最終章:魔界蹂躙
この試練は精神が限界に至った、という者を機械的に振り落としていくシステムであった。振り落とされた者は意識を取り戻し、ネタばらしを受けるという構造。ちなみにシュバルツバルトのオリジナルは意義が解らない、と秒速で試練を離脱した最短記録を持っているらしい。何の自慢にもならないが。
「……すいません、ゼイオン殿」
「いや、あれに振り落とされたからと言って卑下することはない。残って正気を保っていた連中が怪物なのだ。俺も、とうに限界だった」
肩を落とすアルフォンスをゼイオンがなぐさめる。
「私は、自分が情けない」
あの日見た希望、それを嘘にしないため剣を握った。その忠義に嘘はないつもりだった。だが、結果としてアルフォンスは脱落してしまう。
それは薄っぺらいという証左ではないか、と彼は思ったのだ。
「……俺は、家族のことを想っていた。俺には妻と二人の子がいてな。姉と弟だ。姉の方は妻に似て気立ての良い娘だった。小さな頃から縁談の話が絶えぬほどだ。まあ、全部俺が難癖をつけて破り捨てていたのだが」
何の話をしているのだろう、とアルフォンスが顔を上げる。
しかし、それを語るゼイオンの貌を見て――
「ある時、シンの軍勢が出現し、その征伐のために遠征が組まれることになった。まだ、その脅威が認知されていない時代だ。皆、気楽なものだった。何なら武功を求めていた騎士は喜んでいたほどだ。俺も、その内の一人だった」
そして、話が進むにつれ、
「後継者として息子に現場を見せておこう、と妻と娘を置いて二人だけで旅立った。その遠征の結果は、騎士であれば知っているだろう?」
アルフォンスもまた顔を曇らせていく。
この世界で騎士を自称する者であれば誰もが知っている始まりの悲劇。『大穴』から現れた軍勢と戦うために組まれた精鋭たちが、鎧袖一触、蹂躙されて逃げ帰ってきたのだ。当時はまだ魔族の制限すら認知されていない時代である。
魔界に攻め込んだ者たちは情報を持ち帰ることも出来ず、人々は『大穴』から現れた制限付きの魔族しか知らなかったのだ。
だからこそ、当時遠征に向かった騎士たちへのバッシングはすさまじいものがあった。まあそれも、シンの軍勢の進撃によって消えることになるのだが。
「俺も何とか生き延び、息子と共に故郷へ戻ろうとした」
「……ゼイオン殿の故郷は、確か南の方の――」
「ああ、笑える話だが、俺たちが逃げ惑う速度より、奴らの進撃の方が速かったのだ。騎士団の本部に戻り、お歴々の詰りを受けた後、郷里に戻った頃には、灰に塗れた廃墟だけが、そこに在った」
かつて、人類の生存圏は超大陸全てであった。だが、シンの軍勢が現れて、それこそ瞬く間の間に南側が持っていかれたのだ。
あっさりと、笑えるほどに、人が死に、国が、滅んだ。
「復讐心に燃える俺は、息子を遠縁の親戚に預け、山へ籠り考え得る限りの修練を重ね、英雄を中心として編成された軍勢に参加した」
第二の男が敗れ去った戦争のことであろう。
それもまた、この世界に住まう者なら誰でも知っている話。
「無様に敗れ去り、全てを失った俺は、アニセト様の奇跡に頼った。どうしてもな、自らの手で奴らを滅ぼしたかった。その理由も、そこへ至った感情も、全部忘れ、妄執だけが俺を突き動かし、共に奇跡を見た日まで、至った」
ゼイオンはため息をつく。
「忠義だなんだと言っても、俺の根底には復讐心が占めていた。己の無力さへの怒りもそう。綺麗な感情ではない」
「それでも、あの場であなたを支えたのは」
「ああ、その感情だった。久しく、くく、息子に会っていない。会いたくなったよ。会って話をしたくなった。妻のこと、娘のこと、沢山」
あの日見た奇跡、そのために剣を握った感情は嘘ではない。しかし、あの場で存在し続けるためには少しだけ弱かったのだ。奥底の、自分の芯、それがあそこではあらわになった。それだけのことだ、とゼイオンは言う。
「それでも、私が足りなかったのは事実です」
「いや、あの場で足りることを目指すべきではないと、俺は思う」
ゼイオンは立ち上がり、自らの掌を眺める。
「人として抜きん出ることは、必ずしも幸せには結び付かない。あの場で、高いレベルで精神を安定させていた者たち、今談笑している彼女たちは、やはり特別なのだろう。そして、そこに人としての幸せがあるとは、思えんのだ」
「……それは」
「俺は、痛感したよ。早く戦いを終わらせて、息子に会いたい、と。妻と娘の墓を作らねば。俺はこの戦いを終えたら、騎士をやめるつもりだ」
「ゼイオン殿ほどの騎士が」
「あの日の忠義に嘘はない。あの日見た希望は俺に明日をくれた。そのために俺は今日、戦う。そして明日を迎えたら、剣を置く。それだけだ」
あの領域は、良くも悪くも人に真実を突き付けるのだろう。本当に大切なものを、それがあるから彼は凡庸でもそこに残った。
「貴殿にも、いつかわかる日が来る。そうなったら、今度は剣ではなく、酒でも酌み交わそう。そんな明日のために、足らぬ身でも戦うまで」
「……はい」
ゼイオンとアルフォンスは剣を掲げ、重ねた。
明日に至るまでは、あの日の奇跡に魅入られた者同士、死に物狂いで戦おうと。そして、共に明日を迎えよう、と。
そんな祈りを乗せて――
○
「振り落とされちまったみたいだな」
「……申し訳ございません」
パラスはからかうような口ぶりでセレナに声をかけた。申し訳なさそうに答える彼女の貌は、心底自らへの失望で溢れていた。
「そんなに気にするようなもんかね? 多少戦力あげたところで、結局はロキの秘策頼み、工夫凝らさなきゃスペックが足りねえのは変わんねえんだし」
「弱さが許せないのです。私は、人を導く席に、坐す者なのに」
その様子を見て、パラスはため息をつく。
「私みたいに図太くなっても意味ねえぜ」
「それでも、私は貴女の、そんな強さが、羨ましい」
セレナの言葉、自分を見る目、彼女をそばに置いたのはそんな弱さが姉と被ったから。繊細な性格、責任、重圧、それらに押し潰され、手折れた優秀だが、弱かった姉と。だから、パラスは共にいた。
姉と同じ轍を踏んでほしくなかったから。
「力抜けよ、ライオンちゃん。ここはテメエの国じゃねえよ」
「……それでも、どこかは、繋がっている」
「…………」
「強く、在らねば。もっと、もっと、シンの、ように」
だが、結局無意味だったと知る。
『私は、パラスの、強さが、羨ましいの』
同じような言葉を向けられ、羨望のまなざしまでそっくりときた。自分はただ線引きをきっちりしているだけ。それ以外は知らん、と無視できる図太さがあるだけ。羨ましがられるほどの人物ではないのだ。
それでも、あの状態の彼女たちに言葉は通じない。
『だから、何度も言ってんじゃん!』
かけても、拗れるだけなのは、実践済みなのだから。
○
不自然に欠けた大地の上、君臨するは最強の魔王シャイターン。
『己の限界を理解したか?』
顔面が陥没し、かすかに原型が残っている程度、シン・イヴリースでなければ魔族であっても絶命しているであろう状態で、加納恭爾は仰向けに転がる。
最初から分かっていた通り、力の差はあった。ここが魔界である限り、トップスリーには届くまい、と。
その目算に誤りはなく、加納は歪んだ音をたてながら微笑む。
「よく、勉強になった。魔界ではここまで、君たちには届かない。だが、逆に人界であれば容易に覆る程度の、差だ」
『死の間際に、もしの話をしてどうする? この状況から、俺様が貴様を逃がすと思うのか? そこまで脳が足りんか?』
「生憎、私は、必要以上に頭が回る性質でね。その不足を感じたことはない」
『今でも、か?』
「ああ、今でも、ね」
加納恭爾の、ちぎれた腕がピクリと、動く。
『くく、そんな小細工で俺が――』
ちぎれ、接続が絶えたと思わせての奇襲。人も随分古典的なものだ、とシャイターンは嗤う。つまるところ彼の過ちは――
「残念。こちらの最強もまた、一歩届かなかった」
想像力の欠如。
シャイターンの足元が消える。何の予兆もなく、何の気配もなく、それは土中に形成されていたのだ。偽造虚無、防御手段を持たぬ者に対しては最強の矛となる無慈悲なる能力。それゆえに最強の魔王もまた警戒していた。
発生と同時に回避、ただの一度すらここまで当たらなかった。当たるわけには、いかなかったのだ。それとの接触は――
『小しゃ――』
消耗している今、致命に繋がるから。
偽造虚無がシャイターンを素通りする。何の抵抗もなく、その進行に些かのロスもない。それが通った後は、如何なる有も無と化すのだから。
「この偽造虚無は有を無と化す能力だ。大気中に発生させる際は大気を無に変換し、そこに無として存在する。土中も同じこと、土を無に変換し、そこに在る。言われてみれば当たり前で、ただの小細工でしかない」
歪んだ体がパキパキと音を立て、再生していく。残していた力全てを加納は再生に回し始めたのだ。この戦い、無理やり引き分けに持ち込んだ確信があったから。
「それでも人は騙される。人はね、見たいモノしか見えないように出来ているんだ。誰もがそう。例外は、ごく一握り、か。それは魔族も同じだったようだ」
加納はここまでの戦い全て、偽造虚無を大気中にしか発生させてこなかった。ルキフグスの使い方と同じように用い続けていたのだ。土中に発生させることなど造作もない。大気中に発生させることと、何の違いもない。
それを理解してなお、それでも想像の、想定の、思考の穴はあるのだ。ネタばらしをしてしまえばなんてことはないことも、人は容易く引っかかる。騙される。考えにすら浮かばない。そう仕向けることが出来れば。
これが準備である。彼が完全冤罪を成した怪物である証左。使えるかどうかわからない仕込みを用意しておき、切るべき時にカードを切る。
「これをオーケンフィールドとの戦いで使わなかったのは、彼には効果が無いと私が理解していたからだ。こんな小細工にかかる手合いじゃない。それは、私が苦戦した相手全員に言える。哀しいかな、やはり、君たちは弱い」
全身穴だらけ、羽根も捥げ、地に伏せる最強。彼が自分に挑んできたのは、なんてことはない、最後にはこうやってイーブンに持ち込める確信があったから。シャイターンという男がこの小細工にハマり、倒れると認識していたから。
要は、舐められていたのだ。
そして実際に、シャイターンは、力で圧倒しながらも――
『ふざ、ける、な』
五体を穿たれ、倒れ伏す。
「これが劣るということだ。理解できたかな?」
自らの言葉が跳ね返ってくる。信じ難い、敗北と変わらぬ血の味。
「そして私は、君にとどめを刺さずにあれを回収し、撤退する。その理由は、如何に愚鈍な君でも理解できるだろう?」
加納は残された力を使い、次元を砕く。
これでほぼ空っぽ。これでシャイターンを殺し切る力はなくなった。だが、撤退に使う力があれば、再生が追いついていない最強を殺し切ることは出来たはず。殺して、この地で回復し、そこからゆるりと立ち去る。
そんな選択肢もあったのに、取らなかった。
その理由は――
『必ず、後悔させてやるぞ。この俺様を、虚仮にしたことを!』
彼にそれだけの時間を割く価値を見出さなかったから、に他ならない。
「君には無理だ。私はもう、この紅き大地に興味が無いのだから」
『宇宙を超えるには、最も重要な力が、貴様には欠けているだろうに! それをレヴィから奪おうとした時が、貴様の最後だ!』
シャイターンの叫びに、加納は苦笑しながら答える。
「それはもう、イヴリースではない私にとって不要なものだ」
もう二度と会うことはない。そう言い切って、加納恭爾はゼウスの肉体ごと次元の裂け目から消えていく。伸ばす腕すら機能しないシャイターンは、虚しき敗北の咆哮を轟かせる。消耗など言い訳にもならない。
人間相手である。絶対に、断固として、劣るわけにはいかなかった。
己に言い聞かせてきた幻想に、ひびが入る。
○
加納恭爾が撤退したことで全軍が進路を変え、ある一点に向かい始めた。初めからプログラミングされていた命令通り、もう一人の移動手段を持つ存在の下へ、全軍が集結せんとしていたのだ。
その者の名は闇の王ドゥッカ。
彼女の存在もまた、魔界では見たことのないものであり、歴戦の魔族が束になってかかってもただ呑まれるだけ。どれだけ『大喰らい』のフェンが圧そうとも、毛ほどのダメージを負わなかった怪物である。
攻略法を知らねば、第一世代とて後れを取る。
『ば、かな。我は、プルートゥ、ぞ』
竜ではなく龍。大蛇の如し姿で空を制覇する冥王は、闇の王という異質を前に何も出来なかった。それを認められぬ冥王は足掻き、力を消耗し――
『ガァァァギガァァア!』
最強の遺伝子を持つ獣、ニケであった者に口を、顎を、力ずくで引き裂かれてしまう。六大魔王にすら引けを取らなかった強大な王の末路としては、あまりにも無残なる姿。『ありえぬ』と言い放った時には――
閉じる筋肉を失った、開放されたままの口に獣が飛び込み、その中で暴れ回る。偉大なる王の身体は、膨らみ、砕け、爆ぜ――
力無く地に墜ちる。
『ギャハハハハハハハハ!』
獣は脳みそを貪りながら、目玉を引き千切り天に掲げる。
そして高らかに勝利の凱歌、咆哮にて勝敗を知らしめる。
『あ、ああ、ああああああああああ!』
闇の王もまた膨張し、数多の魔族を飲み込んでいく。逃げ惑う魔族たち、滅びるは中立都市プルートニオン。
そして命からがら逃げきった魔族たちも――
『あっ』
この地に集う意思無き魔族たち、神族たちに蹂躙され、命を散らす。
この地に広がる絶望、しかし、それを成した者たちにとってそこに積み重なった歴史も、死んでいった命も、何の関係もない。
意思無きモノは入力された命令通りに動いただけ。ドゥッカも彼らと変わらない。主人のお手伝いを、頼まれたからこなしただけのこと。だからこそ、この軍勢は恐ろしいのだ。そこに悪意があれば人は納得できずとも理解は出来る。そこに戦意があれば理不尽とは思いつつやはり理解は出来るだろう。
しかし、そこに何もなければ――
人は理解できずにただ蹂躙されるしかない。
なぜ殺されたのか、どうして滅ぼされねばならなかったのか、何も分からぬまま、ただ命を散らせる。これほどの残酷があるだろうか。
悪意無き暴力とは、時に何者よりも巨大な絶望をもたらすものなのだ。
そして彼らは集合の後、命令通りドゥッカの能力で撤退する。彼女が全員を一時的に飲み込み、世界に彼女一人であることを誤認させ、さしたる労力を払うことなく集まった全員の移動を可能とした。
これもまた、フェンやクーンが彼女に傷を与えたことによって生まれた応用力であり、残酷なる無垢の王は蹂躙に対し何を感じることもなく、去る。
シンの軍勢による魔界急襲は、魔族の尺度からすると瞬く間の出来事であり、一瞬の内に彼らは多くの命を、コミュニティを、破壊し、滅ぼし、去って行った。喰らうわけでもなく、奪うわけでもなく、ただの無機質なる蹂躙劇。
理解不能の現象に、彼らはシン・イヴリース以来の怖れを抱くことになった。
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