EX:暴力機構

 日本警察の動きは迅速であった。

 最初から用意していたのだ。彼らがいつか尻尾を出したら、必ずそれを捕らえて駆逐することを。ずっと、ずっと、準備していた。

「警視総監、全隊、配置につきました」

「そう、じゃあ、始めちゃって」

「了解。全隊、作戦開始」

 鴻巣警視長の号令と共に、全てが動き出す。

 臥薪嘗胆の日々、全てはこの日のために。


     ○


「こちら不破、第三目標の護衛と交戦開始」

『では、即終わらせてください』

「無茶言いますね。了解です」

 紅き眼の護衛を引き連れた男、堂々と飛行機で国外に飛ぼうとは図太い神経をしている。まあ、それだけの餌を用意したのだ。

 今、全ての視線はフィラントロピーに、賢人に集まっているはず。

 その緩みが、この状況を生んだ。

「この御方を誰と心得る⁉」

「へえ、要人警護、御呼ばれするようには見えないな。人造魔族か」

「ッ⁉」

 護衛の男は驚嘆する。魔族特有の気配がない男である。彼我の戦力差は絶大で、何をしようと追いつけるはずがない。彼自身も護衛のため一通りの技術を備えた一流。技術がそれなりに拮抗すれば、やはりこの状況は生まれない。

 目にも止まらぬ速さで、距離を詰めてくるなど――

「タケや竜二のおかげで手札を隠せた」

 不破秀一郎は躊躇いなく男を切り捨てる。この場の誰もが驚愕する。あの男は、護衛隊のリーダーで、魔人クラスなのだ。それも中堅ぐらいは、ある。

 ただの人間では、どんな武器を使っても傷一つ付けられないはず。

「悪いが、これも仕事なんでな」

 不破はおもむろに、刀を手放す。リーダーを一撃で断ち切った武器を、自ら捨てる。その意図がわからず、熟練の護衛でさえ混乱する。

「…………」

 刹那の隙、そこで不破はジャケットの内側に手を突っ込む。抜き放つは拳銃、特殊対策室所属にのみ許された大口径のそれを、これまた一切の躊躇なく、彼らが対応する前に、撃ち放った。咄嗟に彼らは魔力で防ごうとするも――

「……そうしちまうよな。魔族になってしまうと、強い身体を得ると、出来ると思って防いでしまう。その時点で、お前たちは負けてんだ」

 頭蓋が、心臓付近が、正確無比な射撃によって撃ち抜かれてしまう。彼らは信じられない、という顔つきであった。理解が及んでいない。

 たかが銃、今までの実績として防いできた。特殊対策室に卸されている銃のことも当然頭に叩き込んでいるし、それ防ぐ訓練も行い、成功している。

 成功した者しか、選抜されたモノしか、ここにはいない。

 だからこそ、彼らは死んでしまったのだが。

「……どういうつもりかね、不破秀一郎君」

 呆然と倒れ伏す躯を踏み越え、無情の男は銃をジャケットの内側、ホルスターに戻して、落としておいた刀を拾う。

 質問した、最後の一人を睨みながら。

「ご覧の通りです」

「……いち公人のやるべきことではないな。私が、如何なる罪を犯した? この国の法で、私をどう裁く? 君たちに、何の正義がある?」

「空虚な言葉だ。根崎正一。ルールを作る側の貴方たちを裁く法など存在しない。貴方たちはこの国の正義を定義する側だ」

「ならば道を開け給え」

「御冗談を」

 不破は刀を根崎と呼んだ男に突き立てる。

「きさ、ま。自分が、何をしているのか――」

「賢人を守護せぬ貴様らに、何の価値がある?」

「ッ⁉」

「命欲しさに役目を投げ打ち、尻尾を見せた時点で貴様らの負けだ。今日、ここで守護家は全て潰える。貴様らが握り潰していた正義、貴様らが賢人を利用して蓄え続けたモノ全て、吐き出して死ね!」

 不破は怒りと共に刀を切り上げ、腹から心臓を一閃にて断つ。

「こちら不破、第三目標、根崎正一、処理」

『ご苦労さん。帰還しなさい、不破警視正』

「……了解」

 この光景に正義はない。そんなことは知っている。法治国家なれば彼らを裁くべきは法である。だが、彼らを法で裁くことなど出来ないのだ。

 彼らは抜け穴を知っている。いや、抜け穴を設けている。ルールを作った側にのみ許されたグレーゾーン、咎めることなどできない。

 既存の権力構造では、不可能なのだ。

 だから彼らは覚悟を持って破壊する。

 彼らに与えられた、暴力によって――


     ○


「はっはっは、こりゃあ驚いた。あんたも守護家だったのか。まあ、そりゃあそうだわな。法を司るのが生命線なら、その最上流に一人はいるか」

 司法を司る三権の長の一角、

「……加賀美駿輔、貴様らがやっていることは暴走だ。貴様ら警察とはあくまで国家の機能、その一部でしかない。与えられた力は正しく使え。それが責務だ」

 現最高裁判所長官、田中三郎太。

「ああ、だからよ」

 加賀美は笑顔のまま、銃の引き金を引いた。

「正しく暴力を振るってんだわ。わかれよ」

「ばか、な、私が、こんな、カス、に」

「口が悪ィぜ、長官」

 ついでに一発、とばかりに頭を吹き飛ばす。

「こちら加賀美ィ、第二目標撃破。こっちは田中三郎太でしたわ」

『……なるほどねえ。お疲れさん、加賀美君』

「当たりであり、ハズレでした。まあ、花は先輩に持たせますよ」

『すまないね。君らも、恨み骨髄だろうに』

「……あの時代に、そうせざるを得なかった人の方が、根は深いでしょう。所詮俺らは、知らない世代でしかないので。とりあえず、戻ります」

 加賀美は煙草に火をつけ、哀しげに笑う。

 こんな程度の連中が力を持つほどに権力と言うのは恐ろしい。小突けば死ぬような相手が、見えない巨大な壁に守られて、のうのうと私腹を肥やす。

 あまつさえ、散々うまい汁を吸って、危機に陥ったら方々散り散り。とうの昔にこの国は腐り果てていた。既得権益にがんじがらめにされた不自由の国。

 破壊できるのは正義ではない。法でもない。

 純然たる原初の力、暴力である。


     ○


 一度警視総監を退き、警察から離れようとしたが、深く関わっていた自分は逃げることすら許されなかった。縁もゆかりもない県警の署長に押し込められ、飼い殺しの日々。仕事自体は悪くない。凶悪事件などめったにない地方都市。過ごしやすく、冬は雪が難点だが、それだって平地はそれほど降らない。

 問題なのは待遇ではない。

「お久しぶりです。先輩」

「……良治、何故お前がここにいる?」

「これ見ても、わかりませんかね?」

 この国の正義に翻弄された男は、自分の前に暴力機構の頂点に座っていた男に銃を向けていた。自分に警察のため、ある男を僻地に飛ばせ、ある男が集めた情報を、証拠を、すべて破棄して静観に徹しろ、そう指示してきた警察OB。

 賢人の守護家に入ったのか、元々縁者だったのかは知らない。

 そんなことはどうでもいい。

「良治、一茂のくだらん野心などに付き合うとは、お前も愚かになったものだ。警察の何たるかをあれほど叩き込んでやったのに、失望したぞ」

「私はずっと前から失望していましたよ。組織のためを思って、あの時は泥を被りましたが……私はあの時、断固として貴方たちに逆らうべきだった」

「馬鹿が。折角、生かしてやろうと思ったのだが、心底幻滅した。お前はここで死んでおけ。俺は手に入れたぞ、永き時間を、強き身体を!」

 紅き眼を浮かべ、体が膨れ上がる男。ああ、そうだろう。この男ならそれを選ぶだろう。かつての後輩である男は嗤っていた。

 本当に、何も変わらないのだな、と。

「おや、どうやらその不自然な形態変化、魔獣クラスと言うやつですか。賢人の守護家ともあろう御方が、その程度とは」

「ほざけ良治! 貴様如きに何が出来る!」

「先に言っておきますが、私は一度として、貴方を指針としたことはありませんよ。私が目指したのは、キャリア採用の私よりもずっと優秀で、役職を屁とも思っておらず、序列に関係なく噛みついて回る狂犬です!」

 男は怪物に向けて銃を撃つ。弾頭に高濃度減衰剤がコーティングされている特別な弾丸であるが、怪物の皮膚に傷一つ付けることなくひしゃげ、地面に落ちる。

「くっく、だからお前は利用されるだけの人生だったのだ。あんな礼儀知らずの馬鹿とつるんでいるから、下に見られ出世が遅くなった」

 怪物は暴れ回る。暴力の快感、自身が圧倒的に優位であること、それが怪物を高揚させる。男は必死に暴力を避け、転がりながら銃を撃つも――

「無駄無駄ァ」

 それが届くことはない。

「修の字は私に言った。あいつは完全犯罪なんぞ目論んでいないと。ゲーム感覚で、必ずかすかにヒントを、糸口を残している。もう少しで辿り着くんだ、と」

「あんなどこの馬とも知れぬ阿呆では辿り着けなかった!」

「私は加納恭爾を知っている。あの男と戯れていたあの男の顔を知っている。今思えば、あれはゲームでしかなかったのだろう。追う者と追われる者、追いついて見ろと挑発する者と、追いつかんと食らいつく者、あの二人のゲームだった」

 男は狂犬の言葉を信ずるに足る違和感を知っていた。あの二人が一緒にいる時、ほんの少しだけ片方が普段とは違ったのだ。誰にでも同じ貌をしていた男が、彼にだけ違う一面を覗かせていた。その違和感を、狂犬に言わせれば刑事の直感を、

「それは酷い話だ。巻き込まれた被害者にとって、到底納得のいく真実ではあるまい。他人の命をゲームに使う、何とおぞましいことか」

 信じるべきだったのだ。

「ええ、本当に、実におぞましい」

 怪物に玩ばれているだけの男。それでも必死に喰らいつく。物陰に隠れ、マガジンをリロードし、諦めずに銃を撃ち続ける。

「加納恭爾は正真正銘の悪だ。そこに疑いはない。だけど――」

 諦めない。間違えない。揺らがない。

 今度こそ、自分は貫いて見せる。

「私が握り潰さねば、あの時点で止められていた! それを見逃し、泳がせる判断をした私もまた悪だ。醜悪で、矮小で、保身のことばかり考える獣だ!」

 あの背中に対し自分はキャリア以外、すべてに劣っていた。銃も、剣道も、得意だった柔道でさえ一度も勝てなかった。何よりも本庁に名が轟くほどの検挙率、犯罪への嗅覚と真実へ辿り着くセンスは、嫉妬するしかなかった。

 もちろん、ノンキャリでしかない彼に求められることとキャリアの自分に求められることは違う。それでも、根っこの部分で嫉妬していた。それと同じくらい尊敬していた。自分には出来ないことを平然とやってのける姿は格好良かった。

 彼から正義を奪ったのは自分。そして、悪でありながら正義を体現する男に心を開いていた男、加納恭爾を止められる可能性を捨てたのもまた、自分。

 許せなかった。生涯、許せる気がしなかった。ずっと、心の中に十字架が突き立っている。加納に直接手をかけられた者、冤罪にハメられた者、中には真実が明らかとなる前に死刑に処されてしまった者も少なくない。死刑に処される前に真実が明らかになった者とて、長い時間を奪われたことには変わりないのだ。

 自分が許せない。夜寝る前、朝目覚めた時、昼のふとした瞬間、聞こえてくる怨嗟の声。それは当然、自分が背負わねばならない十字架である。

「いい加減に諦めろ、良治。ただの人間、しかも年老いたお前に何が出来る? 加賀美の小僧でも連れてくるべきだったな。そういう思慮の浅さが、お前の弱さだ」

 足が言うことを聞かない。昔はもう少し無理をさせられたのだが、今はもう少し動いただけで足腰が震えてしまう。確かに思慮は浅かった。

 もう少し早く、届くと思っていたから。

「私が懺悔すべきは、私が正しい選択を取っていれば消えずに済んだ命と、失わずに済んだ被害者の時間だ。こんなもの、何の贖罪にもならないだろうが、それでももう二度と、私は自分の正義を曲げはしない!」

 男は引き金を引く。先ほどからずっと狙い続けていた場所、かすかに血が滲み始めたそこに、ありったけの銃弾を叩き込んだ。

「これで死ね。愚かも、の、ォ?」

 怪物が、力なく崩れ落ちる。弾頭がコーティングしてある弾丸である。傷口に摩擦力でもって摺り込まれ、体内に成分が入った時点で詰み。

「……組織の下に正義があるのではない。組織の上に正義がある。組織のための正義は、ここで滅びましょう。次がつかえていますからね」

「やめ、ろ、りょお、じ、おれ、は、ちつ、じょ、の――」

「地獄で待っていてください。続きはそっちで聞きます」

 魔獣化が解け、肉体の強度が低くなったタイミングで男は怪物の頭に銃弾を叩き込み、戦いに幕を引く。

「まあ、いつも通り、話半分に聞き流しますがね。先輩の話、つまらないですし、くく、無駄に長いので、嫌いだったんですよ」

 男は膝を折り、地面に倒れ伏す。随分と歳を取ったものである。本来、現場に出るような歳ではないし、そもそも現場に立たれても若い連中にとっては迷惑だろう。何しろ、老人介護の仕事まで与えることになってしまうのだ。

 それではあまりに本末転倒。

「まったく、どうしようもない老人だな、私は」

 それでも賢人会議が絡むと聞いて、何もせずにはいられなかった。恨みがあるわけではない。あの時の選択は自分の中で、自分が選び取ったものとして消化している。それに、悔いているが選択が間違いであったとも思わないのだ。

 秩序を管理する側からすれば、そうするのは当たり前であった。大のために小を切り捨てるのもまた管理者の裁量であり、避けては通れない難問。

 だから、男は間違いであったとは思わないし、今日警察が敵対し、滅ぼさんとする彼らが悪だとも思っていない。だけど彼は思うのだ。如何に正しい判断であっても、そこに何の感情もなければ選択の重みがない、と。

 今、倒れ伏す躯のように、上だけを見つめていた者は小を切り捨てたところで何も思わない。むしろ胸を張るだろう。正しい行いをした、と。男は思う。同じ選択であっても、そこに葛藤があるかないかで、重さが変わる。

 その重さこそが、選択に意味を与えるのだと、男は思う。

「報告、済ましておきやした」

「……おや。一人で良いと言ったのに、結局介護させてしまったね」

「いえ、あっしの仕事をやって頂けたんで、助かりやした」

「いやいや、これはね、本当は私たちがずっと前に、やっておくべき仕事だったんだ。当時の私は怖くて、形もないモノに怯えていたけれど」

 突如現れた男が、足腰立たぬ老人に肩を貸す。

「壊れてみれば、案外大したことないものなんだよ、権力なんてね」

 今日、また一つ暴力が秩序を破壊した。


     ○


 ニケは理解できなかった。

 そもそも前情報では、アールトからここで戦闘は発生しないと伝えられていた。日本警察側に賢人を守る理由が消失するため、戦う理由そのものが失われる、そう言っていた。あの男は読みを外さない。

 実際に嵐に乗じて動き出したと言う情報も入った。彼らは一掃するだろう。賢人を守護するという名目で、張り付いていた旧華族から派生した財閥などの守護家を。

 彼らはフィラントロピーに恐れをなし、大義を捨てた。

 それを捨て、身を隠す。

 保身の獣たち。

 アールトは言っていた。この地区の賢人は腐っていると。それに応じて周りも腐り果て、収拾がつかなくなってしまったのだと。まあ、他の地区も似たようなものではあるが、その中でも随一の腐敗であることは間違いがない。

 国に巣くう害虫、自分たちの益だけを求め、羊飼いの責務を忘れた権力の亡者。

 彼らが慌て、尻尾を見せて逃げ惑っている。ニケが現れ、ここで賢人を殺せば彼らは守護家と言う立場も失う。守るべき者が失われる前に、それを捨て置き残った権力で生き延びる術を模索する。何たる醜悪さか。

 滅びるのは必定。実際に日本警察はそちらへ舵を切った。

 ならば何故、目の前の男は止まらない。

『豪招雷!』

 何故、この男はここまで手強い。

「しゃらくせえ!」

 そして何故、必死に喰らいついてくる。

 ニケには理解できない。今、春日武藤が戦うべき理由はないから。

 逃げていいのだ。無視すればいいのだ。ニケが賢人を殺して、それで終わり。日本警察も守護家を排除し、新たなる道を歩み出す。

『佐士布都神、甕布都神!』

 それだけのことなのに、何故この男はこうも必死なのだ。

 ニケにはわからない。だが、嬉しく思う。全力には、全力で返そう。

 それがニケの流儀である。

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