第4章:赤城勇樹

 赤城勇樹は限界集落で生まれ育った。

 ただ、幸いなことに彼の世代だけは他に四名、同じ年の子供たちがおり孤独とは無縁の幼少期であった。毎日、彼らと遊んだ。男三人、女二人、山や川を遊び場にして駆け回った。そんな彼らにとって一番の遊びは五人でのヒーローごっこであった。赤城勇樹がリーダーで赤、青と黄が男二人、ピンクと緑が女二人。ちなみに女子二人はピンクの奪い合いで一度ガチ目の喧嘩をしている。

 皆の頼れるリーダー、アカソルジャーとして赤城勇樹は先頭に立っていた。何でもできる気がしていた。飛び込みも、かけっこも、何だって一等賞で、それが自慢で、誇りだった。小さな世界の一等賞、これが最初の勘違い。

 始まりの歪み。

 小学校高学年になってから、ヒーローごっこが少なくなった。青役だった少年は勉学に励み、女子二人は付き合ってくれこそしたが明らかに気乗りせず、赤と黄だけが変わらなかった。最終学年になる頃には誰もやらなくなった。

 それでも五人は仲良しで、遊び方が変わっただけ。リーダーが赤城勇樹なのは変わらなかった。ただ、少しだけ変化があったのは女子二人に身長で抜かれ、かけっこでは緑役の女の子に勝てなくなった。勉強はずっと青役、ピンク役だった子たちに勝てていない。力も黄役には随分水をあけられた。成長が少し、遅かったのだ。

 認識との齟齬、それでも自分はリーダーで、一等賞なのだと信じていた。

 だが、中学に入り、彼らは小さな箱庭、今は廃校となった分校から色んな場所から人が集まる広い世界に出てしまう。そこは彼らの知らぬ世界。

 あっという間に埋没する赤城勇樹。何をやっても平均より少し上程度。身長は平均よりずっと下で、勉強はどんどん差を付けられる。

 一番人気だという理由で入った野球部では当然のように経験者には勝てず、一年間球拾いと基礎トレーニングだけ。

 広い世界で赤城勇樹は一等賞どころかただの人、場所によってはそれ以下。小さな世界で培ってきたちっぽけなプライドがズタズタに引き裂かれていく。

『赤城、俺、あいつと付き合うことになったわ』

『そ、そうか。そりゃあ、よかったな』

『悪いな、リーダー』

 青役だった男子とピンク役だった女子が付き合い始めた。秀才同士、美男美女、お似合いのカップルだった。赤城勇樹にとって昔からずっと好きだった子だったが、今の自分じゃ釣り合わない。視線を合わせるのも億劫だった。

『なんで野球部やめたのよ。プロになるって言ってたじゃん』

『……うるせーよ』

『ハァ、ダッサ』

 緑役の女子に罵倒される少し前、二年になる頃には野球部をやめた。別にセンスがなかったわけじゃない。でも、熱が入らなかった。経験者との差が埋まらず、何よりも哀しいほどの体格差があった。とても上に行ける気がしなかった。

 だから、やめた。周囲にも、両親にも呆れられたけど、一等賞になれないのに続ける意味が赤城勇樹にはわからなかった。

 暇になったから言い訳として勉強をして、それだけは上位に食い込めるようになった。ただ、それも一等賞は遥か彼方。熱があるわけじゃない。

『俺、中学を卒業したらじいちゃんの仕事継ぐよ。後継者がいないって愚痴ってたの見てさ。俺がやるしかないなーって。じいちゃんっ子だし』

『そ、そうか。応援してるわ』

 唯一、この時まで仲が良かった黄役だった男子。劣等感を感じずに付き合えるたった一人の友達だったのに、もう彼は将来を見据えていた。置き去りで、子供のままなのは赤城勇樹だけ。何も持たずに漂っているのは、自分だけ。

 青とピンクは勉学で、緑は陸上で推薦を貰い、黄は伝統工芸の後継者。

 置いて行かれた。先頭だったのに気づけば最後尾。仲良し五人組はそれぞれの進路を見出した。残り物にとってそれはあまりにも無様で、ダサくて――

 その日、赤城勇樹はとうとう過去と決別した。おそらく、誰よりも明確に、バッサリと。絆が絶えたわけではなかったのに、彼は自分で全てを断ち切った。

 誰とも視線を合わせず、ただ勉学に没頭した。これなら今からでも一等賞に成れる。努力だけで良いなら、それほど楽なことはない。

 そして受験を終えた頃には――

『赤城君、すごいね。うちの学校からあそこなんてほとんどいないよ』

『まあ、別に。頑張ったから』

『すごいよ』

 中学で一等賞近くにまで達した。あの二人を引きずりおろしてやった。

 周囲の見る目が変わった。努力して、いい学校に行って、それだけで無視していた有象無象が褒め称えてくれる。その時、赤城勇樹は思い出した。

 あの頃の、先頭だった頃の快感を。

 生まれ故郷から離れて、寮生活をしながら高校に通う日々。努力家ばかり、稀に天才が集う学び舎では中学時代のように一等賞は難しくなってきた。

 その代わりに――

『すごいじゃないか、赤城。お前才能あるよ』

『そ、そうっすかね』

 部活紹介で面白そうだから、と入った空手部で自らの適性に出会う。元々体を動かすセンスはあった。身体も遅ればせながら成長してきて、何よりも努力する習慣があった。努力の先にある快感を彼は知っていた。

 だから、苦ではなかった。むしろ最後尾から抜き去って行く快感がたまらなかった。偉大に見えた先輩たちも半年もすれば型の粗が目に付くようになる。

 文武両道、何の問題もない。ただ努力すればいい。

『お前は部のヒーローだ!』

 二年でインターハイ個人出場、三年でインターハイ個人優勝。主将として全国ベストエイトまで導いた。赤城勇樹は特別な自分を取り戻していた。

 成績も優秀、私立でもトップクラスの大学から推薦が来た。少しだけピンクの女子に似た彼女も出来た。順風満帆、征く道に曇りなし。

 大学では才能が完全に開花したことでインカレ連覇。ここでも主将に任ぜられ、複数大会で団体優勝も果たす。個人はタイトルほぼ総なめ。

 就職先は天下の大手総合商社。高校時代から付き合っていた子とも卒業を機に籍を入れた。首都の一等地にマンションをローンで購入。

 会社でも彼は一等賞を目指す。あれほど熱中していた空手はすっぱりやめていた。熱が冷めた、と本人は言っていたが、何のことはないそこで一等賞を取っても社会人としてさほど大きなステータスにならない。ただ、それだけのこと。

 屈折していることに気付くことなく、赤城勇樹は努力を続ける。誰よりも靴をすり減らし、どこかに商機はないかと常に考え、あらゆる集会に参加し人脈を広げた。時間はものすごい勢いで削れていく。大学時代から忙しさを理由に葬儀以外で地元に戻ることもなくなった。式を上げる暇もない。

『赤城、商社ってのは都合のいいコネクターだ。俺たちがまとめて買い、ストックし、適宜客先に売りさばく。メーカーにとっては安売りしても大量に購入してくれるから都合がよく、客先はメーカーから直で買うよりも安くつくから都合がいい。時には物流も担う。間に立つことで手間暇、コストを削減する』

『商品の選定から任せてしまえば客先は責任すら放り投げられますもんね』

『ゆえに俺たちは存在している。コネクターゆえに商社の力とはどれだけ多くのコネクションを持つか、だ。どれだけ多くのメーカーと関係を持つか、どれだけ多くの客先と関係を持つか、優れた商社とはどんな商品でも引っ張ることが出来、どんな相手にも売れる、それが最強だ。流れをコントロールまで出来れば、無敵』

『任せてください、課長。俺、出来る気しかしません。最強、無敵、なってやりますよ。抜かれても愚痴らないでくださいね』

『生意気なんだよ、お前は』

 上司にも恵まれた。目標も得た。流れを、全てを掌握する存在。

 最強であり無敵。紅き正義の味方すら、己は超える。

 そんな時、赤城勇樹は彼らに出会った。数ある取引先の一つ、小さな町工場であるが品質は優れた製品を作り、赤城勇樹が別の先輩から引き継ぎ担当となった時、手持ちの取引先に拡販したことでフル稼働を続けていた。

『赤城さん、いつもありがとうございます』

『いえいえ。ここの製品が良いから商売が楽で楽で。なっはっは』

『今度、設備を拡充しようかと思ってるんですわ』

『いいですね。なら、私もじゃんじゃん売ってきますよ。どんとやっちゃってください。この前も大手の、ごにょごにょってメーカーが興味持ってくれまして』

『……い、いやぁ、恐れ多い、ですなぁ』

 負ける気がしなかった。商売は試行回数、N数を稼ぐことこそ最高の攻略法。どれだけいいものでもタイミングが悪ければ売れない。売るためには運が必要なのだ。それを少しでも確実に近づける方法はN数を稼ぐしかない。

 足を止めない。それが唯一の最強、無敵への道。

 赤城勇樹はまい進する。その道を。努力はやはり苦でなかった。

『あの子は?』

『ああ、ヒロですか。うちの息子でして本人もこういう工作機械みたいのは好きなんでゆくゆくは、ってやつですわ』

『おお、後継者、ですか。良いですねえ』

『赤城さんはお子さんとか?』

『まだです。最近時間取れてないんですよねえ。そろそろ愛想つかされそうで』

 最初は工場に小さな子がいる、というギャップが気になっただけだった。

 ただ、幾度か話す内に――

『ユーキさんのスーツっていくら?』

『内緒。でも結構いい生地使ってんだぜ。サラリーマンは見た目が命、その場に適した格好をするんだ。外回りの時はスーツに革靴、現場なら作業着と安全靴』

『え、ユーキさんでも作業着なんて着るの?』

『着る着る。現場の人って上から言ってもダメなんだよ。一緒に汗かかないと本当の意味で認めてはくれない。もちろん、作業の邪魔をしちゃいけないけどね。スーツも同じ、こんなの着たくないってリーマンは皆思ってる。でも、着るんだ。嫌な思いとかも裏を返せば仲間意識に転化できる。モノは考えようだ、ヒロ』

『はー、やっぱユーキさんってすごいや』

『全然大したことないよ。俺も教えてもらっただけ。スーツにしろ時計にしろ革靴にしろ、安過ぎちゃいけない。でも、高過ぎてもいけない。年齢、役職に応じた価格ってのがある。もっと言えば取引先、担当者によっても変えるのが理想かな』

『へえ、じゃあうちなんてしょぼいの付けてきてるんでしょ』

『大事な取引先だからとびっきりの、さ』

『……うー』

『悪い気はしないだろ? これもテクニックだぜ』

『うわ! ひでー』

『なっはっは。ヒロにも教えてやるよ』

 自分を慕ってくれる少年。居心地が良かった。一人っ子だったけど、弟がいたらこんな感じかな、なんて思ったりもしていた。

『ユーキさんって何かやってたの? 身体がっちりしてるし』

『空手。厳密には空道だけど。今も型ぐらいなら運動がてらやるよ』

『うへえ、痛そう』

『当てないやつだよ。寸止めって揶揄されるけど、その分速い』

『へー、当てるのとどっちが強いの?』

『一概には言えないかなぁ。ま、一つだけ確かなのは空手に限らずだけど強い奴が強い。それだけ。どの競技を修めたからってのはないと思う』

『じゃあユーキさんは?』

『んー、空手始めてから人殴ったことないし、よくわからないかな。ただ、伝統派のルール内なら負ける気はしなかった、と思う。学生時代はね』

『すっげえ!』

 純粋な賞賛が気持ちよかった。子供の頃、画面の向こう側に向けていたキラキラした視線が自分に向いている。夢が叶った気がしていた。

『空手始めたんだ、俺。ユーキさんみたいになりたくて』

『お、いいね』

『俺にとってユーキさんはスーパーヒーローだから』

『……そっか。そりゃあ気合入るぜ』

 嗚呼、本当にこの時は――

『商売の基本はウィンウィンの関係だ。そのために俺たち商社がいる。よく転売屋なんて揶揄されるけど、それならこうやって堂々と看板掲げて商売してない。人と人を繋げて客先も、メーカーも、俺たちも、皆で笑顔になれるのが本当の商売。そんな関係を繋げ、築く仕事。俺は誇りに思っているよ、今の仕事を』

『俺もサラリーマンが良いなぁ』

『親父さん泣くぞぉ。モノ作りだって素晴らしい仕事だ。って言うか、この世になくていい仕事なんてない。必要だから、そこに需要がある。存在するってことは、存在し続けるってことは、必要で、素晴らしい。俺はそう思うぜ』

『そっか。うん、そうだよね』

『ま、一回商社経験するのも良いと思うけどな。どっちの視点も見えるし、良い悪いも見える。その上でやりたいことをやればいいさ。親父さんには内緒だぞ』

『うん! その時は俺もユーキさんの会社入りたいなぁ』

『そのためには勉強だ。あとは適度な運動。大学名は重要だからな。ヒロが入社する頃には俺も出世してる予定だし、こき使ってやるよ』

『ひでー』

『楽しみだなぁ。その時は、一緒にスーツ作りに行こう。いい仕立て屋があるんだ。革靴は消耗品だし適度なのを数足履き潰してからこだわればいい。その頃には嫌でもこだわりたくなってるよ。時計は俺のお古をやるよ』

『マジ!? 絶対だからね』

『俺は嘘つかねーよ』

『やっぱユーキさん、最高のヒーローだ』

 誰に褒めてもらうより、誰の称賛よりも、少年からの純粋な憧れが一番嬉しかった。そしてほんのりと罪悪感も覚えた。彼に見せている綺麗な自分、本当はちっぽけなプライドに固執する薄汚い自分もいるのに、それを見せなかった。

 見せておくべきだったと、アカギは想う。

 ある日、世界がひっくり返った。

 大恐慌。いつものように着替えて出社しようとしたら電話がかかってきた。それきり電話が鳴りやまず、タクシーを使って出社するしかなかった。混沌、混乱、混迷、昨日まで見えていた道筋がたった一日ですべて消えた。

 光り輝いていたはずの道が、泥沼に浸かったのだ。

『赤城、組織のために優先すべき行動を取れ。商社の価値は繋がりだ。絶やすことは許さない。客先の意に沿え。お前なら出来るはずだ』

『課長はかつて、ウィンウィンの関係。客先とメーカーは対等だと、共に重要なのだと、教えてくれました。私は、どちらも――』

『状況が変わった。社命だ、赤城』

 どの部署も客先からの『お願い』でてんやわんや。仕事がなくなった。製品をストップして欲しい。もっと安くならないか。海外製品などどうだろうか。本当に多種多様な要望である。まあ、基本的に全てが値下げ交渉。それが行われるだけありがたい状況であった。黙って消える仕事の方が多かったから。

 もちろん自分たちが多少、身を切るのは前提条件。それでも日に日に増していく『お願い』にそれでは追いつかなくなってくる。結果、供給元、メーカーに泣いてもらうしかない。そしてそれはまだ、マシなのだ。

 最悪なのは――

『赤城さん、とりあえず当面はこのC社、海外製ので繋ごうと思うんだが、安くなりそうかい? 正直うちもきつくてなぁ』

『……後日、見積書を提出させて頂きます』

『頼むよ、赤城さんだけが頼りだからさ』

 切り替え。客先の提案に否、など言えない。それに安くするだけならば赤城自体いくらでも手札は持っていた。客先が品質を求めていたから使わなかっただけで。海外製品、国内だって安いメーカーはある。

 ただ、市場価格から外れているのは相応の理由もあるが。

『赤城君、今月の発注書、いくらなんでも――』

『申し訳ございません。いずれ、いずれどうにかしますので――』

 どこも『いずれ』を待てる体力があるとは限らない。特に設備投資をしたばかりの会社など、これから稼がなきゃいけなかった会社は――

『赤城さん、どうか、どうか、頼むよ! どんとこいって、言ってたじゃないか。だから、うちは設備投資をしたんだ。このままじゃ家族全員路頭に迷う。何でも言うことを聞く。土下座だってこの通り。だから、頼むよ、赤城さん。おたくに関係を切られたら、銀行から金を借りることも出来なくなるんだ』

『わ、私は、私には――』

 ここだけじゃない。同じ光景は幾度もあった。一つだけを救うことくらいは出来る。だが、全部はどうしようもない。客先からの要望もある。誤魔化し続けるのも限界があり、生き残るために切らねばならない関係も、あった。

 隅で裏切られた少年が憎悪と嫌悪を浮かべていた。スーパーヒーローは張りぼてだった。危機を前に右往左往するただの人だった。

『嘘吐き』

 この一週間後、親父さんは首を吊った。

 その三日前、赤城勇樹は客先に、社命に従い、泥水を飲んだ。人を傷つける、場合によっては殺すことになる。それを理解した上で、商流を切り替えた。

 公平に、冷徹に、非情に赤城はコストカットをして客先を繋ぎ止めた。それがサラリーマンである己のやるべきことだったから。品質の件にも触れたが、それで提案を蹴る客はほとんどいなかった。目先の話、稼働すればそれでいい。

 どこも生き残るために必死だった。それだけなのだ。

 ウィンウィン、その理想は安寧の上に立つのだと赤城は知る。己の無力も、スーパーヒーローだと思っていた己が所詮ただの歯車だと知る。

 ただ、求められた通りギシギシと回るだけ。刺されかけた日もあった。その日初めて空手で人を殴った。無意識だった。正当防衛だった。だが、翌週退院と共に自宅に火をつけて焼死したと連絡が入った。

 殴った感触と、歪んだ顔を思い浮かべ、吐いた。鏡に映る己は生気のない目をしており、落ちくぼんだ眼は悪役のそれ。ヒーローの姿はどこにもなかった。

 結婚していた女性が家を出て行った。たまたま早く帰ったら不貞の真っ最中で、言い訳をしようとする妻に赤城は「疲れてる。寝かせてくれ」と言ったのが決定打。思い浮かべることが出来ないほど希薄だった夫婦関係の破局。

 仕事しかない男が、その仕事に殺されかけていた。ヒーローになりたかったはずなのに、気づけば人を傷つけ、殺している。そんな滑稽な自分を嗤う。

 正義など、どこにもなかった。皆が自分の正義を掲げ、生きるために奔走した結果、他者を傷つけている。この世界にヒーローなどいなかった。

 正義の味方なんていない。だから物語なのだと、今更赤城は理解した。

 会社の正義を実行し続けていた男は、ある日突然壊れた。歯車であることが耐えられず、会社を辞め、しばらく広い部屋で一人狂ったように型を重ね、やはりそれにも飽き、地元に帰って首を吊った。それが赤城勇樹の人生。

 虚飾に塗れた男の生涯であった。


     ○


「もう自分は良いんだ。捨てた命だ。どうなっても構わない。人と交わって不幸にさせるくらいなら関わらないし、これ以上誰かの命を、人生を背負う気もなかった。正義を気取っての『不殺』じゃなくて、逃げの『不殺』なのさ。でもね、あの子にだけは逃げるわけにいかない。あの子、ヒロは、魔族側で呼ばれるような子じゃなかった。俺がそうしてしまった。だから、最後にそれだけは、どうあってもあの子だけは、救って見せる。俺の命、残りカス全部注いででも、正して見せる」

 一瞬、紅き炎の雰囲気が立ち上る。

 それは赤城勇樹という男の魂。砕け散ったそれをたった一人の、かつての罪の象徴を救い出すためにかき集め、燃焼させ始めていた。

「それが出来たら、もう、充分だ。君もそうだろう?」

「……それは」

「そうか。おいちゃんはあの子たちと遊んでもう理解しちゃったけどねぇ。あの子たち、みんな君のことが大好きだぜ」

 それはゼンにとっての痛みである。

 それと同時に――

「ま、真摯に向き合うといい、後悔しないように」

 アカギは後悔に塗れた笑みを向け、そのまま歩き去って行った。

『真摯に、か』

「わかっている。必ず伝える。そこから逃げる気はない」

『偽善が偽善たる所以、だなぁ。身に染みるぜ』

 彼は伝えそびれてしまった己なのだとゼンは理解した。いつか、自分もそうせねばならぬ時が来る。特に直接両親を奪った相手には。

 その時のことを想うだけで胸が痛くなってしまうのだが――

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