最終章:絶望の底に輝くモノ

 総崩れ、誰もがそうなると思った。『コードレス』によって繋げられている都市や村落、そこに生きる者たちは絶望的な状況に目を伏せる。わかっていても顔を上げられない。必死で食い下がる者たちを、直視できない。

 こんなもの、見せないでくれ。そう思う者もいた。

 次は自分の番かもしれない。そう恐れる者もいた。

 魔力の供給が、どんどんか細くなっていく。希望の灯が、消えつつあった。

『しっかりしてくれよ、ベレトさん!』

 何度倒れても立ち上がる若き戦士たち。その背を見て、ベレトは笑う。いつの間にか、枯れかけていた闘争心。窮地にこそ心が躍っていたはずなのに、気づけば敗北を恐れている。倒れ伏した大将を見て、心が折れかけていた。

『俺があれだ、ガープのビームをこう、ぐにってやって曲げて跳ね返すから、アバドンはあれだ。とりあえず殴れ。拳がぶっ壊れるまで』

『よしきた行くぜ! つーかスライム、そんなことも出来んだな』

『出来なかったら悪い!』

『思い付きかよ、ハハ、ワクワクしてきたぜ!』

 制限下、ベレトの武力でさえ、第一世代の先達でさえ、歯が立たなかった制限を受けない宝石王の力。何故、そんなキラキラした眼で戦えるのか。

 自分よりも強い相手、それを前にして魔族は、必要以上に足掻かない。弱肉強食、それが魔界の原理原則。工夫を凝らして、幾度も倒れ、それでも足掻くのは魔族らしくない。それでも何故だろうか、何故か――

『こーいうときによ、手ェ抜くとすげえダサいんだよな。年寄りだけどよ、もう少し足掻くとするかね。ベリアルの軍勢、舐めんなよォ!』

 鎧袖一触、宝石王に吹き飛ばされた若き魔族を尻目に、ベレトは宝石王の懐に踏み込む。かつての立場は逆、彼が挑戦者で自分は上に立っていた。

『…………』

 何故かベレトの眼には、宝石王が笑ったように見えた。それが無性に腹立たしくて、自然と死地に身を置いていた。

『何勘違いしてやがる、三下ァ! 前に、大将まで通してやったのは命知らずのやんちゃくれに対する、俺様の好意だ。テメエ如きが、このベレト様を見下そうなんざ、一万年早いんだよ、クソガキがァ!』

 宝石王の拳がベレトを砕く。半身が消し飛び、驚いたのは打った側であった。いくら制限下でも、あのベレトがこれほど脆いはずがない。

『老いぼれの勝負勘、舐めんな、ガキ』

 ベレトは半身を捨てた。防御に一欠けらの魔力も回さなかったのだ。その分、全身全霊を賭したのは己が拳。八つの炎を束ね、『獄炎』と成す。

『ふんがァ!』

 ただの、ぶん殴り。

『……!?』

 それが制限の差を、覆した。宝石王の、鉄壁の身体が砕ける。死のうが、火山が噴火しようが、傷つくこともなかった煌めく体。傷つかねば、全魔族でも屈指の防御力であろう。だが、一度傷さえつけば――

『俺が、俺たちが、ベリアルの軍勢だ』

 ベレトが魔獣化を深め、宝石王を拘束する。力勝負では勝てない。それでも僅かな時を、抑えることは出来る。

 そして抑えておけば――

『『ッシャァ!』』

 威勢だけは一人前の、若いのが勝手に突っ込んでくる。先ほどぶっ飛ばされたことも忘れたかのように、凄絶な笑顔で、まさに魔族と言った形相で、アバドンとスラッシュが突っ込んで、傷痕をタコ殴りにする。

 拳が砕けようとも、血まみれになろうとも、骨が剥き出しになろうとも、笑いながら全力で叩き込む。その姿に、ベレトは微笑んだ。

 若き背に、かつての自分たちを、見た。

『……!』

『俺たちゃ魔族だ。人族共ほど、お上品にゃあ出来てねえ! 傷口見えりゃあ骨までしゃぶる。叩いて殴ってぶっ殺す。それが、魔族ってもんだろ!』

 蛇のように宝石王に絡みつき、動きを制限するベレト。力で及ばずとも、年の功で関節を極める。それはベレトの意地であった。

 そうこうしている内に、悪ガキどもが血まみれになりながら、宝石王を砕き切った。完全な状態では堅固でも、亀裂が入れば弱くなるのは彼らの種族の特徴。それでも時が経てば、再生して完全な状態に戻ってしまうのだが。

『テメエもこいつらと同じ悪ガキだったな、ガープ。テメエの威勢、悪くなかったぜ。だからこそ、もう、ここで終わっとけ。晩節を、汚すな』

 アバドンとスラッシュが、コアまで到達、殴り、殺し切る。

『……俺の、名は』

『大将は、タイマンを張った奴のことは忘れねえよ。その取り巻きの俺らも、身の程知らずと嗤うかよ。ゆるりと眠れ、チャレンジャー』

 ガープは、かすかに表情を変え、機能を停止した。

 残ったのは煌めく無機物の身体。死しても消えず、残る。時が経てば土中や大気中から必要な成分を抽出し、完全な状態に復元するだろう。

『どうします、これ』

『ほっとけ。人族のことだ、武器にでもするだろ。さすがにバラシて、偏在すれば完全体には戻れない。たぶんな』

 ようやく自分たちの尻を拭き切って、ベレトはかすかに安堵する。

 まあ、まだ戦争は継続中。むしろ劣勢と来た。

『落ち着いたらお前らも喧嘩行ってこい』

『じゃ、行ってやす!』

『やす!』

 まだ回復していないのに、すたこらさっさと戦場に向かうアバドンたち。

『……最近、マジで体力ねえなぁ、俺ァ』

 制限を度外視しても、とんでもない化け物がここにはうようよしている。特に驚いたのはあの膨れ上がった怪物を、ギリギリでしのいでいる人族。今にも死にそうだが、二人で抗えている時点で大したもの。

 それ以上に――

『ひゅう、やるねえ。制限なしでやりあってみてえな、あいつらとは』

 天翔ける剣士が、一人と一匹。

 死体とはいえ九大天龍が末席、ファヴニルをあっさりと断ち切ったのだ。その眼は真っ直ぐと、あの怪物を見つめていた。

『んで、あいつらでも届かないわけだ、今回のシン・イヴリースは』

 魔族の尺度なら、先ほどの例外は除いて、シン・イヴリースとニケならばニケの方が強いと感じてしまう。器に亀裂が入るほど、漏れ出てしまうほどに注ぎ込まれた内蔵魔力は大きく、制限下でなくとも勝てたかどうか。

 それに比べ今のシン・イヴリースならば、制限下でなければどうにかなる気はするのだ。絶対に勝てるとまで言い切らないが、十中八九は勝てると感じる。

 それでも彼らはシン・イヴリースではなく、ニケを目指した。

 ニケならば、どうにか出来ると思っているからこその、立ち回りであろう。

『ま、考えてもわからん。とりあえず俺も、喧嘩売ってくるかね』

 そう言って、重くなった腰を上げて、ベレトもまた戦場に舞い戻る。


     ○


 アリエル、シャーロットが百回ほど「今度こそ死ぬ」と思った時、ようやくキングと宗次郎が彼女たちの間に割って入る。

 シン・イヴリースと戦い、敗れ、ゼウスとも渡り合ったがとても勝てたとは言い難い内容だった。ここまで数多くの天使を、神族を、ファヴニルをも突破してきたが、彼らが求められていた役割を思えば足りな過ぎる。

「ちっ、デカブツ相手かよ」

 宗次郎はかすかに顔を歪めた。

「こやつは拙者が相手をするでござる」

「ハァ?」

 何言ってんだ、という顔で宗次郎はキングの顔を見る。

「力は拙者が上でござろう。技が通ずる相手でも無し、速さがモノをいう相手でもござらん。なれば、ここは拙者が土俵」

「体力が限界だろーが。瞬間的な爆発力があるだけで、そもそもの内蔵魔力は僕より全然低いだろ。僕がやるよ、嫌いなタイプだけどさ」

「だからこそ、でござる」

 表情の変化に、宗次郎は何かを察し、顔を歪めて――

「……まあ、僕は余所者だからね。花を持たせてやるさ」

 一歩、退いた。

「……貴殿の友情に、感謝する」

「別に。嫌いなタイプだし押し付けただけ。適当に、空の敵狩っとくよ」

 紫電が、天へと延びる。

「君が負けたら、次は僕がやるからね」

 そう、言い残し。

 それを聞き、キングはあらためて感謝する。ひとかどの人物ばかりのアストライアーで、半端者でしかなかった自分が、ここまで到達できたのは宗次郎という天才と出会えたから。自分と違って、自分と同じ男がいてくれたから。

「さて、僕が何者で、何がために、ここに来たのか、証明する時が来たよ。皆、自分を証明して散った。僕もまた、証明してみせる!」

 心の中の父と母に、誓う。

 心の中のアストライアー、今まで散っていった友たちの想いを剣に込める。

『斬魔之大太刀』

 今までになく巨大な刃が、強き刃が、顕現した。

 この戦いのために、この瞬間のために――

『ガァァァアアアア!』

「アストライアー第四位『斬魔』、参る」

 誰もが絶句する光景であった。数多の猛者を羽虫の如く屠り、アリエルとシャーロットが協力して何とかいなしていたニケを、その攻撃を、『斬魔』の刃は正面から捉え、拮抗してのけたのだ。

「ぬぅん!」

『ギ!?』

 誰よりもニケが驚く。あれほど小さき身体に、何故この巨大な器に見合う力があるのか。理解を超える力、小さな巨人は咆哮する。

「ウォォォォォォオオオオオァ!」

 その気合、痛みに狂う獣をも、気圧す。

「……ほんと、化け物ばっかね、アストライアーって」

「本当にね。自信、なくすよ」

 アリエルとシャーロットが白旗を上げるほどの光景。

 怪物同士の打ち合いが、始まった。


     ○


 あれが最後の光であることは、共に磨き合った宗次郎が一番理解している。彼は確かに強い。瞬間的な力に関してはついぞ宗次郎は一度も勝てなかった。その分、速さは自分の方が常に上であったし、センスは、方向性が違うのでこれは何とも言えない。かつての自分なら、絶対に自分が上と言い切っていただろうが。

 問題はその力、それを絞り出す方法はホースの蛇口を押さえて、水の威力を強めるようなやり方であり、水量、内蔵魔力自体が桁外れなわけではない。もちろん、普通の人に比べれば圧倒的に上ではあるが、魔人クラス上位、王クラスに比肩する宗次郎と比べれば、当然格段に落ちるレベル。

 だから、継戦能力も高くはない。宗次郎に合わせて動いていれば、すぐにガス欠を起こしてしまう。彼なりに工夫はしていたのだろうが。

 それでもここまでの戦い、ギリギリのやり取りは、彼を大いに削ったはず。いつ限界を迎えてもおかしくはない。

 いや、現に限界であったのだろう。

 だからこそ彼はあそこを出し切る場所と定めたのだ。どこが一番、自分の使いどころであるか、考えに考え抜いて、そう決めた。

 どうしてそれが、止められようか。

『邪魔だ』

 神族の首を切り捨て、宗次郎は顔を歪める。

 竜二を失った時と近い、もやもやした想いが、胸を焼くから――


     ○


「ほい到着! で、どんな塩梅?」

 フェンにまたがりバッサバッサと敵をなぎ倒して本陣に辿り着いたクーンは、異様な雰囲気に眉をひそめた。アルスマグナの補充が上手くいっていないのは、状況を鑑みれば当然のこと。希望があるからこそ、人は手をかざす。

 希望が見えなくなれば、引っ込めるのもまた道理。

 問題は、リソースではない。

「……召喚陣、よくないんじゃない、これ」

 素人目に見ても、ひび割れたそれはギリギリで体裁を保っているように見えた。召喚士は必死に対応しているが、一度解れた部分は少しずつ傷口を広げていた。

「ばふん」

 フェンも哀しげな顔で、女性の命である髪を切り、ここを死に場所と覚悟を決めたフランセットを見つめる。どれだけ覚悟があっても、どれだけ積み重ねても、どうにもならないことがあるのが、戦場である。

「加納は、よく見えないけど残った連中が必死にやってる。ゼウスはルシファーにシャイターン、遠目に見ても、まあ異次元の戦闘だね、ありゃ」

 遠くで巻き起こる粉塵。空を覇する雷、対するは光と闇。

「で、アストライアー最後の上位勢、キングも分不相応な相手を止めているわけだ。それで、ガチャすら回せないのはきついなぁ」

「ばう!」

「わかってるよ、彼女たちも必死だ。そもそも召喚士は世界中を回って、巡礼をしながら腕を上げるもの。今残っている彼女たちは、修行を始めた頃にはろくに旅も出来なかった子たちばかり。何せ、世界の半分が奪われてたわけだし」

 未熟、特殊な過程を経て培われる召喚士の力は巡礼の旅によって磨かれる。それをこなす機会すら与えられなかった世代、最も腕が立つフランセットでさえ三分の一ほどで断念し、ゼンと共にロディナに戻っている。

「出来なくて当然。それは、わかってんだよね。最後の手段に手をかけた時点で、ほぼ負けちゃったってことも、わかってるのさ」

 如何にクーンがいるとはいえ、所詮は運次第。彼の能力は万に一つを掴むことは出来ても、ゼロであればどうしようもないもの。

 この状況では、おそらく何も起きない。

「参ったね、これ」

 クーンは『コードレス』を見る。

「もう、中継は良いんじゃない? ここから先、希望が芽生えるまではさ、加納に利するだけだと思うんだよね。彼はほら、絶望を力にするわけで」

 至極真っ当な意見であろう。実際にどうなっているのかはわからないが、少なくともアルスマグナへの供給は格段に減少している。つまりは諦め、絶望した者が大勢現れたということ。それは、加納の力となりかねない。

「最後の瞬間まで、繋げるのが私の役目です」

 だが、『コードレス』は否と言う。

「なぜ?」

「世界中の皆から力を集めました。協力してもらいました。だから、私は真実を伝えます。私が生きている限り、繋げ続けます」

「それが敵に利することになっても?」

「そうはならないと、信じています」

 人前に出ることすら出来なかった少女が、随分と強い眼をするようになったとクーンは笑う。彼女の言葉は至極真っ当。ここで中継をやめてしまえば、本当に希望は絶えてしまう。恣意的な編集は、疑念を生み、叛意を育む。

 大人の子狡さを、子どもの純粋さが咎めてくれた。

「さて、敏腕リポーターの『コードレス』くん、僕はどうすればいいと思う? この槍はね、兵器としちゃ時代遅れも甚だしいし、奪うのも守るのも、精々が十人分、頑張っても百人には届かない。そんな僕は、どうすべきかな?」

「信じてください。きっと、皆が繋げてくれます」

 間髪入れずに答えた『コードレス』に、クーンは頷いた。

「りょ」

 そう言って、クーンはその辺の負傷兵から弓を借り、

「じゃ、本陣でまったり待ちますかね。使い時って奴を」

 矢を射る。なかなか様になっている立ち姿、射った矢も魔力をまといすうっと天使の喉笛を貫く。明らかに素人のそれではない。

「ばふん」

「ん、はは、借金取りから逃げる時に、野山に一年ほど籠っていた時期があったんだよ。弓はその時覚えた。槍じゃ、届かないところに手を伸ばすために」

 通じているのかいないのか、クーンは矢を番え、放つ。彼は知っている。運の恐ろしさを。彼は知っている。運の厄介さを。

 彼らは知っている。真の運は、積み上げた者にこそ、与えられるのだと。

「さぁて、弓でキルレ盛っちゃおうかぁ」

 気の抜ける言葉だが、その眼光は鋭く、機を窺う。


     ○


 誰もが必死になって、戦っていた。

 誰もが死力を尽くし、戦った。

 それでも報われるとは限らないのが、戦争と言うもの。

 そこに善悪はない。ただ結果だけがある。

「……ここまでだ」

 最後まで食い下がったアスモデウスの拳をかわし、加納は虚無で撃ち抜いた。制限下でなければどうしようもなかった怪物だが、世界のルールには逆らえない。それに囚われぬ加納が勝ってしまうのは、道理。

 魔法使いも、機能を停止する。立ち上がろうとしているが、そういう限界を超えることが出来ないのが魔法使いと言う種の限界。

 ロキは重力で地に張り付け、動きを止められていた。動いていようが今となっては何も出来ないが、不死身相手に時間を稼がせるなど間抜けな話はない。

「勝負を終わらせよう」

『私の配下に、何してんのよォ!』

 神族の群れを振り切り、被弾をものともせずにルキフグスが突っ込んでくる。そのことに誰よりも驚いたのは、気を失いかけていたアスモデウス本人。

『なりません、姫様ァ!』

 その言葉は、届かない。

『全部、消えなさい!』

 偽造虚無を展開、それを放出する。当たれば確実に相手を削る攻撃。速さも質量がなく、あらゆる引力に囚われぬ攻撃、十分ではある。

 だが、撃ち手が真っ直ぐ過ぎた。

「残念、当たってはあげない」

 空間をするりと抜け、ルキフグスの背後に現れる加納。

『ぐっ!?』

「判断が遅い」

 虚無の王、ルキフグスが虚無によって半身を失い、地に墜ちる。

「残念ながら、希望はなかった。最後の希望もまた、潰えようとしている。放っておいても崩れ去りそうだが、それではつまらない」

 加納はぱん、と手を叩く。

「幕引きは、せめて盛大に」

 攻めあぐねている天使たちを、神の獣を、天から地へ、

「世は無情。救いは、無い」

 絶望のプレゼントを、送る。


     ○


 空の戦力を、空間を超えて本陣に送る。

 あまりにもあっけなく、終焉が訪れた。

『やらせないよォ!』

 フェンらが噛み千切り、火球を放ち吹き飛ばしても、

「すぐ持ち替えかよ! 冗談じゃないね、これ」

 弓から槍に持ち替え、召喚士たちを守ろうと切り裂くクーンも、

『クソがァ!』

 空で戦っていたフェネクスも、

「ったく、休ませなっての」

 傷だらけの女王も、

 本陣近くで戦っていた戦力が皆、急いで自分たちの急所を守らんと駆ける。だが、空間を、距離を無視した戦力ほどに早くはない。

 総力を前線維持に注いでいたが故、生まれた急所。

「……これは、もう」

 雌獅子は敵を引き裂きながら、本陣の崩壊する様を苦渋の表情で見つめる。これだけ積み上げても、容易く引っ繰り返すシンの力。

 結局は全て、シンの力を持つ加納の掌の上。

「勝てない」

 炎が、尽きる。希望を失った、折れた戦力は――

「あっ」

 脆い。

 神の獣に喰い千切られ、雌獅子は血だまりに沈む。他も似たようなもの、諦めた者の中には自ら、この先の絶望を見たくないと死を選ぶ者もいた。

 それらを容赦なく蹂躙する、シンの軍勢。

 意思はない。ただ、そう命じられただけの、哀しき軍勢である。


     ○


 さらに加納は絶望を、送る。

 手は出さない。出す必要がない。送るのは命令一つ。

 それだけで希望はまた一つ、絶える。


     ○


 ニケと渡り合う『斬魔』に本陣を守る余裕はなかった。最も信頼がおける麒麟児は神族の上位層を相手取っており、軽々に動けぬ状況。

 アリエル、シャーロットらは足を引きずりながら向かっているも、あの速度では到着する前に本陣が落ちる。これではもう、勝ち目は、無い。

 迷い、惑い、それでもここから、この怪物から目を離すわけにはいかぬと死力を尽くす。その焦りが、ニケの『隙』に反射で動いてしまう。

 突如、生まれた隙を、断ち切る。

「……なぜ?」

 袈裟懸けに断ち切った傷は、凄まじく深い。ニケにとっても決して安くない一撃である。何しろ、ウィルスが鍛え上げたエクセリオンなのだ。

 如何に凄まじい回復力でも、加納とは異なり克服していないニケでは致命傷に近い傷となるはず。それは相手も獣なりに解していたはず。

 その理由を、『斬魔』は誰よりも早く察した。対峙する者ゆえ、当然ではある。それでも、遅過ぎたのだが。

「しまっ――」

 ニケは意識を完全に喪失し、虚ろな目で本陣を見据える。口の端から溢れる、炎。凄まじい魔力が、その一撃に込められていた。

 まだ、誰も気づいていない。目の前の脅威に注力しているので仕方はないが。おそらくは加納の仕掛けであろう。

 突如生まれたニケの隙、そこに疑念を抱いていれば。断ち切る前であれば、もっと上手い対処も出来たかもしれない。

「……格好、付かぬでござるなァ」

 たん、と『斬魔』はニケから後退する。もはや放たれる寸前、それほど大きく距離を取ることは出来ない。もう少し早ければ、と思うも後の祭り。

 やるべきことは多いが、出来ることは少ない。

 距離を取り、射線を見つめ、『斬魔』は――

『ガァ!』

 最強の器に溢れ出るほど注がれた魔力が、炎と化して本陣を狙い打つ。

 そこに至り、多くが絶望的状況に気付く。

 シャーロットが熱量を奪うも、焼け石に水。アリエルが『水鏡』を生んでも、一切の抵抗を生まず飲み込まれてしまう。あんなもの、誰の攻撃であっても阻むことなどできない。皆の脳裏に浮かぶのは、決戦を終わらせた炎。

 あの時はオーケンフィールドがいた。

 今は、いない。

 誰もが諦めたその時――

「斬り捨て、御免!」

 ニケの炎、全てを飲み込む大火球の側面から突っ込み、全戦力を叩き込んだ。何と重い攻撃か、と改めてニケの底力に『斬魔』は笑う。

 あの時は三人の全力で圧した程度、一対一であれば到底届かなかった。出来れば、あの時の最強と戦いたかった、と『斬魔』は思い浮かべた。

「最強は、こんなに、軽くはないッ!」

 三人を弾き返した最強の男、ニケ。あの時点では加納恭爾よりも遥かに恐ろしかった。いや、ポテンシャルだけならば今のように図抜けているのだ。

 ただ、強過ぎたがゆえに、セーブしていただけで。

「少し、わかるでござるよ」

 獣が放った炎を、刹那に全てを賭した一撃で吹き飛ばす。射線が、大きくズレる。大きくそれたそれは、着弾した先の大地を消し飛ばした。

 地形を、世界地図を塗り替えるような、破壊力。

 それをただ一人の男が、進路を変えて見せたのだ。

「僕にも、少しだけ、見えたから」

 二人で登った山巓。競い合う者が二人しかいない孤独。これが一人であれば、なんと寒々しい光景であろうか。彼はきっと、ずっとそこにいた。

 それを少し哀れに思い、キング・スレードは苦く、笑む。

「あとは、任せた」

 そう呟いたキングを、ニケの拳が、吹き飛ばした。

 誰が見ても、即死。

 虚空に漂うは、剣を握る手のみ。それが、本陣まで飛び、墜ちる。

 本陣に突き立つは、紅き刃『斬魔之大太刀』。もはやそれを握る者は、いない。

「もう、おしまいだ」

 誰かが、つぶやいた。ニケは血を垂れ流しながら無表情で本陣へ向かう。止められる者はいない。そもそも、本陣がすでに落ちそうなのだ。

 召喚士を守る手が足りない。守ったとしても、未熟な彼女たちが集中して作業を続けるには、もはやこの場は混迷を極め過ぎていた。

「やめて、それに、触れないで」

 召喚陣に天使のひと柱が手をかざす。ただでさえ不安定な状態、外部から衝撃が与えられたなら、一撃で破壊されてしまうだろう。

「私たちの希望を、奪わないで」

 天使は血の涙を流しながら――

『退け、雑魚ども』

 数十体いた、全てが縦に、横にと両断された。紫電が、瞬く。

『別にさ、ここの連中がどうなろうと知らないし、興味もない』

 藤原宗次郎は『斬魔』の遺した刃に、触れる。

『でも、お前らは二度、僕の理解者を奪った。僕の友人を、奪った』

 それに応えたかのように、頑として剣を離さなかったキングの手が、消える。まるで、その剣を宗次郎へと譲ったかのように。

 紅き刃は、『斬魔』の力だけは、消えることなく。

『楽しかったよ、キング』

 キング・スレードの魂を受け取り、ふた振りの剣を携え宗次郎はニケを睨む。

『最後にもう一回、遊ぼうぜ』

 麒麟児は、

『ああああああああああああああああああああ!』

 咆哮と共に、飛び立った。

 その疾さ、誰の目にも止まらない。

 遮る者のいない最強の怪物を止めるために、二つのエクセリオンを束ね、突っ込む。正面から、威風堂々と、速さと力を兼ね備え――

『僕らが、最強だァ!』

 ニケの進攻を、止めた。だけでなく、押し返す。

 さらに、断ち切る。

 十字の傷が、二つのエクセリオンが、ニケに致命傷を与えた。


     ○


「想定よりも遅いぐらいだが、ここで化けるか」

 未だ戦意衰えぬベリアルの軍勢を蹂躙していた加納は、完全に王クラスへと踏み込んだ宗次郎を見つめる。彼もまたドゥッカ同様、持たざる者であった。

 初めから生きるための機能を欠損し、病床で死を待つだけの哀れなる存在。彼の才能など誰も見出すことなどできなかっただろう。この世界が彼に可能性を与えた。そして彼もまた自身の適性を見出した。

 消えゆくだけであった才能が今、輝く。

「……今のニケでは無理か。唯一、互角以上に持っていけるゼウスは、これまた私が刺激し過ぎた結果、動く理由がないはずの男に理由を与え、止められている。さすがは六大魔王のトップクラス、といったところか」

『俺らもだよ、ニンゲン』

『そういう、ことだ』

 幾度も吹き飛ばそうとも、千切ろうとも、戦意が些かも衰えないベレトに、同じく満身創痍などとうに超えているはずのベリアルが加納の前に立ちはだかる。

 あまりのしつこさに、賞賛を送りたくなるほどであった。

「悪いが、遊んでいる場合ではなくなった」

『逃がすかよ!』

『逃がさん!』

『もちろん、逃げない』

 魔獣化し、両者を圧倒する加納。瞬間的にイヴリースの力を引き出し、彼らに抵抗の隙すら与えぬ蹂躙劇。さしものしつこさも、物理的欠損には敵わない。

 上半身と下半身を分けてやれば、いずれ再生するとしても、すぐには動けないだろう。殺すのはいつでもできる。今は、最優先すべき相手を潰す。

 そうこうしている内に、何もせずとも希望が絶えそうではあるが。

 加納は周辺の刀剣を次元の狭間に収集しておく。クラウンの術理を自分の持つ能力で模倣したのだ。あれとやり合うなら、潰れ役はいくらいてもいい。

「最後の敵が、私の生んだ転生者と言うのも、なかなか趣深い」

 加納恭爾自ら、幕引きに動く。


     ○


 キングが足りなかった力を補う。それによって宗次郎はさらに速さへと力を注ぐ。もはや、操り人形でしかないニケでは追いつけない。

 圧倒、そう言って遜色ない強さであった。

 もしかすると、今の宗次郎ならば加納にも届き得るのではないか、そう思えるほどに。力と速さ、そしてセンスを束ねた最強の剣士が躍動する。

 そこに――

「そこまでだ」

 加納恭爾自ら、立ち塞がった。

『上等だ! さっきまでの僕だと思うなよォ!』

 加納は先ほどと異なる手応えに笑みを消す。確かに強い。確かに速い。だが、加納が見えぬほどではない。反応できないほどでは、ない。

 何よりも――

『小賢しいんだよ、お前の剣はァ!』

「そう、私は小賢しいのさ」

 あえて斬られ、同じように宗次郎を斬る。こんな理不尽極まるカウンターでも、加納ならば出来るのだ。何故なら、宗次郎の振るう剣は彼にとって克服したモノであるから。そうなれば、削り合い。

「やはり勝てんよ、剣士では、私に」

『うるせえよ』

「それに、後ろ、ニケが野放しになってるけど、良いのかい?」

『後で斬りゃいいんだろ?』

「ふふ、非情だな」

 切り結ぶ。先手は常に宗次郎だが、後手でも十分アドバンテージを取れてしまうスペックの暴力によって加納は優位を取る。

「彼らは仲間じゃないのかい?」

『僕の仲間は竜二君とキングだけだ』

 宗次郎は本陣など見ない。見る必要がない。見る余裕もない。ここで死なば、誰も加納を止めることが出来なくなる。何を捨てても、加納を討たねばならない。そもそもあのニケは、じきに死ぬ。

 天才二人が打ち鍛えた剣で、天才二人が断ち切ったのだから。

『あんなもん、ぶっ壊してどうするんだよ? 勝手に壊れるだろ、あれ』

「召喚陣のことかな? であれば、勝手に壊れるよりも、私が壊した方が、面白いと思っただけだ。まあ、どちらにせよ滑稽なことには変わりないが」

『滑稽?』

「この期に及んで明日に頼ろうとする浅ましさ。希望とやらに縋る、醜い羽虫。まさに人間だ。私の知る人間だよ、彼らは」

『何言ってんだよ、テメエ』

「理解できないかな」

『あいつらが呼ぼうとしてんのなんて、関係者だろーが』

「……どういう、ことだ?」

『ハハ、賢しいのに阿呆だな、テメエ。最初っから、徹頭徹尾、あいつらの頭には一人しかいねえよ。希望見せた張本人に縋って、何が悪い』

 宗次郎の言葉に、加納は貌を歪める。

「何を、言っている。そんなことはありえない。あの男は、死んだ。私に敗れ、消え去った。何をしても、この世界には戻ってこない!」

『知らねーよ。でも、願いなんてそんなもんだろ。道理じゃねえ、理屈じゃねえ。僕が竜二君に、キングにもう一度会いたいってのは、当たり前だろ?』

 無意識の、集合体。

 加納恭爾はここに来て初めて悪寒を覚えた。負ける要素などなかった。イヴリースを御し、大獄へ赴いた時点で勝利は確定だった。

 希望など、なかった。

『おい、隙見せるなよ』

 宗次郎の剣が、加納を断つ。

「隙では、無い」

 加納もまた宗次郎を断つ。剣の出来の差か、受けるたびに折れ、砕ける剣。オドをまとわせてもなお、その結果は変わらない。

『舐めんな、ラスボス。僕が前にいるんだぜ? テメエはここからびた一文動けねえよ。精々指くわえてみていろ、あのカスどもの足掻きを』

「……邪魔だ」

 彼らが何故、最後にあんな策を選んだのか。運命を賭すにはあまりにも粗まみれ、そんな愚策を進退窮まったとて、彼らが選ぶだろうか。

 普通は選ばない。選べない。

「君では私には勝てない」

『それも知らねー。僕がテメエをぶった切りたいって思ってんだ。なら、止まらねえよ。僕を止めたきゃ、殺し切ってみせろ、大魔王!』

 それでも彼らは選んだ。それはもう、祈りと相違ない。

 祈る先は、神ではなく――

 この世界に火をつけた男であるのは、何もおかしくは、無い。


     ○


 必死に、足掻いた。

 結果として、召喚陣は敵の手に触れることは、なかった。

 何もせずとも、崩壊してしまったから。

「ごめんなさい。ごめんなさい。私、何も出来ませんでした。貴方にひどいことを言ってしまって、どうしても、何か、役に立ちたかったのに」

 フランセットは、召喚士たちは、崩れ落ちる。

「ごめん、なさい、ゼン、様」

 また一人、また一人、心が折れていく。

 最後の希望が、崩れ落ちるさまを見て。

 世界中がそれを見ていた。希望が失われていく様を。絶望が心を覆う。皆、出来ることをした。やり切った。それでも、届かなかった。

 ゆえに、最後はただ、祈るしかない。

 ほんの少しだけ、アルスマグナが膨れ上がる。もはや手立てがない以上、リソースがあっても意味はない。何の、意味もない。

 ただ、絶望を前に、心の拠り所を浮かべた、想いが集っただけ。

 それを見て、クーンは動き出した。

「ここだろ、奇跡が起こるとしたら、ここしかない!」

 槍を携え、一目散にばく進するニケに向かって走り出す。

「皆、積み重ねた。必死に、積み上げた。それでも届かなかった。でも、恥じる必要はない。それはとても凄いことだ。尊いことだ!」

 クーン・パイ。その名を胸に――

「笑えよ世界! 胸を張れ! そして、サイコロを振ろう! 大丈夫、大丈夫だとも。いつだって運は、積み重ねた者に微笑む。仮初めのそれは、本物には届かない。それは歴史が証明してきた。今が、その時だ!」

 クーンは万感の思いを込めて、それを叫ぶ。

「リ・バース!」

 事象を反転させる能力。本来であれば様々なことに使える能力ではあるが、クーンは自身の能力をただ一つの用途に定義した。

 それは自身の家系、パイ家の業。運を操り、天へと上ろうとした不届き者への罰。今なお続くそれを反転させる。そのための力であると。

 当然、罰を反転させるのだ。コツコツ積み上げてきた返済資金を、一気に切り崩すに等しい。だからこそ、極力勝負所以外には使わないと決めていたのだ。

 自らの、欲のために使えば、きっと先祖は許さない。

 だが、世界のために使うのであれば、誰かのために使うのであれば、きっと皆、もろ手を挙げて賛成する。理不尽な業である、初代はともかく次代以降にとっては大きなとばっちり。それでも皆、笑って受け入れた。

 天運によって地に墜ちた。地に墜ちたからこそ、自由を謳歌できる。

 彼らは、知っている。

 世界の先端に立つ者たちを。彼らは人であるのに、人であること許されぬ世界で一番不自由なる者たち。彼らの犠牲があって、世界が在る。

 この不幸は、彼らの不幸に比べれば、何とも生温い。対価にすらならぬもの。だから笑って受け入れ、彼らの分も謳歌する。

 そして、

『いつか、本当の意味で、対価を支払うべき時が来る。その時には躊躇うな。ただひと時、ただ一代、何の苦悩もない。初代様は我らに済まないと遺したが、何を隠そう我らはクズの家系だ。全員漏れなくちゃらんぽらんの風来坊。お前もきっとそうだろう。だからこそ、その時、我らの時間を捧げよ』

 不運よ、悪運よ、目に見えぬ、されどそこに在るものよ。

 今こそ応えよ、我、ハースブルクに連なる者也。

「全部吐き出せ! そのために僕は、ここにいる!」

 クーンはニケに突っ込む。この怪物にとっては羽虫ですらない、虫けら以下の存在。ただ、目の前に来たから、払うだけ。

「今が、清算の――」

 クーンが凄絶な笑みを浮かべた瞬間、ニケの腕に当たり、男は原形を留めぬ肉塊となり、爆ぜ消える。槍だけは宙を舞う。

 何も起きない。当然、ニケの足も止まらない。

 誰もが諦めた。

「ふざけんじゃねえぞ! ニケェ!」

 全員が、怪物を集中砲火するも、血まみれでまい進する獣の足は止められない。女王が突っ込むも、ほんの少しの足すら、緩めることも出来なかった。

「テメエの名は、そんなに、安くねえだろーが!」

 ニケは止まらない。しがみ付こうとする女王を振り払い、さらに進む。もはや、止められる者は誰もいない。

「させません!」

 フラミネスが死力を尽くし、大樹の根を操り押し止めようとするも、やはりニケを止めることなど出来ず、根は千切られ、砕かれるだけ。

 終わり、世界中全ての者が思った。

 その、最後のひと時まで、『コードレス』は目を見開く。世界中に、今この瞬間を繋げ続ける。目など、瞑ってなるものか。

 世界を絶望が包む。

 加納の再生力が増す。宗次郎は歯を食いしばり、耐えているが、継戦能力の差が圧倒的過ぎた。絶望こそが彼の根源なれば、今この時、負けるわけがない。

 ニケが到達し、これですべてが、終わる。

 だが、その確信は、この世界で加納だけが望むエンディングは――

「……あれは」

 絶望の淵に立たされた者たちが、祈った何かに遮られた。

 召喚陣が、光り輝く。

 崩壊し、今にも消え入りそうだったそれは、まるで別物のように紋様を、術式を重ね、天に瞬き、七色と化す。

「え?」

 フランセットは、皆が、それを見た。

「く、く、ざまーみやがれ」

 ロキは圧し潰されながらも、大笑いした。人の祈りが絶えかけた時、それを媒体にして世界の祈りが重なったのだ。

 これが笑わずにいられようか。

「砕け、ニケェ!」

 加納恭爾は叫ぶ。あれから、何が出て来ようとも今の加納ならば勝つ自信はある。負ける気はしない。第一でも第二でも、第三でもいい。

 だが、加納恭爾は予感していた。ただ一人だけ、絶対に、絶対にあそこから出てきては成らぬ者のことを。それでは、持論が崩れ去ってしまう。

 それは、世界がお墨付きを与えたということ。

 証明、されてしまったということ。

「断固阻止しろォ!」

 命令を受けずとも、ニケは召喚陣に接近し拳を振り上げていた。間に合わない、必死で抵抗を再開しても、この怪物は止まらない。

 この拳が、希望を断つ。

「「やめろォ、ニケェ!」」

 アルファとパラスの叫びが重なる。

『かっか、うるせえんだよ。頭でっかちども』

 拳が、寸前で止まった。

『ここで残りカス全部、使うぜ。悪ぃな、シン、その貌が見たかったァ!』

 もはや消え去っていたはずの本来のニケが、全身全霊を賭してこの一瞬、獣を止めることに全てを注ぐ。震える五体、されどその拳微動だにせず。

「馬鹿な、ニケなど、とうに」

 加納恭爾の誤算。

 この戦場に臨む前、消したはずのニケ・ストライダーがまだ残っていたこと。たった一瞬、勝機を見計らい、ずっと伏して待ち望んでいたのだ。

 この時を――

『さあ、この俺様がおぜん立てしてやったんだ、カスみてえな英雄じゃ認めねえぞ。あいつみたいな、最強で、最高な――』

 ひと際、召喚陣が輝き、その先から何かが現れる。

 銀色の閃光、その正拳突きは――

『なあ、オーケン――』

 ニケの身体を突き破る。

 そしてまた一人、英雄がこの世界に降り立った。

 その姿に、輝きに、誰もがあの英雄を思い浮かべた。三人目として皆を引っ張った第三の男ハンス・オーケンフィールドを。

 腕を組み、仁王立つ姿は、皆の思い浮かべる英雄のそれ。

 完全にニケの人格を失った獣はその英雄に向けて戦意を向ける。皆が、呆然と英雄の一挙手一投足に注目する。今度の英雄は、この怪物をどう捌くのか。

 だが、その男は片目を輝かせ、

「ふんがァ!」

 およそ英雄らしからぬ叫びと共に獣を鎖で拘束、そしてあろうことかあの巨体を空中に放り投げたのだ。

 そして、お腰に付けた何かを手に持って、引き金を引いた。

 連続する炸裂音。別の時代から来た者たちだけが、あれが何かを知っていた。俗に言うライトマシンガン、本来片手で扱うものではないが、英雄は腰だめに構え二丁でぶっぱなしていた。魔力が込められた弾丸が、獣をぶち抜く。

 幾重にも、幾重にも、蜂の巣のように、穴だらけとなる獣。

「……銃、強いな」

 どこか暢気に、自分が打ち倒したのにもかかわらず、びっくりしている英雄。その間の抜けた感じに、皆はあの男を思い出す。

 絶対にありえないことである。彼は死んだ。一度死んでいなくなった英雄がこの地に戻ってきたことはない。ただの一度としてなかった。

 だから、誰も彼が来てくれるとは思っていなかった。そう理解していたが、理解していてなお、最後の最後で思い浮かべたのは、あの傷だらけの男の背中。

「ばふん!」

 勢いよく、その英雄の隣にやってきて、何かを差し出すフェン。

「ありがとう、世話をかけた」

 それを受け取り、英雄は魔術式が浮かぶ目に、『彼』を装着した。

『……夢でも見てんのか』

「寝惚けているな、相棒」

『お前、あれだぞ、オイラはなァ、ジョークグッズなんだ。ユーモアの塊でよ、おちゃらけて、ナンボなんだよ。頼むぜ、相棒』

 英雄の目から流れる涙。

『これはあれだぜ、おしっこだ』

「すぐに止めてくれ」

『へへ、やなこったい。相棒が悪いんだぜ』

「そうか。悪かったな」

 そして、英雄は真っ直ぐと自身の大敵を見据える。

『ぐじゃ、あーっと、今日は何しに異世界へ?』

「今日は、偽善を、いや、正義を成しに来た」

『ワォ、珍しい』

「皆から託されて、俺はここにいる。今日だけは、正義の味方だ」

 貌を、誰よりも歪めた大敵、加納が睨みつける中、英雄はずいと前に進み出た。威風堂々、まさに英雄と言った出で立ちで――

「今度は勝つぞ、加納恭爾ィ!」

 第四の男、葛城善現る。

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