最終章:シン、再び

「ほい、あよいしょ、はぁどっこい!」

「……気の抜けた掛け声でよくそんなにも上手く槍を振るえるもんだね」

 クーンの日課、槍の修練。日課と言いつつ、その日の気まぐれで行われ、適当に振っているようでよく見ると丁寧な捌きっぷりなのが特徴である。

 それを眺めながら、アルファはぼやく。

「練習で気合入れてたら本番までに疲れちゃうでしょ? だから適当で良いんだって。気楽が一番、脱力しないと良い軌跡が描けないんだな、これが」

「なるほどね。それは納得」

「そっちこそ、僕に並び立つほど暇そうだねぇ」

「昨日までは忙しかったんだよ。ただ、段取りってのは決まっちゃうと指揮者の手を離れちゃうもんなんだ。あとは微調整、もっと言うとロキ待ち」

「にゃるへそ」

 世界でもトップクラスの傘下数を誇るグループの会長と世界でもトップクラスで何もしないヒモ野郎が共に在る不思議。アルファの下でこき使われているヒロは彼らを遠目で見ながら、理解できないと思っていた。

 アルファの手腕はここまでのやり取りで嫌というほど理解した。仕事は段取り、かつてアカギに教わった通り、その無駄なく効率的な組み立ては芸術的とすら思えるほど。間違いなく彼はひとかどの人物なのであろう。

 だが、あそこで槍を振っている青年はというと――

「あー、飽きちゃった」

「まだ十分も振ってないよ」

「だいじょびだいじょび、明日の僕はきっと頑張るよ」

「相変わらずだなぁ」

「パイ家の男児たるもの、時に縛られるな、時で遊べ、という家訓がね」

「はいはい」

 ちょっと見ただけで胸やけがするほどのクズっぷり。もちろん、詐欺まがいの金稼ぎで人から奪い、魔族として召喚された自分が言えることではないが。

「でもさ、暇ならなんで『彼女』たちについて行かなかったの?」

「……僕はね、歴史が好きなんだよ。皆が必死で積み重ねた、あの世界を美しいと思う。かつては、そこに対して寄与していない自分が嫌になっていたけれど」

「生きてるだけで儲けもの、君はいつも考え過ぎるよねえ」

「知ってる」

「だから、行かなかった、と。場合によってはさ、変わっちゃう可能性もあるもんねえ。もしかしたら、この世界がばびゅんと消えちゃったりして」

「たぶん、それはないと思う。世界って、それほど簡単じゃない気がするんだ。それこそ、数人の言葉や価値観の変化で変わるほど不確かなものなら、それは彼らの積み重ねもまた軽く、薄っぺらくなっちゃう気がしないかい?」

「僕は逆に、そんな不確かな橋を渡り切ったんだなぁ、えらい! って思っちゃうタイプだなぁ。ま、どっちでもいっか」

「そうだね。良い方に転がることだってあるわけで。変わることを恐れて、何もしないのは愚かだ。だから、僕は彼女たちの行動を否定はしない」

「でも、肯定はしない、と」

「だって、もし彼らがシン・イヴリースを一撃で倒せる力を与えてくれるってなっても嫌だろ? これは僕のエゴなんだろうけど、彼が繋げてくれた希望を結集して、皆で勝ちたいんだ。合理的じゃないけどね」

「あはは、いいじゃんいいじゃん。ぼかぁ、そういう人間臭いのが好きだぜ。たぶん、手札があればアルトゥールは躊躇いなくシンでも何でも使おうとするけど、それじゃあつまんないさ。一寸先は闇、だからこそ人生は面白い」

「それも家訓?」

「その通り」

「意外と良いこと言ってるよね、パイ家のお歴々も」

「くそみその中に一筋光が見えたからって褒めちゃダメだぜ」

「あはは」

 彼らの会話は互いが互いを理解していることが前提で行われており、第三者でしかないヒロには色々と掴みかねるものがあった。

 ただ、一つだけ言えるのは――

「じゃあ、行くよ」

「へいほー」

 理解しあっていても彼らの道が重なることは稀。だが、稀であるからこそ、重なった時の厚みは、とても分厚いのだと何となく、思わされた。

「ロキのお尻をせっつきに行こう」

「はい」

 アカギや彼らから感じる分厚さ、それはきっと経験の差で、大きく劣る自分は彼らから学ぼうと思う。どちらからも学ぶことはあるのだから。


     ○


 黒き森、知恵の杜、シュバルツバルト。

 そこにはアリエル、シャーロット、パラス、その従者である眼鏡の女性も付き従う。彼らを先導するトリスメギストスとエル・メールは緊張の面持ちであった。

 望むが故、連れてきたが――

『果たして、ことここに至りシンへ謁見すること、正しいことなのでしょうか』

『わしにもわからぬ。だが、否定する理由もなかろうて』

 彼らは、もはや彼らにしか伝わらぬ帯域の言語を用いる。神族のみが使っていた古の言語であり、すでに用いるものはごくわずか。

 伝わらぬようにしたのは一抹の不安があったから。

 何か、今回の邂逅で、変わりそうな気がして――

 そんな二人をよそに、

「ようこそ、シュバルツバルトへ」

 この森を司る者、シン・シュバルツバルトのレプリカが、現れる。

 原初の魔獣、生まれたばかりの弱々しい赤子を抱きしめながら。

「お久しぶり」

「お久しぶり。僕からすると一瞬だけど」

 アリエルに挨拶を返し、シュバルツバルトは森の奥へと手招く。

「また子供が増えたんだ」

 シュバルツバルトの言葉に反応したのは、

「なるほど。つまり、また成獣が減ったことになりますかのぉ」

 この森を知るトリスメギストス。

「そうなるね。フェーズは、ゼロに近づきつつある」

「……まさに、特異点ですな」

 苦笑するトリスメギストスに、顔を歪ませるエル・メール。他の者たちは理解には届いていない。いや、パラスだけは「フェーズ」という単語に反応していた。

「それが1を超えたら、どうなるんですか? 神様」

 パラスの問いに、シュバルツバルトは微笑む。

「おや、君の世界ではどうやら1に近いようだね。関心関心」

「質問の答えになってませんがァ?」

「残念ながら、この仕込みに関しては僕担当じゃない。オリジナルであっても、シュバルツバルトである以上知らないし、知っていても、教えない」

「…………」

「大丈夫。まだ届いていないということは、今は知るべき段階にも届いていない、ということだ。その時になれば、嫌でもわかる」

 パラスは頷きながらも内心舌を打つ。かつて姉がこぼした言葉「何故、フェーズが動かないの? 何が足りないというの?」を耳にしただけ。それがどういうものか知らないし、今の今まで興味もなかったのだが。

(秘密にされると、知りたくなるわな)

 追従しながらも、彼女は隙を窺う。

 その背後で自らを見つめる視線にも、当然気付きながら。


     ○


「それで、今日はどのようなご用件かな?」

 人数分の椅子を泉の前に並べ、皆を座らせた後、シュバルツバルトが彼らに問う。この時期に、いったい何用でこのような場所に訪れたのか、を。

「かつて、私がここでレッスンをつけてもらっていた時、貴方は言ったわね。調律を、施すことが出来る、と。私は、それを受けに来ました」

 シュバルツバルトの顔が、歪む。

「それによって人でなくなったとしても構いません。出来ることがあるのであれば、縋りついてでも私たちは勝利を目指さなければならないのです」

 アリエルの目に迷いはない。

 そして、想像出来ていたはずなのに、シュバルツバルトの動揺は予想以上に大きかった。あの話をアリエルにして、あえてここにまた現れた以上、この選択を取るのは至極当然のこと。それも、彼の決死の姿を見た後なのだ。

 ある意味彼女らしく、ある意味でらしくない解答。

 言葉に詰まるシンの姿に、驚き戸惑うトリスメギストスとエル・メール。

 彼らは、どのシンであれ常に泰然と、まさに神の如し立ち振る舞いで造物に接してきた。このように、俗人のような振舞いなど見たことがない。

「……それは――」

 シュバルツバルトが口を開こうとした瞬間――

「無意味な選択だ。それでは勝てん」

 次元が砕け、その深奥より仕立ての良いスーツを身にまとった男が現れる。またも、動かざる男が動いた。当たり前のように男は人界に立つ。

「シン・レウニール様」

 エル・メールは静かに頭を垂れた。トリスもまたそれに倣う。

「まず、前提として調律とは、シックスセンス、今の世ではフィフスフィア、か。それを人の手で調整し、合理化する手段だ。あくまで調整。もちろん肉体と魔力炉の調和を図る以上、調整次第で出力は跳ね上がるが、それでも桁外れに強くなるわけではない。貴様らの世界における最大値、第一の男から第三の男まで、彼らが最高率の調律を受けた者たち、だ。素体で劣る貴様らでは、そこにも及ばん」

 レウニールの発言にシュバルツバルトが眉をひそめる。

 踏み込み過ぎだ、と考えているのだろう。

「だとしても、跳ね上がるのであれば、受けない理由はない」

 シャーロットはずい、と立ち上がり自分もまたその覚悟があると示す。

「そうだな。だが、跳ね上がることも、無い」

「どういう、ことだい?」

「人に呼ばれた者と世界に呼ばれた者、この二つは似て非なる方法で召喚された。そも、貴様らの肉は全てこの世界の、召喚士のものだ。それをどうやって調律する? 異なる器に異なる中身が入っているのだぞ」

 アリエルはシュバルツバルトを睨む。

「私を、騙したの?」

「……それは」

「騙してはいない。調律自体は可能だ。その身体に沿った調律は、な。シュバルツは貴様がそれを選ばぬと知った上で、問いかけたのだ。自分を殺して、その身体の持ち主に沿った調律を施し、無理やり力を跳ね上げる選択肢を」

「レウニール!」

「それをしたら、私が死ねば、可能性はあるのね。なら!」

「ない! アリエル、レウニールもさっき言っただろ? 最高率で、オーケンフィールドなのだと。人類に優劣をつけるわけではないが、元の身体の持ち主を調律したところでたかが知れている。いいかい、元々オドを持つ人よりも、持たない者の方が、オド以外のステータスは高いんだ。正直に言おう、強くなった君よりも、こちらの、調律を施し無理やり力を上げた現地人では、君の方が強い」

「何よ、それ」

「ぐがが、貴様の言った調律は、別の意図だったはずだが?」

 レウニールの発言を、信じ難い思いで見つめるシュバルツバルト。

「レウ? お前、何を言うつもりだ?」

「まどろっこしい話は要らん。そんなものをするために、俺はここに来たわけじゃない。我らの知る全てを答えよう。なに、そこの女も多少は知る者であろうが、なァ、セレナ・ウィンザー。賢人機関に所属する、貴様なら、な」

 レウニールが向ける眼、その眼は、嫌悪感に彩られていた。

 眼鏡をかけた知的な女性、セレナ・ウィンザーは微笑む。

「未来の話が聞けるのであれば、私にとっても得難い経験になりそうですね」

「どうせ、さほど知識レベルなどは変わらん。結局、どこまでいっても深奥に関してはブラックボックス、誰も、何も理解していない。我らが得たのは知恵の実だ。喰らった者に、ぐがが、その実の何がわかるという」

 シュバルツバルトは赤く眼に黄金のリングを浮かべる。

 そして、その手をレウニールに向けた。

「暴走だ。レウ」

「知ることを伝え、知らぬことを教える。そこに何の問題がある」

「問題しかないな。知らないからこそ、この干渉がどういう影響を及ぼすのか、僕らにもわからないんだぞ。それを、お前は!」

「どうせ何も変わらん。それに、変わるのであれば、何が問題だ? 我らにとって不都合なことなどあるものか。今この時が、この上なく絶望的だというのに」

「それでも信じるべきだ。造物たる責任が、僕らにはある」

「驕るなよ、シュバルツ。俺たちが彼らを創ったわけではない。結局、俺たちは最初からやり直す決断をしただけだ。俺たちは最初から、何も、一切、創造などしていないだろうに。それが出来ないから、敗れ去ったのだろうがよ!」

 レウニールもまた異形の身体と化す。

「オリジナルであっても俺には勝てん。俺もまた戦士タイプ、だ。本来、シュバルツやイヴ、プロメでは勝負にもならん戦闘力を持つ。忘れているようだが」

「それでも僕は。くそ、なぜ、どうして、今なんだ?」

「愚者の熱に当てられた。ただ、それだけのこと」

 レウニールの身体が醜く、膨張を繰り返す。その度に、跳ね上がる内蔵魔力。誰もが顔を歪める。勝ち負けの次元ではない。勝てるはずが、無い。

 これがシン・レウニール。

『ぐがが、何度も言うがどうせ変わらん。賢人機関があり、すでに様々な物事が進んでいる。イングランドの獅子が、グルヌイユの貴人が、ローストビーフの麗人が、ぐがががが、どう動いたところで世界の流れなんぞ変わるかよ!』

 これが、この世界を築いた創造主のひと柱。

『過去は変わらん。もう、人類は知恵の実を喰らった後だ。実験も、ゲームもリリースされている頃合いだろう。すでに奴らとも邂逅済み。ぐが、じきに我らも生まれる。抗えぬさ、人はそこまで、賢くはない。痛みなくば、覚えん生き物よ』

 その威容が、皆を圧倒する。

『さあ、教えよう。まずは、我ら新人類が何たるかを。今この時が、この場所が如何なるところかを。我らが知ることを伝え、知らぬこともまた告げよう』

 シン・レウニールは嗤う。

『大獄の先、あそこが何処なのかもなァ』

 それは、遠い昨日のお話。

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