最終章:絶望の底で嗤う者

 ヴォルフガングは一人静かに自分の世界とほぼ変わらぬ打弦楽器を弾き終える。かつての自分にとって音楽は唯一の自己表現方法であった。生まれつき体が弱く、運動などもってのほか。そんな自分に許された唯一無二。

 だが、己の身体はそれすら受け付けなくなってくる。出来たことが出来なくなっていく苦悩、恐怖、いつしか無二の親友は恐れの対象になった。

「……ごめん。もう、大丈夫だから」

 自分への評価も怖かった。他の演奏家に比べ、自分が抜けている自負はあったが、その証明であったはずの知名度、人気が増すごとに、それが偽物であると感じられるようになった。テレビに抜かれる映像は演奏よりも闘病中の方が多くて、演奏ではなく可哀そうな演奏家というストーリーがウケた。そう感じられるようになってしまったから。何も信じられない。何も信じない。

 ピアニストから人気者に、人気者から、ただの人に。全てを拒絶し、緩やかなる終わりに身を委ねようとした時、悲鳴が聞こえた。

 それはこの世界の人のモノであったが、その時のヴォルフガングは自分の底から出たものであったように感じ、手を伸ばした。

 助けたい、救われたい、そんな思いが共鳴し、今彼は此処にいる。

 多くの人物に出会った。一癖も二癖もある連中ばかりで調子が狂うこともあったけど、あっちじゃとりあえずピアノを弾いてくれ、だったのに彼らは察しているのか自分にそれを求めはしなかった。自分も、それに甘えた。

 動く体を全力で稼働させるのは、本当に楽しかった。夢のような時間だった。健康体であることの幸せは十分に享受したし、これ以上はない。

 自分と同じ世界に生まれ、自分を知っている男が最後に託した想い。その重さは、軽くないと思ったから。だから夢の時間は終わりにする。

「今度は異種格闘技戦をやろう。ピアノ対フットボールの。どうやるのかは、わかんないけどさ。それを考えるのも楽しそうだ」

 自分がこの世界に選ばれた理由は、可哀そうな人気者だったからではない。かつての親友と仲直り(チューニング)をして、少年は夢の世界から踏み出す。

「最高の演奏を聴かせてあげるよ、シンの軍勢にね」

 至高の音楽家と同じ名を冠した天才は孤高の山巓へと、至る。


     ○


「ぬっ!?」

「……キタァ」

 キングと宗次郎は同時に刃を止めた。周辺、視界の届く範囲全てが太刀傷だらけの中、二人だけは紙一重、薄皮一枚のかすり傷のみ。

「どうしたんだ、二人とも」

 あれだけ休んだ方が良いと言っても聞かなかった二人が、同時に手を止める状況に最速の配達人を自称するレインは疑問の声を上げる。

「シンの軍勢でござる」

「へえ、感じたことない気配だ。今までと違うね」

「うぅむ、まあ、切れば同じでござろう」

「そりゃそうだ」

 当たり前のように二人は語るが、レインには何も感じられない。周辺にも、当然のように変化はなく、何を言っているのか――

「あ、遠くの話でござるよ、レイン殿」

「南、まだまだ増えるね。数こそ、前の方が多いけど」

「質が桁違いでござるな」

「って言うか異質って感じ」

「しかり」

 己も気配を察する能力は人並み以上だと思っていたが、互いに研磨した彼らのそれはもはや理解の範疇になかった。レインは生唾を飲み込む。

 今の彼らなら、届き得るのではないかと思えたから。

 それに、彼らには――

「では、参るでござる」

「だね。竜二君のかたき討ち、万枚におろさなきゃ気が済まねえ!」

「仲良しさんでござるなァ」

「……別に、そんなことねーし」

「照れ屋さんでござるなァ」

「……やっぱここで殺しとく!」

「なっはっは!」

 おふざけの切り合い。だが、レインはそこに立ち入る気にもなれなかった。もはやじゃれ合いでも、彼らの領域に踏み込めるのは異種族か、同種の怪物のみ。

 天才が覚悟を持って突き抜けたのだ。

「しかし、最後の最後で最高の刃を鍛えて頂いたでござる」

「本気で打ち合っても壊れなかったしね、まあ、良いんじゃない」

「あとはお任せあれ、とお伝え願いたい」

「餅は餅屋、そいつらに代わってズタズタに引き裂いといてやるよ」

 そんな彼らの手にはウィルスとカナヤゴの最高傑作が握られていた。

 キングの手にはウィルス作、武骨にて飾り気のない機能美を追求した切るためだけの刃が握られていた。

銘を、エクセリオン・レイ。ただ断ち切れ、その一念を凝縮した珠玉の逸品である。刃の色は鉄色なれど、その波紋には虹がかかる。

宗次郎の手にはカナヤゴ作、派手な装飾に派手な鞘、何と鞘は鈍器にも使えるとっても丈夫な優れもの、見た目の主張も強ければ、刃自体も真紅とド派手、敵対する者全てを圧倒する刃が握られていた。

 銘を、スーパー・エクセリオン・最強丸。圧倒せよ、名前から滲み出す力強さに違わぬ究極無双の剣。刃は紅蓮、真価は魔力を流して初めて現れる。

「交換しようよ、キング。僕このクソダサネーム嫌だよ」

「とは言っても互いにしっくり来た方を握ったはずでござるが」

「名前を聞いたら嫌になったの!」

「我がままでござるなぁ」

「そもそもスーパー・エクセリオンってのがダサいんだよね」

「え、そっちでござるか!?」

「え、最強丸って格好良くない?」

「……で、であれば最強丸とだけ呼べばいい気が」

「キング賢い! ようし、お前は今日から最強丸だ。んー、かっこいい。キングのはあれだね、地味だしショボいよね」

「か、感想は人それぞれでござるからなぁ」

 宗次郎はぶんぶんと最強丸を振るい、ご満悦の様子。実際、ようやく彼らの作は二人に追いつくことが出来たのだ。打ち合うほどに磨かれ、とうとう極限にまで鋭さを増した二人の傑物。今ならば、夢を見ることも出来る。

 レインは二人の剣士を見て、笑みを浮かべる。

 何度も迷った。皆が、友が、シンの試練に向かう中、自分はサポートに徹したことを。確かに普通の人の中では誰よりも速い自信はある。長距離移動ならば魔族にとて劣るつもりはない。ゆえに適役ではある。

 だが、同時にただの逃げではないかと思うこともあった。実際に、それがないわけではない。戦えると思えば自分も剣を握っている。

 迷いなく試練に向かい、英雄を目指したはず。

「私は、限られた時間の中で、ああ、最高の仕事をしたとも」

 最速で剣士と鍛冶師を繋げる。

 そのおかげで今に至ったのであれば、やはり彼女はその選択を悔いることはないだろう。最善を尽くした。他力本願で何が悪い。

「さて、急いでも相当時間がかかるでござるな」

「そのための肉壁でしょ」

「……その言い草は、好かぬでござるよ」

「どーでもいいって。知らないやつのことなんてさ」

 潔白の英雄ではない。彼ら自身、それを自称することはないだろう。ただの剣士、片方は倫理観が欠如した才あるクズ。だが、そんなもの関係ないのだ。今、この世界に必要なのは潔白たらんとする英雄ではない。

 力ある者、それだけである。

「合流地点に案内しよう。大丈夫、このタイミングなら、想定内ではある」

 レインは顔を曇らせながらも、彼らにそう言った。

 そう、これは想定の内。準備も整いつつある。

 だが、その勘定に犠牲が含まれていないわけでは、なかった。


     ○


 人類はあえて生存圏を広く取り、各国自立することでアストライアーの負担を極限まで削った。それは、攻められた際、彼らの守りを当てにしないというこの世界の意地でもあった。あの日、彼らは決意したのだ。

 勝利のために、可能性のために、希望のために――

「葛城善が変えた? いやいや、変わりはしない。変わるわけがない。それはね、一時の熱だ。世論の流れに沿って、自らを騙しているだけ」

 だが、加納恭爾はそれを否と言い切る。

「私は末期の貌が好きだ。人は極限でこそ、その本性を露にする。多くを見て来たとも、数多の死を、私は演出し、味わってきた」

 加納恭爾がタクトを振る。

「どれほど高潔な人間でも」

 神々しき軍勢が天を覆い、醜悪なる獣たちが地にはびこる。

「どれほど友人想いな、家族想いな人間でも」

 あの時の熱情、それを胸に彼らは決死の想いで抵抗しようとしてくる。なんと美しき光景か、加納恭爾は涙が出てきそうになる。

「末期の貌は決まっている」

 それは幻想でしかないのだと。

「嗚呼、例外はいるとも。まさにアストライアー、彼らはそうなのだろう。私から見れば、彼らのようなイレギュラーを掲げんとする感覚が理解できないが。焦がれる気持ちはわかる。わかるが――」

 鎧袖一触、神々が触れただけで肉が消し飛び、臓腑がまき散ることもなく、まるで救済でもされたかのように崩れ落ちる。

 美しくも残酷な蹂躙。

「君たちは英雄ではない。そして人は、変わらない」

 形勢など初めから決まっている。勝負にもならない。

「救いは来ない。自分たちでそう決めたのだろう? とても高潔な覚悟だ。私もそれに報いよう。全力で、完膚なきまでに、何一つ残さず、滅ぼそう」

 天使の足蹴で、城壁が崩れ城下町の市民が露になる。

 そこに飛び込み、喰い千切り、暴れ狂う魔族たち。制限下であろうと一般市民相手であれば何の問題もなく彼らは蹂躙し尽くす。

 もはや、この国には守り手など残っていないのだから。

「さぁ、夢から覚めると良い。君たちは、ただの人間だ」

 加納恭爾の身体がにわかに、絶望色をまとう。

「これでいい。こうでなくては、人間ではない」

 死への恐怖が彼らの覚悟を砕く。騎士たちは制限かからぬ神々の軍勢を相手に刃突き立てることすら出来ず、塵芥のように吹き飛ばされていく。次第に戦意を失い、気づけば逃げ惑う。覚悟はあった。希望のために、そう思っていた。

 皆で誓ったのだ。明日のために死のう、と。

 それでも目の前の死は、あまりにも無慈悲なる殺戮の軍勢は、

「いやだ、死にたく、ない」

 彼らの覚悟を砕くに充分過ぎた。

「あの日、あの瞬間であれば、君たちは耐えられたかもしれない。死の間際まで、あの愚かなる男の熱に侵されたまま、高潔に死ねたかもしれない。だが、時間はね、何物をも風化させるものだ。形あるモノ、無きモノ、全て!」

 一つの絶叫が、悲鳴が、連鎖していく。

 その度に、シャイターンとの戦いで傷ついた加納の身体が癒えていく。彼らの絶望が加納を癒す。体も、そして心も。

「私に真実を見せろ!」

 人間の本質、死を突きつけられた者の醜悪なる様。本能に抗えず、愛していた家族をも放って逃げ出す人々、守るべき者を見もせずに共に覚悟を、決死を誓い合った友を足蹴に、騎士を自称していた者たちも、狂奔する。

 これこそが真実、人の奥底にある獣。

 これが加納恭爾を癒すのだ。人の奥底にあるモノ、真実の姿、それを見ることで彼は一人ではない、そう思うようになっていた。いつからそうであったかは忘れたが、彼が死をまき散らした動機は孤独感を癒すためであった。

 自分が美しいと思う姿が人間の真実なれば、ある意味自分は正直なだけで狂っているわけではない。狂っているのは社会が押し付ける姿なのだと。本当は皆、自分と同じような感性を持っていて、本当は――

「……くだらない」

 自分が抱きかけた想いを、自ら一蹴する加納。その考えは幾度挫いても、幾度躓いても、立ち上がり続けた『彼』が否定した。

 自分が歪んでいることを『彼』は最後まで突き付けてくれた。

「私に悔いがあるとすれば、そうか、あの時、手を伸ばしてしまったのは、貴方の貌が見たかったから、なのでしょうね。貴方は私の文を見て、自害した時、どんな貌をしてくれましたか? どんな貌で、私を見つめてくれましたか?」

 自分は歪んでいる。

「そんな愚かな想いが、愚かなる女と共鳴したのでしょう。もはや見ることかなわぬ、知ることかなわぬ、ことですが」

 加納恭爾はこれ以上なく、歪んだ笑みを浮かべた。

「貴方が私を殺していれば、こうはならなかった。この殺戮も、悲鳴も、絶望も、共に分かち合いましょう。貴方に捧げますよ、ここからの全てを」

 彼が永劫、自分を憎み、見つめ続けるほどの絶望を。

 そうすれば安心して死ねる。

『あ、ああ?』

「ああ。好きなだけ食べていいよ、ドゥッカ」

『ああ!』

 この世界の絶望を手土産に、そして最後の証明と共に、世界を滅ぼそう。

 そう想うと心が軽くなる。

「やはり、人は、変わらない。かくあるべし、だ」

 絶望が、怪物を癒す。

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