は」

「そうですか。そりゃあよござんした」

 満面の笑みを浮かべる元トップの姿に、加賀美は苦笑いを浮かべていた。


     ○


 嵐が一部分だけ残り、すぐに上陸できなかった島に、ようやく一行は降り立つことが出来た。元々、山があり大きな噴火口があった島なのだが、今は見るも無残な地形に様変わりしていた。山は消え、噴火口は抉れ、深く地の底まで伸びている。

 これでは大穴だな、と不破は顔を歪めていた。

 春日武藤からの連絡は、今をもって行われていない。まあ、この島は圏外であるし、そもそも連絡する手段など皆無ではあるのだが――

「こ、この下にタケさんがいるのか?」

「落ちただけで死にそうなんだが」

「馬鹿野郎、アカ。男なら飛び降りろよ」

「まずお前が手本見せるべきだろ、アオ」

「じゃれ合ってねえで、行きやすよ、お二人さん」

 竜二が魔獣化し、黒き翼竜となる。赤坂、青ヶ島、そして不破が彼に掴まり、底が見えないほどの穴を降り始める。

「た、タケさん、大丈夫かな?」

「そもそもいるのか? 逃げていいって命令受けてたんだし、戦う理由もないと思うんだが……でも、タケさんだしなぁ」

 逃げていいで、逃げる男でもないのが春日武藤である。ニケ相手に勝負を挑み、敗れた。その最悪の想定を赤坂、青ヶ島は首を振って吹き飛ばした。

 例え戦ったとしても、今の武藤ならば勝つ。彼は強くなったのだ。いつか葛城善にリベンジするのだと、そう言いながら修行していた。

 鍛えようと思ったのは初めてだとも、笑っていた気がする。

 怪物が努力までしたのだ。負けるはずがない。相手が最強であっても、彼らはそう思う。春日武藤こそが最強で、自分たちはそんな彼と一緒に――

「……か、すけ……ださい」

 何か、音が聞こえる。

「タケさんか⁉」

「おーい、タケさーん! 迎えに来ましたよー!」

 大声で二人が呼びかけるも、反応はない。ただ、小さな、かすれたような声が聞こえるだけ。僅かに、種族差か、竜二が顔をしかめる。

「おーい! おーい!」

「お、い……え?」

 もう、声を聞く必要もない。返事を待つ必要もない。声を出し過ぎて枯れ果てたのだろう、かすれた声で助けを求める少年が何かを抱いている。

 少年と同じくらいの大きさ。あれが、春日武藤のはずがない。

 彼らはそこに降り立つ。無残にも散らされた草花、半壊している建物、天井はぶち抜かれ、砕けた液晶が垂れ下がっている。何故、地下にこんな設備があるのかはわからない。あの少年が何者なのかも、わからない。

「……なに、してんすか」

 少年が抱きしめるそれを見て、赤坂はへたり込み、青ヶ島は呆然と立ち尽くす。

「たすけて、ください。たけ、ふじを、たすけて」

「君は、何者だ?」

 誰も問いかけられる状態ではなかったため、不破が代表して少年に問う。

「けん、じんです」

「ッ⁉」

「おねがい、します。なんでもしますから、たけふじを」

 不破に縋りつく少年の横には、上半身だけの男が倒れていた。凄惨極まる状態、下半身は千切られたかのように失われ、脊柱が丸見え、臓腑も嫌な臭いを放ちつつある。ただ、顔だけはほんの少し安らかであった。

「……守ったのか、この子を」

「おねがい、します。おねがい、します」

「すまない。春日武藤はもう、死んでいる。俺たちには、助けられない」

「しん、だ? うそだ、たけふじは、つよいんです。ライオンよりも、つよいと、いっていました。たけふじは、しにません」

 ライオンよりも強い、その言葉に赤坂と青ヶ島が、顔を上げる。溢れ出る涙、そのぼやけた視界の中に彼らのボスが立っているように見えた。

 泣くな煩い。彼ならきっと、そう言う。

「ほんと、あんたはさ、面倒見が良過ぎるんだよ。いっつも、自分ばっかり損して、馬鹿を見るんだ。馬鹿だぜ、正真正銘の、馬鹿野郎だ」

「……同感だ」

 二人は涙をぬぐい、立ち上がる。

「泣くなガキ! タケさんは泣き虫が一番嫌いなんだよ! 男ならぐっとこらえて、立ち上がるもんだ! めそめそしてんじゃねえ!」

「でも、わたしの、せいで」

「誰もせいでもない。春日武藤って男は、自分がやりたいことしかしない男だ。だから、泣くな。苦手なんだよ、その人。自分が泣くことも、誰かが泣くことも。涙がね、一番嫌いな人だったんだ」

「おじさんたちも、ないてる」

「「泣いてねえ!」」

 赤坂と青ヶ島、二人が少年を守るように立つ。

「賢人だろうが何だろうが、このガキは俺らが守るぜ」

「タケさんのやりたいことを、やらせてやるのが俺たちの仕事だ」

 例え、不破たちと敵対することになろうとも、春日武藤が残したモノを守る。その固い決意が、彼らの足を支えていた。震えて、今にも折れそうだが、それでも歯を食いしばって、涙をこらえて立つ。

「あっしも、その場合はそちら側に立たせてもらいやす」

 竜二もまた当たり前のように彼ら側に立つ。

「……安心しろ。状況は変わった。その子は守るさ」

「信じられねえな」

「加賀美さんも同じ意見か?」

「安心しなよ。あの人、子供大好きだから。滅法弱いんだ、こういうのにさ」

 不破もまた武藤と目が合った気がした。押し付けるようなそれではないが、いつもの如く見定められるような視線である。安心していい。法の下、正しく彼を保護しよう。それに、政治的に利用する気もない。前に進むさ、と伝える。

 ふん、と鼻を鳴らして、彼の幻影はどこかに、消える。

 その後、日本警察は春日武藤、賢人近衛剛三郎の死亡を確認、彼の隠れ後にて身元不明の子どもを保護したと対外的に発表した。もちろん賢人絡みゆえ、発表と言ってもごく限られた者にしか伝わっていない。どちらにせよ、フィラントロピーによって東方における賢人は一枚欠け、それだけは確たるものとなった。

 そしてそれ以上に、日本最高戦力である春日武藤の死は、内外に大きく轟くことになる。彼の死もまた、一人の少年の存在をかき消すことに繋がったのだ。

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