最終章:圧倒的、絶望
時は少し遡り――
「……『ドクター』、診察してくれ」
「ヴォルフガング、ずっと引きこもっていたのに、どうし――」
問うている最中に、つう、と口の端から血が流れるヴォルフガングを見て、『ドクター』アーサーは絶句する。
「俺の部屋に来い」
「ああ」
その異常を、受け入れているような貌に、アーサーは顔をしかめる。これは知っている貌なのだ。今、自分の身に何が起こっているのかを。
知った上で、確認しに来た。
自分の、終わりを。
診察を終え、ヴォルフガングはまた楽器しか置いていない部屋に戻って行った。幾度も止めたが、調律しないと、の一点張りで、拒絶されてしまった。
しばし、時間が経った後、『ドクター』の診察室にアルファがやってきた。
「急ぎの要件だって聞いたけど、何の用だい?」
「ヴォルフガングの体調がな、どうにも雲行きが怪しい」
「それはあんな生活をしていれば体調も崩すだろう」
「そういうレベルの話じゃなく、生き死にの話だ」
「……どういう、ことだい?」
想像していなかった言葉に、アルファは表情を曇らせる。
「詳細は不明だ。身体自体には、何の異常もない。健康体なんだよ。だが、体調は悪化している。そしてその症状は、長く患っていた持病と一致するそうだ」
「それはありえない。僕らの身体は召喚士を素体にしている。実際に、怪我や持病の影響を感じなくなった者たちだっていたはずだ」
「ああ。承知しているよ。ヘルニアやら喘息やら、こっちに来てなくなったって喜んでいたやつは何人かいた。だから俺も、ありえないと思ったさ」
だが、実際にヴォルフガングは咳と共に血を吐き、弱っていた。身体に異常が見受けられないのに、である。
「……訳が分からない」
「推論ではあるがな、元の身体の影響ってのはゼロじゃないんじゃないか? 奴さんのは不治の病で、すでに余命宣告も受けていたらしいからな」
「不治の病ならば、か」
「ああ。んで、重要なのが、その尺度が俺たちの世界ではなく、あちらの世界基準ってことだ。ヴォルフガングの病は、俺らの世界であれば、治る」
「え?」
「症状を聞く限りな。俺らの世界ではずっと前に流行って、耐性が出来ていた病だ。ま、その後変異して猛威を振るいかけた伝染病って聞けば、わかるだろ?」
「……ああ、あれか。忌み名となった国の、数少ない、表立って言の葉に乗せられる功績だね。あの国だけの成果ではないけれど」
「長く、何代にも渡る研究の成果だ。携わった連中にゃ尊敬しかねえよ。あいつの病は、二つの世界における誤差の一つだったわけだ」
「こっちじゃ治せないのか?」
「おいおい、きちんと話を聞いておけ。あの体は、健康体なんだよ。治しようがねえ。病に侵されていれば、何とかして見せるさ。『キッド』たちが遺した設備も応用すりゃ、環境的にも問題ないからな」
問題は、そもそもヴォルフガングが見た目の上で健康体だということ。
「……ヘルニアや、喘息だって、落ち着くことはあっても治るものじゃない。影響を与える境が、わからないな。今更、こんなことに悩まされるなんてね」
「本当にな。まあ、考えたところで答えは出ないだろ。とりあえず『轟』無しの戦い方も考慮しておいた方が良い。伝えたいことは、そんだけだな」
「わかった。考えておくよ」
内密の話は終わり、アルファは退出しようと身を翻すが、ふと――
「ヴォルフガングには、どう伝えたんだい?」
芽生えた疑問符を、投げかけた。
「昔から誤魔化した言い方が苦手でな。正直に伝えたよ。俺らの世界でなら治る病だが、今のお前は見た目上健康体だから治せない、ってな」
「……そうか。医者というのは、辛い職業だな」
「馬鹿言え。辛いのはいつだって、患者の方だ」
「……そうだね。ぶしつけな質問で済まなかった。失礼するよ」
アルファが去り、『ドクター』は一人煙草を吹かす。こういった趣向品もかなり数を減らした。元々ヘビースモーカーの英雄が遺したものだったらしいが、もはや趣向品を栽培する余裕などこの世界にはない。
これも大事に大事に、ストレスがたまった時にだけ、と吸っている。
「……泣き叫ばれた方が、楽なんだよなァ」
診断を下した時、ヴォルフガングはただ頷いた。
おそらく、覚悟は出来ていたのだろう。話を聞く限り、それなりの付き合いらしく、死ぬ覚悟は出来ていた。だからこそ、彼はこの世界を謳歌していたのだろう。跳ね回り、奔放に、誰よりも激しく生きようとした。
もう、生きられないことを知っていたから。
「……悪いな、アルファ。少しだけ、嘘ついたぜ」
アーサーは先ほどの光景を噛み締める。診察を下し、その上で彼は緩和策を提案していたのだ。それは、おそらくこの世界にいる限り、延命できる方法だった。根本的に治すことかなわずとも、今まで通りには戻せたはずなのだ。
『俺は、お前さんに関して今まで少し疑問があった。魔力の流れってのはな、個人差はあるもんだが、お前さんのは明らかに、別の場所に流れていた。供給していたわけだ、別の場所、おそらくは、元の身体に』
診察の、真実。『ドクター』が辿り着いていた、答え。
彼は状況から推測を立てていた。
『…………』
ヴォルフガングのみならず、英雄と呼ばれる者たちの身体はどこかに保管されている。身体は間違いなくこの世界の召喚士が素体。精神と呼ばれるものだけ繋がっているのか、その辺りはわからない。わからないが――
『もう一度そちらに流せば、病の進行は収まる。推測で申し訳ないがな』
『そうか』
彼の魔力が、体の保存に一役買っていたのは、おそらく間違いない。彼の言い分では余命自体、この世界にいる間でとうの昔に尽きていたらしい。
『でも、それは出来ない』
『なんでだ?』
『それは未練だ。未練を抱えて、俺は舞台に立つことは出来ない。舞台で全部をさらけ出し、命を燃やし尽くすのが表現者だ。それをしなかったから、俺は弱かった。戦場に、弱い俺は、『轟』は要らない。要るのは、俺だ』
覚悟を決めた貌。これが一番、医者に効く。
胸に、沁みる。
『ありがとう。準備が済んだら、その方法で本番まで持たせるよ』
『ヴォルフガング!』
あの貌は、あの笑顔は、
『ただ、ちょっとだけ、そっちの世界で生まれていたらな、って思ったよ。いけないな、これも、未練だ』
胸に、刺さる。
アーサーは思う。おそらく、彼らの文明は完治ではなく保存療法の発展であの病を防いだのだろう、と。防ぐというよりも、留めるだが。
根絶ではなく、水際対策。それもまた医療ではあるが――
(……この技術が、シン由来のものならば、意外と医療は発展していなかったのか?いや、そもそも、本当の意味で彼らは発展していたのか? わからなくなる。一つだけわかるのは、どこも、世知辛いなってことか)
治せるはずの患者を前に、何も出来ない自分の無力が、刺す。
こればかりは、慣れない。
○
「もう、限界か?」
問いかけるベリアルの眼に何の色もない。
「いいや、俺は、まだ、生きているから」
血を拭い、土気色と化した顔を歪め、笑みを造る。
「魔法使いふた柱が落ちる前に、おそらくアスモデウスが到達する。隙が生まれるとすればその一瞬、シン・イヴリースにだけ集中しろ」
「送ってくれるのか?」
「送り、俺が盾と成ろう」
「……助かるよ。あれに通さないと、俺が生きている意味がない」
「礼を言うのはこちら側だ。よく、眠れたのでな」
「……?」
「素晴らしい音色だった。あれほど豊かで、穏やかな睡眠は初めてのことだ。いいものだな、音楽というものは」
「……そう言ってくれると、救われるよ」
ヴォルフガングは笑みをこぼし、最後の局面に備える。
ゼウスはルシファーとシャイターンが止めている。後ろのことは今、捨て置く。運否天賦は彼らに任せ、自分はか細いながらも存在する勝ち筋を狙う。
近づき、音楽さえ通せば、勝てる。
問題は、音ではなく音楽を通すまでのタイムラグ。ベリアルのサポートがあるにしても、間違いなくあの男は自分を警戒している。
何しろ、魔法使いふた柱を相手取ってなお、感じるのだ。
あの男は、自分を見ている、と。
「信じろ、培ってきた全てを。最後の舞台に、捧げる」
ふと、暑苦しい手が自分を押してくれたような気がした。自分がやりたくても出来なかったスポーツで頂点を極めた男。気に喰わない、相手だった。
でも、自分が何者か知っているのに、彼は最後の最後までそうしろとは言わなかった。自分のことを知っていたから、病のことを知っていたから、だから、言わなかった。最後の、最後までは。
だからこそ、託されたモノは背負いたい。充分、出来なかったことは出来た。やりたいことばかりをやった。満足である。
「見てろ、『ヒートヘイズ』。本当の、『轟』を見せてやる」
その分を今、世界に返そう。
○
加納恭爾は魔法使いとの攻防で足を止められていた。世界の上限、見え透いた天井ではあるが、これを突破できるのは限られし怪物のみ。今の自分でさえ何とか頭一つ、二つ抜けているだけなのだ。
まあ、魔法使い相手であれば頭の先一つ、抜け出ているだけで絶対に勝ててしまうのだが。だからこそ、時間はかかるがここに集中する意味はない。
警戒すべきはその外――
(ヴォルフガングは最後の紛れを狙うだろう。アスモデウスの介入辺りで、仕掛けてくるはず。そこは、良い。警戒に値するが、読める)
問題はその先、今、シルヴァンスの森で行われている儀式。
(英雄召喚、ほぼ無意味だろう。如何にリソースを投じたとて、実態は転生ガチャ同様、当たりの確率は低い。クラウン流に言えば、英雄ガチャ、か)
ほぼ無意味。ただの博打でしかないそれに総力を結集する意味は、まさに万策尽きたと言ったところか。それでも、賭けに出るには少々、早い気もした。
(ほぼ無意味。ほぼ……阻むには充分な理由だ)
ほぼすべての手札が開示された今、真に警戒すべきは手札の補充である。ほとんどコモンのカードであっても、稀にレアが混じることもあり得る。
だからこそ、加納は転生ガチャでの増員をしなかったのだ。
第二の葛城善を、生まぬために。
(アルスマグナの供給先を変更、対象は――)
加納は、嗤う。
○
エル・ライラの矢がニケの眼に突き立つ。試練前であれば眼であろうと届かなかったであろう光の矢じりが、届いた。
獣でしかないニケは悶絶する。その隙に――
セノイ隊長率いるエルの民の戦士たちが一斉に刃を突き立てる。一撃を叩き込み、離脱する。少しでも本陣に近づかせぬために、抗う。
「強き王だ! だが、我らは負けぬ! エルの民の威信を示せ!」
「応!」
ニケが暴れるだけで、反応できなかった戦士が死ぬ。同胞がボロ雑巾のように、ぐちゃぐちゃになる様は、さらに彼らを燃やした。
最も深きところまで到達したニケであったが、最終防衛ラインを抜けるには至らなかった。エルの民のみならず、
「我らも戦え! 臆するな、骨は誰かが拾ってくれる!」
「承知ィ!」
人の騎士たち、魔術師たちも前線に顔を出し、火や雷などの攻撃を繰り出す。まさに総力戦、絶対にここは超えさせぬという強い意志があった。
種族を超えたこの世界に生きる者たちの執念、そして鍛冶師たちの工夫、あらゆるものが一つとなって、シンの軍勢の足を止めていた。
「誰も、近づけさせない!」
きっと、今頃悔やみ、嘆いている友がいる。だからさすらいの弓手ルーは誰よりも多く、空から来る敵を打ち落とす。友に造らせた弓、不得手なのだとグチグチ言っていたが、手になじむそれは今までの何物よりも使いやすい。
シン・イヴリースには届かずとも、彼女たちが創り上げた作品が、彼女たちの作品をもとにして改良された武具たちが、この戦場を支えている。
『不謹慎ですが、素晴らしい光景ですね。トリス』
『うむ、であるな』
微笑むエル・メールは光と化し、接近。獣の反応よりも速く実体化し、光の刃を握り、ニケの腕を両断する。
もはや死に体なれど、まだこれぐらいはやれる。確かな手応えにエル・メールは笑う。次は空の敵を討つ。この身、枯れ果てるまで――
『ギャアアアアアアアアアアアアア!』
ニケの絶叫にも似た、悲鳴。
それは――
『え?』
腕が断たれたからでは、なかった。
ごうん、断たれたそばから再生した腕が、エル・メールを薙ぐ。彼女が、反応できぬほどの速さ、光と化す判断すら間に合わず、
「……ババア?」
エル・メールは、胸から下を喪失していた。はるか遠き地で、びちゃりと彼女の体を構成していた肉が赤い花を咲かせる。
「め、メール様ァ!」
「逃げなさい!」
心配するエルの民に、エル・メールがかけた言葉は逃げろ、の一言。とても的確な指示だった。だが、それに反応するより早く――
ニケは絶叫を振りまきながら、のたうち回るように暴れ出す。その破壊範囲にいた者たちは、種族の区別なく、肉塊と化した。
セノイは呆然と、同胞が散る様を見つめていた。自分が切った場所、皆を逃がすために切り捨てた場所が、切った端から再生し膨張を始めたのだ。器に、入り切らぬほどの中身を流し込まれたかのような、醜悪なる獣。
言葉にならぬ絶叫が響く。
『逃げろ!』
呆然とする騎士を押し飛ばし、ヒロが割って入る。自分は魔人クラスでもそれなりのスペックを誇る存在。全力で、ガードを固め、魔力を注ぎ込めば、一発ぐらいは防げるはず。そう思って、割って入ったのに。
『嘘、だろ?』
ガードを固めた腕が、消し飛んだ。意図された攻撃ではない。ただ、暴走して暴れ回る途上に騎士がいただけ。ヒロがいただけ。
威力が、破壊が、強く、速過ぎた。
ある意味、そのおかげでヒロは生きている。腕だけで済んだのは、下手に耐久してしまい、身体ごと持ってかれなかった、それに尽きる。
『やべえ、ユーキさん、俺、ちびりそうだ』
突如、発狂しだしたニケは、さらに膨張する。
『ガン・ブレイズ!』
神の炎、トリスメギストス最大火力は、毛ほどのダメージも残さずに耐えられてしまう。トリスメギストスは顔を歪めた。
その攻撃が、ニケの意識を引き付けてしまったから。
掻き毟るほどに痛いのか、その怒りを、痛みをぶつける相手を、見つけてしまったから。その瞬間、トリスメギストスは本陣から飛び立った。
不味い、そう感じた瞬間に――
『アアアアアアアアアアア!』
だが、それすら遅かった。仕掛ける前に、飛んでおくべきだったと、トリスメギストスは、己の軽挙妄動を恥じる。長く生きても、このザマ。
ただのオド、魔力そのものを放出しただけの原始的な一撃が、手前の森を、トリスメギストスを、その直線方向の大樹を、吹き飛ばす。
「あ、ぎィ!?」
本体であるフラミネスが悲鳴を上げるほどの、破壊規模。
当然、トリスメギストスもまた羽虫の如く吹き飛ばされる。搦め手有りならばそれなりに強い王クラスとも渡り合える男が、鎧袖一触である。
膨れ上がったニケが暴走する。
「通さねえよ!」
復活した『クイーン』が突っ込む。先ほどは圧倒した相手。それなのに、今度はびくともしない。無理やりスペックを限界以上まで引き上げた、最強の器。その重さに、パラスは「ふざけんな」と零した。
尻尾の一振りで、女王が吹き飛ばされる。
これにも害意はない。
血を吐き、苦しみ、のたうち回りながらもニケの眼はただ一点を見つめた。加納の命令を正しく理解したのだ。この苦しみから解放される方法を。
あの大樹に、抱かれるように守られている場所。巨大なアルスマグナとそれを囲うように並ぶ召喚士たち。滅ぼすべき相手を見つけ、ニケが吼える。
浮かび上がる魔術式を、破壊する。
『死んどけ、デカブツ!』
超スピードで突っ込んできたフェネクスが、目玉を抉る。痛みに揺らぐも、それでも獣の眼は真っ直ぐに本陣を見つめる。
「私にアルスマグナを繋げ!」
『コードレス』へ、急いた声が届く。その瞬間、彼女がどういった状態であるか確認することもせず、『コードレス』は彼女に魔力を流す。
「乱戦で十分に冷却出来ていないところ悪いが、絶体絶命のピンチって奴だ。スーパースタァとして、ここは見逃せないチャンスさ」
「……シン・イヴリースを討った機構になるつもりだったけれど、それは譲ろう。ボクを使い切れよ、スーパースタァ!」
「ああ!」
もう一度、奇跡の一撃を。
「バスター・エクセリオン!」
虹のきらめきが、膨張したニケを穿つ。血が、噴き出る。まるでそこが血の池であったかのような、凄まじい量の血流。
だが、充填が十分ではなかった。
それ以上に――
「……ほら、見ろ。私は、スタァだろ?」
ニケは咆哮と共に進路を変えた。この場で誰よりも煌めいた、スタァ目がけて。
冷却が間に合わず、融解した機構と義手はすでに機能を終えていた。ライブラ、記憶し、記録するための機構は、沈黙する。
そして星もまた、奇跡の代償によって焼かれた自身の半身を、見つめる。もう、いくら彼でもこんな姿を好いてくれはしまい、と嗤った。
立てない。出し尽くした。
『ガァァァアアア!』
ニケの拳が、星を――
「ふざ、けんなァ!」
そこに割って入ったのは『水鏡』アリエル。剣の切っ先に、全ての魔力を集中させ、自身最高強度の『水鏡』は生んだ。
「勝手に、諦めてんじゃないわよ! まだ、終われないでしょ! 私たちはまだ、何も救っていない! 何も成し得ていない!」
凄まじい力の奔流が、狭間で揺れる。
天秤が傾いた方を、力は飲み込むだろう。
「舞台から降りるな! 女優なんでしょーが!」
「……君は、空気を読まないね」
シャーロットもまた輝く。残った力全部を注いででも、ニケから熱量を奪い少しでもアリエルを援護する。
「ここはヒロインが無念の死を遂げるところさ! そういう脚本だったのに、君って奴のせいで、勝たなきゃ死ねなくなった!」
「今時悲劇なんて流行んないのよ。時代は、笑えるの!」
「合点承知!」
二人のヒロインが、ヒーローが、力を合わせ――
「「あああああああああああ!」」
天秤を傾けた。
『ガァ!?』
自らの力で、吹き飛ぶニケ。『水鏡』がニケを凌駕する。
ただし、その代償でアリエルの剣は折れ、それを支える腕も折れていた。最後の一瞬は執念で押し切った形である。
「まだやれる?」
「……君がやるなら、ね」
そんな身体であっても、真っ直ぐと前を向くアリエル。その背を見て、負けじとシャーロットも立ち上がろうとするも、義足が機能してくれない。
「肩、貸してあげるわよ」
「余裕だね」
「ま、私の能力、今みたいなのじゃないと腕とかいらないし」
「奇遇だね、私もだ」
二人で立ち上がり、超再生するニケを見つめる。
どんな絶望も諦める理由にはならない。彼女たちは知っている。最後の瞬間まであきらめずに、一矢報いた男のことを。
「見ていなさい、ゼン。私たちだって、足掻いてやるわよ!」
「おっと、聞き捨てならないね。見せつけるのは、私の方さ」
精一杯、強がって、それでも彼女たちは凛と立つ。
○
「ババア、冗談、だよな」
「……ロキ、ですか。すいません、見ての通り、です」
「要らねえんだよ、そういうの。テメエは、強かったじゃねえか! 唯一残った神族の戦闘タイプで、薄まった連中よりも長く生きるって、長く生きてしまうって、そう言ってたじゃねえか! 嘘ついてんじゃねえよ!」
「本当に、ごめんなさい」
ロキが抱くエル・メールは虚ろのように重さを感じさせなかった。重さが、血と共に流れ出ていく。それを止める術は、無い。
「貴方は、優しい子だから、私が、つい零してしまった、本音を拾ってしまった。私の不用意な一言が、貴方を不死に駆り立てた。ずっと、謝りたかったのです。私はただ、貴方に、何者にも縛られず、生きて欲しかった、だけなのに」
「見とけババア、俺の魔術はすげえんだ。何だってできる。どんなことも、出来るんだ。だから、ビビんじゃねえぞ。俺様の――」
「もう、良いのよ、ロキ」
存在しない手で、ロキの頬を撫でるエル・メール。
「生きなさい。長くなくてもいい、納得できる生涯を、幸せに、なってくれたら、私は、それだけで、嬉しいの」
「やめろ。待て、頼む。待ってくれ、それじゃあ、俺は何のために、何のために、このフィフスフィアを、得たって――」
「あいしてる」
血の繋がらぬ、されど最後の息子ロキを慈しみ、エル・メールは消えた。
彼女の重さは、もう、この世界にはない。
「ババア、俺は、長く生きれるんだぜ。ババアよりも、ずっと、永くだ。死なねえんだ、そう、望んだんだ、俺は、ただ――」
人と魔のハーフ、忌み子であるロキを引き取り、一人の息子として接し続けたエル・メール。直接産んだ子供たちは既に亡くなっていた彼女にとって、最後の息子であった。手のかかる、息子であり続けた。
「ぶっ殺す」
『そいつは無意味だ。やめとけ、相ぼ――』
「俺はテメエの相棒じゃねえ」
その瞬間、ロキの中で何かが切れた。
虚ろ、もう、この世界には何もない。何も残っていない。
ギゾーを放り投げ、ロキは影の中に入る。
『ロキ! ダメ!』
「うるせえ」
『コードレス』の制止は、届かない。
○
アスモデウスは意思を失っているわけではない。ただ、頭が非常にかっかしているだけである。あえて前進を続けているのは、ニケという最強の器に限界を超えて注がれたあの怪物を正面から打ち倒す術がなかったため。
力対力で劣るのなら、今の自分があそこに赴く理由はない。そもそも、間に合わないだろう。ならば、シン・イヴリースとかち合うまで。
『ウォォォォォオオオオオ!』
すでに傷だらけの魔法使い。かつての好敵手たちの姿を見て、アスモデウスは内心哀しくなった。本当ならば、制限下でなければ、彼らが、九大天龍が、魔法使いになるなどありえなかったはずなのだ。
あれは彼らのような強き竜族が行う儀式ではない。何故ならば、制限さえなければ彼らは魔法使いよりも強く、なる必要がないから。
そんな彼らの献身を、無駄にしてはなるものか。
「来たか、アスモデウス。ならば――」
ヴォルフガングたちも動くはず。案の定、ベリアルが動いた。
ここで、勝負は終わる。
「よォ、大魔王」
自称魔王ロキが、加納の影の中より現れる。
「まさか――」
今更この距離で、彼に何が出来るというのか。何故現れたのか、理解できない。彼らの希望は、ことここに至っては本陣に絞られたはず。
「テメエをぶっ殺すぜ」
本気の殺意。その言葉に嘘はないと加納は見る。だが、肝心の方法が見えない。そんなものがあるなら、ここまでで出しているはず。
無防備に、魔術を発動させながら向かってくるロキを、加納は反射的に拳で迎え撃った。打ち込み、初めて加納の貌が歪む。
「俺は不死身だァ!」
恥も外聞も捨て、ロキが加納に抱き着き、拘束した。
ほんの僅かな、時間でしかない。力の差が圧倒的なのだ。それでも一手は遅れる。振り払う時間分、手が遅れる。
「この刹那、万金に値する」
その時には当然、ベリアルが次元を繋げ、ヴォルフガングが彼の射程圏内に現れる。わかっていた段取りである。わかりきっていた、のに。
「邪魔だ」
ロキの身体を千切り、拘束を解除、
『オァ!』
だが、アスモデウスの拳が顔面に叩き込まれる。鼻が折れ、鼻血を垂らしながらも、加納は最優先であるヴォルフガングの処理へと向かう。
『『……ッ!』』
魔法使いの攻撃も、無視。
『ここが唯一の、勝機だ!』
ベリアルが、残りカスの力全てをもって加納の立ち位置を砕く。
「素直に認めよう。私は――」
ヴォルフガングの音楽に、意識が奪われる。真逆である己にすら轟く音楽の強さ、圧倒的強度、加納は素直に称賛する。
この瞬間、加納恭爾は負けた。
だが――
『ねえ、貴方は、どこにいるの? 私たちは永遠の、番い』
敗北の瞬間、あえて加納は切り替えたのだ。心を、主導権を、シン・イヴリースに握らせる、暴挙。彼はコントロールを放棄した。
『ひとりは、いや』
地面をひと蹴り、ただ足を地面に付けただけで、大地がめくれ上がる。オリジナルのシン・イヴリース。その、圧倒的暴力に。
『イヤァァアアアアアアアアアアアア!』
存在が放つ、衝撃、熱量、それらが囲んでいた彼らを飲み込んだ。アスモデウスや魔法使いはともかく、全てを使い切ったベリアルは今度こそ成すすべなく吹き飛び、意識を失う。ロキも当然の如く、バラバラに吹き散り――
ヴォルフガングは自らに突き立つ巌を見て、嗤う。
これは、勝てない。誰も勝てない。勝負になっていたのは加納恭爾であったから。加納恭爾が加納恭爾のまま、勝負をしてくれていたから。
万全の準備をして、迎え撃った前回とは違う。
加納恭爾によって消耗された後に、この怪物と戦うのは絶望以外の何物でもない。勝負にならない。敵を眼前にして、理解する。
「ごめん、『ヒートヘイズ』。俺は、勝てない」
ヴォルフガングは叫びながら能力を絞り出す。自分の中の音楽を、押し付ける。いや、押し付けるだけでは間に合わない。
彼女の望む音楽を、彼女の望む幻想を、与えるのだ。
この絶叫の中、存在による破壊の音を聞き、五体が引き裂かれながらも、ヴォルフガングは彼女に音楽を与えた。求める音を、求める夢を。
それによって――
「私は負けていた」
イヴリースが眠り、
「知るか、結果が、全てだ」
加納が戻る。そして、ヴォルフガングは力なく膝をつく。
「俺の音楽なら、お前の虚ろ、満たせた、はずだ」
「かもしれない。そちらの世界で生まれたなら、私は君を糧に、真っ直ぐに生きられたかもしれないな。本当にこの世は、ままならない」
「……はっ」
加納は、ほんの一瞬でも自分を満たした、理解した音楽の担い手を、思いやりを持って一瞬で破壊する。短い間であったが、彼は、彼らは、加納恭爾には勝っていたのだ。彼女の絶望が無ければ、終わっていた。
『『…………』』
『グ、オオァ!』
「まだ、だァ」
「いささかも戦意、衰えなし、か」
魔法使いふた柱、アスモデウス、ロキ、彼らは諦めずに喰らいつく。
「お相手しよう。君たちが滅ぶか、ニケが成すか、どちらが早いか」
偉大なる音楽家の欠片が舞い散る中、勝敗の見えた戦いが、始まる。
○
絶望的な状況に、絶望が重なる。
「そんな、こんな、ことって」
フランセットは皆で築き上げた召喚陣に、ひびが入っているのを見つける。英雄召喚はとても繊細な術式である。一人で行う時は、針に糸を通し続けるような集中力が求められる。いわんや、皆でやれば、難易度は跳ね上がる。
それでも皆、高いモチベーションでそれを維持していた。
召喚は、もう少しで成功するはずだったのだ。
ニケの一撃、それによって砕かれた大樹の破片が、召喚士の女の子に突き立つまでは。一人欠け、その穴を彼女たちは即、埋めた。
それでも、刹那、空白があったのだ。
それが、ひびを生む。
「うそ、お願い、それだけは、駄目」
召喚作業を続ける召喚士たち。だが、少しずつ、少しずつ、深まるひびを見て、顔を歪ませていく。最後の希望まで、ここで失うわけには。
これでは、何のためにここまで生きてきたのか、わからない。
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