最終章:葛城善、戻る

「とりあえず近くで一式揃えてきたよ。安物で悪いけど」

「……助かる」

 ゼンが中学の同級生である和泉翼に連れられ、押し込められたのは体育用具庫であった。とにかく教室はまずいと放心状態であったゼンを引っ張り、叩き込んだ形である。その後、さっと安くておしゃれな量販店で買い物を済ませ、もう一度戻ってきたのが一連の流れであった。

 当の本人は何故ここにいるのか、という哲学的な言葉ばかりをつぶやいていたが、その辺りは完全に無視されている。

「かなり大きめで買ったつもりだったけど、少し小さいね」

「……いや、充分だ」

 ゼンの元々の格好は学生服、であった。本人も少し窮屈だとは思っていたのだが、ここまで見事にはち切れているとは、と愚鈍男はびっくりする。

「あと、これもした方がいい」

「……サングラス?」

「あとで説明するよ。少し、面倒なことになりそうだから」

「あ、ああ。わかった」

 ジャージとサングラス、フリーサイズのサンダルを履いたゼンは立派な現代人になっていた。ただし、物凄くガタイの良いヤカラ、だが。

「あの赤い車が私のやつ。先に乗って待っていてくれ。私は用具庫の鍵を返してくるよ。言い訳にも限度があるからね。しばしお待ちを」

 赤い軽自動車の助手席にちょこんと座るゼン。正直、とてつもなく狭い。それほど大きくなったつもりはなかったが、はち切れて再起不能と成った学生服とこの状況を鑑みても相当な巨体になっていたらしい。

 確かに蜂須賀や白木は小さいな、とは思っていたのだが、どうやら規格外なのは己の方で、違和感のなかったアリエルやサラ、シャーロット、九鬼巴辺りが化け物だったのだろう。昔は和泉翼の方が大きかったのに、不思議なものである。

「……本当に、戻ってきたんだな」

 コンクリートで築かれた学校を、駐車場や道路に敷き詰められたアスファルトを、天を衝く電柱などを見つめ、その違和感にゼンは顔をしかめる。

 匂いも独特で、どうにも慣れない。そもそも息がし辛い。

 身体が言っている。この世界は己の住む場所ではないと。

 お前はもう――

「……待て。なんで、俺の身体、ここまでデカい?」

 はたとゼンは気づく。ここまでは戻ってきたことへの衝撃が大き過ぎて、全く頭が回っていなかったが、そもそも自分が大きい、というのがおかしいのだ。

 何故なら、自分が大きいのは生まれ変わったから。

 転生、させられたから、である。

「サン、グラス」

 渡されたサングラスの意味。バックミラーでそれを知る。

 真紅の眼。魔族の、証。

「左目は、空洞。ギゾーは、いないのか。まさか――」

 身体に刻まれた傷も、全て残っている。ここまで気づかなかった己の間抜けさに呆れながら、ゼンは顔を歪めていた。

 死んで、戻る。そこまではいい。個人的に良くはないのだが、世間様に迷惑は掛からないだろう。問題は身体が生まれ変わったまま、戻ってきたこと。

 これが自分だけ、と思うほど彼は楽観屋ではなかった。

「お待たせ。行こうか」

「……和泉、なんで俺が俺だと、わかった?」

 当時とは似ても似つかぬ姿である。彼女が自分を認識したこと自体おかしな話。しかもサングラスを渡してきたということは、何かを知っているということ。

「……家に戻ってから話そうか」

 そう言って彼女は運転席に乗り込む。

「だが――」

「まあまあ。学校、あまり長居したくないんだよ」

 彼女の言葉でゼンは「あっ」と察する。彼女が先生なのかはわからないが、学校関係者なのは間違いなく、自分のような不審者を引き連れている所を見られると、色々と不都合が出てくるのだろう。まあ、当然の対応である。

「出すよ」

 あと、和泉翼の運転は話す余裕がないほど荒かった。

 本人曰く「移動時間は無駄だからなるべく短くしたい、時短だね」だそう。

 法定速度に関しては闇の中、である。


     ○


「地元なのに一人暮らしなのか」

「ん、まあ色々あってね。実習の期間中だけここを借りてるんだ」

 和泉翼に連れてこられたのは十畳ほどのアパートであった。家具などは備え付きなのだろう、趣味趣向の反映されていない無味乾燥な空間である。

「実習?」

「君がいなくなって七年ほどだよ。私はまだ、大学生だ。教育学部のね」

「……なるほど」

「あと、高校で君を見つけたのも見回りの手伝いを買って出ただけで、私自身は付属小学校の教育実習生だ。敷地はほぼ同じだし、その区別に意味はないけど」

「……和泉が先生か」

「似合わないだろ?」

「いや、そんなつもりは」

「自分でもわかってるんだ。ああ、適当にかけてくれよ」

 和泉はソファーに座ってくれ、とゼンに促す。

「お茶とコーヒー、どっちがいい?」

「そんなに気を使わなくてもいいぞ。情報だけ貰ったらすぐに出て行く。むしろここまで世話して貰えてありがたいぐらいだ」

「……じゃあ、勝手にお茶を出すよ」

 何も出さない、という選択は彼女の中に存在しないらしい。この有無を言わせぬ感じは彼女らしいが、どうにも最初の印象から記憶と齟齬がある。

 どこか、和泉翼っぽくない気がしたのだ。

 まあ、中学時代の記憶なので当てに成らない気もするが。

「まず、葛城が行方不明になってから七年ほど経っている。そこに齟齬はないかい? 同じ時間を共有しているなら、話も手っ取り早いのだけど」

「あ、ああ。たぶん、それで合っていると思う」

「自信なさげだね」

「……色々あったんだ」

「ふぅん」

 まさかプラス十年ほど加算されている、などとは言えないゼン。

 そもそも彼女に対しどこまで打ち明けるべきかも定まっていない。こんな時にギゾーがいれば冗談交じりで的確な意見をくれるのだが。

 そんなことを考えていると、和泉がパソコンを起動しとある名のついたフォルダを開く。そのフォルダの名は『神隠し事件』と名付けられていた。

「それは?」

「ここ数年で取り沙汰されるようになった事件だね。ある日突然行方不明になった人が、またもある日突然戻ってくる。ほとんどの人には記憶もないらしい。件数は世界中でのべ数十万、百万を超えるのでは、とも言われているね」

(やはり、戻ってきているのか。だが、ほとんどの人に記憶がないというのは、わからない。俺は全部覚えているぞ。忘れたい記憶まで)

「私なりに資料をまとめているんだが、ここ一、二年での件数の伸びは異常だね。神隠しにあった人も、戻ってきた人も、三年より前に比べると激増している。元々波はあるんだけど、ここ数か月は文字通り桁外れ、だ」

 ゼンは顔を歪める。おそらく、これは大規模な戦いがあった日付と重なる。最終決戦、そして自らが仕掛けた八つ当たりも、おそらくは――

「今日も、多いね。多過ぎる、な」

「……ネットですぐわかるのか」

「すぐ、はわからないよ。神隠しに関する情報は基本的に大手SNSでは弾かれるし、弾かれないように細工しても、精々数分持てばいい方、すぐ消される」

「……はぁ」

「私は常にそういった情報を拾って、集めておくソフトを走らせているし、特定ソフトを用いてダークウェブにもアクセスしているから、真偽問わず集められている方だけど、これだって上辺でしかない、と思っている」

「……なるほど」

「ふふっ」

「ん? 笑うところがあったか?」

「いや、さっきから何度か出てるだろ、君のなるほど。とりあえず聞こえたけど情報が素通りしてる時は、大体なるほど、が飛び出す。変わらないな、と思ってね」

「むう」

「ばつが悪い時は今みたいに顔をクシャっとする癖もね」

「……敵わないな」

 和泉は別のフォルダを開いて、ゼンに見るよう促す。

「これは?」

「神隠し事件の、もう一つの側面。これがあるから、世界中疑心暗鬼になっていると言ってもいい。情報の発信源が押し黙る、理由だ」

 其処にはどこか別の国なのだろうが、近代的な建物と並んで暴れる『魔獣』の姿があった。国はわからないが、背景からしても現代の写真であろう。

「神隠しから戻ってきた者は、怪物になる可能性がある。それが理由なのかはわからないけどね。ここ数年さすがに件数が多過ぎて情報も抑えきれなくなってきたのか、かなりの数の画像が出回るようになってきた」

「これも、消されているのか」

「当然。ネットにアップしたら不適切な情報をアップロードしたとしてアカウントごとBANされるだろうね。秒殺。でも、閲覧、ダウンロードは咎められない」

 和泉は数百枚以上の画像を保存していた。

 どこかで見たことのある姿、間違いなくゼンと同類の存在であろう。

「これでも氷山の一角。そもそも、怪物になれる者だって頭が回れば表立って暴れないだろ? ほら、この画像。某国の軍隊を相手取った結果、ミサイル一発で肉塊になった怪物、らしい。真偽のほどは定かではないけどね。某国は否定してるし」

 グロ画像、あちらで見慣れているはずの光景も現代の風景と重なると、途端に気持ち悪くなってしまう。ここ数年、少なくとも自分が召喚された頃にこんな噂はなかったはず。いや、まあ単純に知らなかった可能性も高いが。

「まあ、普通に暮らしている人は知らないよ。大手メディアは絶対に触れないし、それだけで大半の人にとっては事実であっても、フェイクみたいなものさ」

「……そんなものか。じゃあ、なんで、和泉は」

「私の場合は君がいたからね。こういったサイトに足を踏み入れるようになったのも、情報をフェイクだと笑い飛ばせなかったのも」

「……ん? 心配してくれた、ということか?」

「あはは、相変わらずだなぁ。そうだね、そうなる。でも、受験で一度途切れたし、その後も色々あって、情報を調べ始めたのはここ一、二年、かな。結局我が身大事、君のことは二の次の、薄情者だよ、私は」

「いや、充分だと思う。俺なら、たぶんそこまで出来ないから」

「そうかな? 君なら……いや、やめておこう」

 ご自由にどうぞ、と和泉はPC前の椅子をゼンに譲る。

 フォルダ内の画像や、外国語の掲示板の日本語訳など、真偽の入り混じる情報がたくさんあった。当の本人であるゼンだからこそ、多少真偽を区別できるが本当に玉石混交といった様子で、嘘の中に時折真実がある、という感じか。

 少し、この配分には作為を感じてしまう。

 あえて香る程度に、真実を残しているのでは、と。

「この、映像は?」

「ああ、それで一気に盛り上がったんだよ。正直、その映像が出回る前はダークウェブでも神隠しは盛り上がってなかった。というのも、まあ、失踪と区別がつき辛いし、そういうのをしそうな人ばかり、が消えていたからね」

「まあ、クズだからな、俺たちは」

「君がそう言うわけでは……俺、たち?」

「いや、何でもない」

 ゼンはその映像に苦笑する。其処にはB級映画のような魔獣に襲われる親子が映っていた。しかし、突如割って入る形で煙草をくわえた男が立ち塞がり、蜘蛛のような出で立ちに変身し相手を撃退、親子を守ってみせた。

 最後に映った男の、苦い笑みには見覚えがあった。

(……本当に、戻ってきたんだな、俺は)

 自分以外を確認したことで、さらに強固となった足場。

 初めから自分たちの安全は担保されていたのだ。絶対安全圏から人を殺し、罪の意識に苛まれ、決して失われることのない命を賭して戦った。

 傍目から見ればまるで喜劇である。

「この映像が出てきてから少しずつ、情報のやり取りが活発になっていくんだ。それでも、表立った噂話になってきたのはここ最近だよ。正直、ここ半年で情報は一気に増えたし、表立って噂話にもなり始めているくらいでね。まあ、まだ酒の場での冗談程度、真面目に話しているのは変人くらいだろうけど」

「そう、か」

「まるで段階を追って情報を解禁されている気分だね。もしそうなら、最初の情報封鎖が一番恐ろしい。五年前までは、神隠しなんてほんの一欠けらすら出回っていなかった。でも、情報ではもっと前から神隠しはあったとされている」

「俺がそうであるように、か」

「そういうこと、だね」

 神隠しにあった者の特徴。真偽入り混じる中、紅き眼というものがあった。その眼を持つ者は記憶を持ち、怪物になれる、という情報。

 この情報が出回り始めたのは、つい最近、のようだが。

「これを知っているのに、俺を助けたのか?」

「怪物になれる?」

「……かもしれないぞ」

 ゼンは和泉を睨む。それを見て彼女は笑った。腹を抱えるほどの爆笑。

「笑い事か?」

「いや、あの葛城が、怖い眼をするようになったなぁって。まあ、正直多少怖いとは思っていたよ。でも、中学で都合二年ほど、か、それなりに一緒の時間を過ごした。君がこの映像で、どちらにつくかは、私でもわかるよ」

「……人は変わる」

「うん。でも、変わらないものも、ある。君は悪いことなんてできないさ。だって葛城善、だろ? 善いことをするよ。君なら。昔ほら、名前の由来で――」

「意思が、無い可能性もあるだろ。それなら、俺だって!」

 少しすごんでも、和泉にはどこ吹く風。

「ああ、それだよ。気になっていたんだ。神隠しにあった者の中で、記憶がある者とない者の違いってなんだと思う? その違いがずっと気になってさ」

 逆に揚げ足をきっちり取られ、質問されてしまう始末。

「……おそらく、位階だ。魔獣クラスで死んだ者は、あちらで意識がなかったため、記憶がそもそもない。悪夢、扱いになるんだと思う」

「位階、なるほど、そんなものが」

 納得する和泉を見てゼンは内心「しまった」とこぼす。

「……忘れろ。あまり知り過ぎても良くなさそうだ」

「残念ながら記憶力はいい方だ。凡人にしては、ね」

「くっく、あの和泉が凡人か。面白い冗談、だ、な」

 冗談だと思った発言。しかし、彼女の貌を見ると冗談ではなく「言ってくれるな」という本気の貌であった。ゼンは、言葉に詰まってしまう。

 七年、人が変わるには充分な年月であろう。

「とりあえず、お風呂にする? ごはんにする? それとも――」

 茶化すように悪戯っぽく笑う和泉を見て、ゼンは反応に困ってしまった。

 とりあえずお風呂を先に入ってもらって、その後ゼンが入るという何の面白みもない解答をしたところ至極気に入ったのか採用された。


     ○


「料理、出来たんだな」

「嗜み程度だよ」

「いや、高い打点からの塩胡椒は玄人のそれだった」

「…………」

 恥ずかしそうに顔を伏せる和泉。ついひとり飯を作る際、悪ふざけでやっていた動作が出てしまったのだ。高い打点にさしたる意味はない。

「シャンプー、女性用だったけどお気に召したかな?」

「ああ。問題ない」

 実はシャンプーにしろボディソープにしろ、あちらの世界にはない強烈な匂いでくらくらしてしまったのは内緒である。あと、あまり髪も洗っていなかったため、五回洗ってようやく中学時代の指通りになったのも内緒である。

「はい。ありあわせ食材のパスタだよ」

「……パスタ、洒落てるな」

「……パスタサイドも驚きの反応だよ」

 ゼンは「いただきます」とパスタにありつく。

「うまい」

「適当食材、適当味付けだけど、気に入ってくれたならよかったよ」

 ゼンは無言でモリモリ食べる。一瞬でぺろりと平らげてしまった。凄まじく美味しい食事に感じたが、実際は、さほど気合を入れて作っていた様子はない。

「なんだこの、芳醇な、得も言われぬ味わいは」

「うま味調味料だと思うよ」

「……そっかぁ」

 ゼン、納得。

「おかわりいる?」

「あるのか?」

「ないけど、これぐらいなら追加で作っても大した手間じゃないし」

「……いや、充分だ」

「気を遣うねえ。まあ、年月も経っているし、当然、かな」

 かつて憧れ、その背を追った和泉翼。まさかこうして家にお邪魔することになろうとは思わなかった。そもそも、こうして戻ってくることすら――

「実家、場所は変わってないよ」

 食事を終え、二人してぼーっとしていると和泉が唐突に口を開いた。

「……そうか」

「帰る気は?」

「この姿で、か。悪い冗談だ」

「喜ぶと思うけどね。どんな形でも」

「……和泉は知らないだろ」

 二人の間に僅かな沈黙が漂う。

「私ね、君がいなくなってしばらくして、ご両親に会っているんだ。というか、君を探すためにこう、人探しのビラをまいたり、を手伝っていた」

 ゼンの眼が大きく見開かれる。

「さすがに頻度は減ったけど、まだ、やってたはずだよ。私は、受験を機に離れてしまったけれど。ご両親はずっと――」

「なら、俺が人殺しになったとしたら? 罪を犯した、クズ野郎だとしたら? それでも喜ぶか? それでも嬉しいと思うか!?」

「だと、思う」

「嘘だと、思うか?」

 ゼンは牙を剥き出しに、和泉を威嚇する。

「それが事実でも、喜ぶよ。あのご両親なら」

 でも、彼女には通じない。いつだってそうだった、浅はかな嘘が彼女に通用した試しがなかった。すぐにバレて、何故そんなことを言ったのか説明を求められ、そして葛城は馬鹿だなぁと笑われていた。あの頃は、そんなことばかりで。

 毎日が幸せだったのだ。

「何があった?」

「……言えない。迷惑が、かかる」

「今更だよ。君を拾った時点でそこそこヤバい橋を渡っているさ」

「すまん」

「いいさ。私たちは、その、友達、だっただろ?」

 和泉翼は言葉を選び、俯くゼンの肩を叩く。

「呼び出されて、こんなナリに生まれ変わらされて、たくさん人を殺した。気づいた時には手が、真っ赤だった。その後は、償おうとしたけど、結局、駄目で。死んだら、戻っていた。人は、変わらないなぁ、和泉。俺は、クズのままだ」

 きっと、あの世界では絶対に見せなかっただろう。

 こちらに戻って来てしまったから、相手が自分の弱さを散々知る相手だったから、つい弱さをこぼしてしまった。つい、涙を流してしまった。

「俺は、何も出来なかった。頑張ったんだけど、なァ」

 ため込んでいた感情が、零れ出す。

 和泉はそれを見て軽く抱きしめる。

「そっか。頑張ったんだろ? なら立派さ。君は頑張り屋さんだったからなぁ。受験の時も、そうだった」

「……最後は、落ちたけどな」

「正直、私は当落線上にまで引き上げたことに驚いていたよ。元々平均点をうろちょろしてた君が、県内最高の進学校に手をかけたんだ。誇っていいことさ」

「その時より、ずっと、頑張ったんだ。でも、届かなかった」

「なら、私から言えるのは充分、よくやった、ということだけだ」

 無言で、すすり泣くゼン。

「よく頑張りました、だ。葛城」

 強くなろうとした。今度こそ届かせてみせると命を賭した。それでも届かなかった。無様に散った。そのまま死んでいれば、まだ救いはあったのに。

 生きて、醜態をさらしている。

 人間は変わらない。自分はいつだって、クズのままなのだ。

 この世界でしたいことなどない。守るべき人も、戦うべき敵も、この世界にはいないのだから。いるのは近代兵器に敗れ去るクズのみ。おそらく王クラスはいないのだろう。いたらもっと騒ぎは大きくなっているはずだから。

「おやすみ、葛城」

 ならば、やはり自分がやりたいことも、やるべきことすら、無い。

 生きている、意味がない。

 でも、死ぬ意味も、ない。

 一夜明け、和泉翼は苦笑した。机の上には書置きがあって「情報ありがとう。服代もいつか返します」と中学生の頃と変わらない筆跡で書かれていたから。

 葛城善は黙って去って行った。

 ご両親に連絡すべきか、和泉は迷ったがやめた。それは彼自身が判断することで、所詮他人でしかない自分が出張ることではなかったから。

「君は自分をクズだと言ったね。でも、あの時より頑張ったんだろ? なら、君はよくやったよ。少なくとも私は、君ほどに頑張ることなんて出来ないから」

 あの頃は、自分が特別な人間だと、優秀な存在だと思っていた。学校では誰よりも勉強が出来たし、運動も女子にしては上位だった。自分を慕う不出来な同級生に勉強を教えて、悦に浸っていた小さな自分。彼から褒められるのは、凄いと言ってもらえるのが気持ちよかった。でも、ある時を境に気付いてしまったのだ。

 彼が時折見せる集中力、その深さに。

 圧倒的アドバンテージがあったはずなのに、気づけばすぐそばまで詰め寄られた時の恐怖。小さい自分は彼が落ちて、ほっとした。

 受かった人間から連絡を取るのは、などともっともらしい言い訳をしていたが、本当はほっとした自分を直視できなかっただけ。連絡を取らず、逃げていたら彼がいなくなったという噂を聞いた。原因がいじめだとも、聞いた。

 他校の話なのでどういった人物がいじめていたのかはわからないが。

 それでも、自分のせいでは、と思った。もっと自分が大きい人間であれば、連絡を取って励ますことも出来たはず。それぐらいはすべき関係性だった。

 自分にとって最も親しい友人であったし、それ以上の感情とて――

 そんな悔いが未練がましく残っている。ご両親の手伝いも、調べものもそう。

「本当のクズは、足掻いて涙を流せる君じゃないさ」

 今は自分が凡百の存在だと理解してしまった。高校時代、ある少女から嫌というほど突き付けられたし、背伸びして入った大学には本物の怪物ばかりが蠢いていた。教育学部に転部したのだってそれが原因である。そこであっさりと見切りをつけてしまう賢しい存在が、和泉翼という者の弱さ。

 自分は泣くほどに、足掻いてすらいない。


     ○


 葛城善はふらふらと流されていく。身分証明も出来ぬ不審者が出来る仕事など世の中にそう在るものではない。流れ、流され、気づけばどん底。

「よぉ、兄ちゃん。景気悪そうな顔してんな」

「……どうも」

 ダンボールを幾重にも組み合わせて築き上げられた家が並ぶ河川敷。

 葛城善は一枚のダンボールの上に座っていた。

 何もせず、ただ虚空を眺めながら――

「あらら、こりゃあ重傷だわ」

 このまま朽ち果てるのが、クズの己にはお似合いだと思っていた。

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